19 はじめての渓流下り
19 はじめての渓流下り
ミックとミランは、尾根の上をちょこまかと歩いていた。
彼らが住んでいたこの山は広大な山脈になっており、いまはビル群のように連なる山岳の中央にいる。
今は暖かい季節で日差しもあるため寒くはないが、誰も来ない場所にあるので舗装された道などはない。
獣すら滅多に通らない足場の悪い草原がえんえんと続き、ミックは早々にへばってしまう。
「はぁ、はぁ、はぁ、ちょ……ちょっと休ませて……!」
ばたん、と宝箱ごと前のめりになって、這いつくばるミック。
ロックはとうの昔に宝箱から抜け出し、身軽な身体で先を歩いていた。
「にゃーん」
「この程度でへばるなんてだらしないって? 宝箱で歩く大変さはロックも知ってるでしょ? だいたいロックは……」
「にゃーん」
「えっ? この先に湧き水があるって? ちょうど喉が乾いてたんだ、行ってみよう!」
よろよろと立ち上がったミックは、もうひと踏ん張りだとロックについていく。
そこからさらに進むと、窪んだ岩から染み出している小さな流れが集まり、滝のようになっている岩場があった。
「わあっ、水だぁーっ!」
ミックは大喜びで宝箱ごと身体を傾け、滝壺の水たまりに顔を突っ込む。
その隣ではロックが水面を舐めていた。
ごくごくと喉が鳴るたびに大きな波紋が、ぴちゃぴちゃと舌が鳴るたびに小さな波紋が広がる。
「ぷはぁーーーっ! おいしいーーーーっ! 水ってこんなにおいしかったんだ! もう何十年もコーヒーしか飲んでなかったから、すっかり忘れてたよ!」
大満足で口を拭うミック。冷たい水で頭も身体もスッキリし、すっかりリフレッシュ。
「はぁ……ひと心地ついた。もうじきお昼みたいだから、そろそろお昼ごはんでも……」
などとひとりごちていると、ふと滝から落ちてきた木の枝が、目の前をぷかぷかと通り過ぎていくのが見えた。
「そうだ、いいこと思いついた! ロック、すぐに出発するよ!」
ミックは岩の上で寛ぎかけていたロックを呼び戻しつつ、頭を引っ込めて部屋に戻る。
壁にあるステータスウインドウを操作し、新たなるスキルを得た。
ふたたび外に顔を出しつつ立ち上がり、川の中へと入っていく。
小さなミックの足ではすぐに川底に届かなくなってしまったが、宝箱は沈むことなくボートのように浮いた。
「これで、歩かなくても下山できるぞ!」
川沿いを併走していたロックが宝箱に飛び移り、ふたりの川下りがスタートする。
ミックがゲットしていたのは、エクステリアツリーの『浮揚』。
宝箱を水に浮かせるスキルである。
とっさに思いついた即席ボートだったが、思いのほか快適だった。
ゆったりと流れていく景色、水辺の涼しい風が吹き抜けていく。
「らくちんらくちん」「にゃっにゃっ」
宝箱からちょこんと顔を出したミックとロックは、川下りツアーにすっかりご満悦。
桃のようにどんぶらこっこと流されていると、湧き水が集まり川幅がだんだん大きくなっていることに気づく。
流れも速く急になり、あわや転覆しかけることが何度かあった。
そこでミックは宝箱のフタを全開にし、船の横幅を広げることを思いつく。
フタの上にロックがちょこんと乗り、ふたりでバランスを取ることにより急流にも対応できようになった。
川幅は10メートル以上にもなり、枝分かれをはじめる。
そしてミックは新たな問題に気づく。
「しまった、オールを作っておけばよかった、これじゃ流されるままだ」
毛細血管のように次々と分かれしていく支流を、木の葉のようにあてもなく進むミックとロック。
やがてふたりは切り立った崖に囲まれた渓谷へと入っていく。
川は一本の激流になり、氷の斜面を滑り降りるかのごとく、ぐんぐんと加速していった。
普通の人間であればそろそろ生命の危険を感じるところだが、
「はやいはやーいっ! やっほーっ!」「にゃーんっ!」
狭い洞窟の中をフライングライダーで進むという行為ですらアトラクションに感じていたふたりは、ジェットコースター感覚でバンザイしていた。
高速で流れていく景色。立ちはだかった岩をジャンプ台がわりして、トビウオのごとく宙を舞う。
ザブンと着水し、弾けた波しぶきを全身で浴びて大はしゃぎ。
「この水、しょっぱーい! なんでだろ? あははははっ!」
しかし、その笑いはすぐ凍りついてしまう。
ドドドドと地響きのような轟音を感じて行く末に注目すると、川が途切れ、奥には青空が広がっていた。
「あっ!? た……滝だっ!? それも、かなりの高さがあるぞ! こ……このままじゃ落っこちちゃうよ! ど……どうしよう、どうしよう!?」
しかしそう叫んだ直後、宝箱はチキンレースに失敗した車のように投げ出され、落下していた。
「えっ……ええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
ミックとロックは抱きあい、残像と残響を残しながら滝壺へと吸い込まれていった。
着水したあと、滝壺の中で洗濯物のようにさんざん揉まれるミックとロック。
泡だらけの中で視界も利かず、もがいてももがいても流れから抜け出せない。
肺の空気をすべて絞り出してしまい、いよいよ死を覚悟しかけたところで、強い力で引っ張り上げられる。
濡れねずみのミックとロックは、宙に浮いたままぐったりしていた。
「う……うう……た……助かっ……た……」「にゃ……」
九死に一生を得たと思った直後、ふたりは「うわっ!?」「にゃっ!?」と飛び上がりそうになった。
しかし身体がグルグル巻きにされていたので、ビクンと全身を震わせるだけで終わる。
目の前には、巨大なタコの女の子がいた。
タコ足は巨人の腕のように太くて長く、滝壺を埋め尽くすほどに広がりとぐろを巻いている。
しかし巨大なのはドレスから伸びる8本の足だけで、その中央にある身体は人間の子供サイズだった。
タコの足のような真っ赤なツインテールに、頭には王冠を乗せている。
ツリ目でツンとした顔つきは、精一杯おすまししているようでかわいらしいが、今は頬をプクッと膨らませていた。
王冠とドレスという格好からして、身分の高さを伺わせる。
彼女の足が柱のように伸びあがり、謁見台の王のごとき高みからミックとロックを見下ろしていた。
「お前たちは何者なのだ!? なんで、わらわのお家に勝手に入ってきたのだ!?」
彼女はあからさまに不機嫌そうにしている。そして人間の言葉をしゃべっているが、明らかにモンスターであった。
ミックはこれ以上怒らせてはマズいと思い、刺激しないように言葉を選ぶ。
「この滝壺はキミのお家だったんだね、勝手に入るつもりはなかったんだ。僕はミックで、こっちはロック」
「それで、キミは……?」と、おずおず尋ねる。
「わらわはプルプ様なのだ! わらわは今、とても気が立っているのだ! とても腹ペコで……」
プルプと名乗った少女は、自己紹介の途中で手をポンと打つ。
彼女は足こそタコ足だが、手は人間の少女と同じ見目をしていた。
「そうなのだ、いいことを思いついたのだ! お前たちを食せばよいのだ! これで、腹ペコともおさらばなのだ!」
「えっ……ええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
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