片思いをこじらせた令嬢と令息は、目の前の両思いに気づかない

灯倉日鈴

第1話 はじまり

 王立ストディウム学園は、多くの貴族子女が通うリースレニ王国屈指の名門校だ。学園敷地は小さな都市のような造りで、校舎の他に講堂や図書館や運動場、様々な商業施設か建ち並んでいる。

 現在は丁度昼休みの時刻。昼食を摂るため校舎から出た生徒達が楽しそうに行き交う中庭で、一際目立つ存在があった。

 木陰のベンチでは、二人の学生が弁当を広げている。一人は華やかな金髪に青い瞳の男性、もう一人は射干玉の長い髪と黒真珠の瞳を持つ女性。どちらも十代後半で、どちらも息を呑むほど美しい容姿をしている。


「ねえ、見て。ザカリウス殿下とユキノ様よ。お似合いよね」


 仲良くおかずを食べさせ合う二人の様子を遠巻きに眺めながら、数人の女子生徒達がさざめく。


「ユキノ様はこの世界に召喚されて半年。最初は外に出られないほど落ち込んでいたそうだけど、お元気になられて良かったわ」


「それもひとえにザカリウス殿下の献身があってこそ。毎日ユキノ様の部屋に通って心を開かせたのだから」


「あのお弁当、ユキノ様が毎朝ザカリウス様の為に作っているんですって。なんて健気なのかしら!」


「聖女様は伝説どおりの素晴らしいお方だわ。『』も晴れたし、このまま王太子様とご結婚なされば、我がリースレニ王国も安泰ね」


「そうよね、エリシャ様には悪いけど……」


 言いかけた瞬間、ピンクブロンドの女子生徒がこちらに歩いて来るのが見えて、慌てて口をつぐむ。噂の主が通り過ぎてから、ほっと息を吐き出した。


「ああ、驚いたわ。急に来るんだもの」


「でも、今のエリシャ様のお顔を見ました? ザカリウス殿下とユキノ様の前を通り過ぎる時、涙を浮かべてましたわよ」


「お可哀想。エリシャ様のせいではないのに」


「仕方がありませんわ。これは『運命のお導き』なのですから」


 彼女達は思い思いにもう一度深いため息をつく。


 ――このリースレニ王国には伝説がある。


【数十年に一度、魔の森から『禍の気』が溢れ、大地に災いが溢れる。それを封じることができるのは、異世界から召喚された『聖女』のみ】


 今から一年前、魔の森から吹き出した黒い霧がリースレニ王国全土を覆い尽くした。日は翳り、植物は枯れ、魔物が跋扈し、疫病が蔓延した。

 王国の窮地に、王家と神殿は直ちにいにしえの法に則り『聖女召喚の儀』を行った。そして魔法陣の中に現れたのは、ニホン国の十六歳の少女ユキノ。

 彼女がリースレニ王国に着いた瞬間、災いの黒い霧禍の気は晴れ、大地に平和が戻った。

 王国的には万々歳で大団円だったが……。ユキノにとっては大問題だった。

 勝手に異世界へ召喚されて、聖女だと祭り上げられ、挙げ句に役目を終えたのに帰る術がないという。

 ……そう、この『召喚の儀』は一方通行であまりにも身勝手な術だったのだ。

 多額の報奨とこの国での生活の保証をもらったが、ユキノには納得ができない。

 王宮の貴賓室に閉じこもり、家に帰りたいと泣きじゃくる彼女の心を溶かしたのは……王太子ザカリウスだった。

 しくもユキノと同い年だった彼は、日に何度も彼女の部屋に足を運び、分厚い扉越しに話しかけた。

 初めは無視を決め込んでいたユキノも徐々にザカリウスの熱意にほだされ、一ヶ月後にはドアを開き会話するようになり、二ヶ月後には王宮の庭園で二人きりのお茶会を楽しむようになり、三ヶ月後にはとうとうザカリウスと一緒に学園に通えるようになった。

 救国の聖女ユキノ、そして聖女の心を救った王太子ザカリウス。二人の間にはいつしか恋心が芽生えていた。

 伝説によると、歴代の聖女は全員リースレニ王家に嫁いでいるという。実際、ザカリウスの曾祖母も異世界から来た聖女だった。

 彼らが結ばれるのは、いわば運命だった。

 ザカリウスとユキノの関係を、王家は国を挙げて祝福した。彼らを阻む障害が一つだけあったが、それはすぐに排除された。

 今は学生の二人だが、卒業したら正式に結婚して王太子と王太子妃として暮らす未来が約束されている。

 幸せな若い一対。リースレニ王国の宝。誰もが羨む運命の恋人達。

 完璧なザカリウスとユキノを邪魔する者などいない。


 ……のだが。


「ふぅ」


 肩先に落ちる柔らかなピンクブロンドの髪を払い、小さく息をつく。

 春の中庭は木漏れ陽が心地よくて読書に最適だ。ベンチに腰掛け分厚いハードカバーの小説を開いた……刹那。


「よ、エリシャ嬢」


 頬にピトッと冷たい物が触れた。


「きゃっ!」


 彼女が飛び上がって振り向くと、ベンチの背もたれから身を乗り出した銀髪の彼がいたずらっぽく笑っている。


「ジュースを氷魔法で凍らせてフローズンドリンクにしたんだ。飲む?」


「テオドール様……。い、いただきます……」


 冷えたグラスを受け取り、ドギマギと俯く。心臓が激しく暴れて、勝手に隣に座ってくる彼の顔をまともに見ることができない。

 自然に緩く巻かれた豊かなピンクブロンドに翡翠の瞳、彼女の名前はエリシャ・オルダーソン。公爵令嬢で……聖女が召喚されたことで婚約を破棄排除された、王太子の婚約者。

 そして傍らにいる銀髪にオレンジ色の瞳の彼は、テオドール・ライクス。宰相である侯爵の子息で、王太子の親友。

 

 これは……運命に導かれていない二人が、互いの思いに気づくまでの軌跡。

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