第51話 アイドルだった私、黄昏れてみる

 坂道を登り切る手前で、木々が唐突になくなり視界が開けた。


「……う、わぁ」

 そこは小高い丘。

 街が一望できる、天然の展望台だった。


「すご~い! 遠くまで見える! え? あれってエイデル家?」

 指をさすと、

「全然違いますね」

 サクッと否定された。


 くぅぅ、私、方向音痴なんだよねぇ。


「よくこんな場所知ってたわね、アッシュ」

「ええ、昔一度来たことがありまして」

「へぇ、そうなんだ」

 そう言って、街を眺める。


 不思議な沈黙が、二人を包む。

 穏やかに時間が流れ、風の音を聞く。


「寒くはありませんか、リーシャ様」

 背後からの声に、少し、驚く。いつの間にか、アッシュは私のすぐ後ろにいた。

「あ、うん、だいじょ……、」


 ちょ、い、いま、うし……ろ、から……は…、はぐされて……おります。


「このまま連れ去ってしまえたらいいのに」

「アッシュ、」

 ああっ、これ、こういう時って、どうすればいいんだろう。免疫のない私には、まったくそれが分からず。


「……困らせてますよね」

 アッシュが私の耳元で囁く。

「いやぁ、その」

「私を無碍には出来ない立場だ。だから振り払うことも出来ない……でしょう?」

「それはっ、」

 まぁ、そうなんだけど。

「ま、わかっていてつけこんでいるんですけどね。困った顔のリーシャ様も可愛いので」


 うわぁぁぁ、意地悪っ。


「ほら、その顔」

 クスリと笑う。

「リーシャ様は芯の通った強いお方ですが、こと、恋愛においては赤子同然のようです。それがどういう事かわかりますか?」

「えっ? わ、わかりま……せんが」

「悪い虫が寄ってきたら簡単に騙されてしまいそうで怖いのですよ」


 ふぇぇぇ!

 自分! 自分はいいのっ?


 ……いいのか。


「思いが募れば募るほど、苦しくなります」

 ぎゅ、と、抱き締める腕に力を籠める。

「あなたが私を好きではないとわかっていても、こうせずにはいられない。あなたが困るとわかっていても、この腕からあなたを解き放したくはない。私は、片思いの歌なら無限に作れそうですよ」

「んふっ」

 笑う場面ではないとわかっていながら、つい、声が漏れてしまう。


「……笑いましたね?」

「ごめん」

 謝る。


 アッシュは私を開放すると、私の顔を覗き込み、


「リーシャ様、あなた、本当は誰なのです?」

「えっ?」

 ドキリ、と心臓が鳴る。


「私は長くエイデル家の音楽家としてお付き合いをしてきました。リーシャ様と顔を合わせたことは、数える程度しかありません。死の淵を彷徨った、というお話は伺いましたが、それだけでこうも人が変わったりはしないでしょう。しかも、歌ったり、踊ったり。『シンクロ』はどこで歌っていたのです? この世界の人間では……ないのでは?」


 バレた……。


 まぁ、バレたからといって困ることもないけど……というか、こんな話を信じる人間がいると思わなかったから、誰にも話していないだけなのよ。アッシュは、信じるの?


「……そうよ。アッシュの言う通り、私はこの世界の人間ではないわ」

 話してしまう。

 と、アッシュは眉を寄せ、今度は正面から私を抱きしめた。

「ひょっ」

 もう少し乙女っぽい言葉を発したい。


「どこかに、行ってしまったりしないでください!」

 アッシュは本気だ。本気で言ってるんだ。

「……それは、わからないけど。でも多分、そんなことにはならないんじゃないかな」

「本当……ですか?」

「……向こうの私は死んでるんだと思う」

「まさか、そんなっ、」

 悲しいけど。戻る場所は、もうないんだ。


「向こうに未練がないって言ったら嘘になる。けど、今は私、やることいっぱいあるし、これでよかったんじゃないかな」

 えへへ、と笑って誤魔化す。


 本当は、少しだけ、泣きそうだった。


 たった独り残された母のことや、マーメイドテイルの仲間のこと。思い出せば、懐かしく、愛しい人の顔ばかり。


「リーシャ様」

「あ、ごめんね、こんな話。おかしいよね」

「そうやってあなたはっ」

 肩を掴んで、私を見つめるアッシュ。

「アッシュ……?」

「私の前では頑張らなくてもいいです。ちゃんと受け止めますから。何でも一人で抱え込まないでください。いいですか?」

「……ありがと。アッシュは優しいなぁ」

 笑って答える。


 と、アッシュが顔を近付けてくる。

 えっ? え、ちょ、これってぇぇ?


 私は思わずぎゅっと目を閉じる。と、アッシュが、私の額にキスをした。


「リーシャ様が本当に私を好きになってくれるまでは、ちゃぁんといい子にしてますよ」

 何かを企むように、ニンマリ笑うアッシュ。


 うわぁぁぁ。なんだこれっ。

 恋愛って、こんななのっ?

 私、恋の歌うたってるくせになにもわかってないんだぁぁ……。

 色々恥ずかしくなる。


「あ、リーシャ様、ほら!」

 アッシュが指をさす。その先には、

「……うわぁ、すごい」

 夕日が見えた。


 どこで見ても、夕日は夕日なんだな、なんてことをぼんやりと考える。


「そろそろ帰りましょう」

 アッシュが私の手を取り、言った。

「うん」


 こっちに来て初めて、私がリーシャではないという話をした。アッシュはどこまで信じただろう。普通に考えたらそんな話、信じたりはしないだろう。アッシュは昔の私をそこまでよく知っているわけではないのだろうけど、今の私をよく見てくれている。だからこそ、わかってくれたということか……。


「さっきの話って、私以外に誰かに話しましたか?」

 歩きながら、訊ねてくる。

「ううん、知ってるのはアッシュだけね」

「そうですか。私だけですか。へぇ」

 前を歩くアッシュの顔、見えないけど……ものすごくにやけているのが分かる。


「さぁて、誰かのせいで明日からまた忙しいなぁ」

「そうね、三曲だもんね」

「ま、今の私は無敵なので問題ありませんが」

「あら、言ったわね?」

「ええ、言いましたとも」

「楽しみにしてるわっ」

「是非、そうしてください」


 そんな話をしながら、帰路についたのだった。

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