第2話
――騎士団長のケルッソ・ソーサレイは、至近距離で少年の『スプーンを曲げる超能力』をまじまじと眺めていた。
アダマンタイトは世界一硬いとされる鉱石だ。これを練り込んだ防具は万物の攻撃を弾くとされている。
ケルッソはその金属を捻じ曲げる魔法を知っていた。高位の魔法である。だが、この少年の能力は己の経験と世界の常識から大きく外れている。彼はそう思い込んでしまっていた。
(アダマンタイトを捻じ曲げる高位の魔法は存在する。しかし、高位の魔法を操る際には魔力が使用者から溢れ出す……それが当然の理のはず! なのに、この少年は一切の魔力を感じさせずにアダマンタイトを曲げてみせた……!)
――有り得ない。
低位の魔法であっても、使用者から魔力の欠片も感じられないなんてことは有り得ない。不可能なのだ。そういう世界の理があるから。
「アッー!」
セリシャとケルッソは自由自在に曲がりくねるスプーンを前にして、すっかり放心状態に陥っていた。
それどころか、『魔力』という絶対的な存在を否定されたような気さえした。
……さて。ここで言う魔力とは、魔法の素となる精神力や神秘的エネルギーの総称である。
異世界の住民は魔力やその流れを感じることが可能で、第六感のような機能として生まれつき備わっているのだ。
この『魔力』は、地球人には感知できないが、異世界人には感知できる。地球人が科学に適応したように、異世界人はスピリチュアル的な魔法の領域に適応したと言えば納得してもらえるだろうか。
異世界人にとって、『魔力』は不可視の事象や魔法について考察する際に重要な因子となるのである。
だから、ケルッソとセリシャは目の前で起こっている『スプーン曲げ』が心の底から理解できなかった。
間近で見ても、遠くで見ても、少年のスプーン曲げには『魔力』が感じられない。どれだけ目を凝らしても、この少年自体から魔力が感じられない。その意味が分からなかった。
(――ほ、ホンモノだ。この少年の奇術は新しい魔法……いや、もっと凄まじい何かなのかもしれん……!)
糸状に捻って伸ばされていくスプーンを眺めながら、ケルッソは思考を高速で回転させた。
そんな彼が胸元から取り出したのは、棒状温度計によく似た特殊な呪具。『魔呪封印器』と呼ばれる、どんな魔法でも無効化してしまう特殊な性質の物体である。
「つっ……次はこの棒を曲げて欲しい。金はさっきの倍額を出そう。やってみてくれないか」
「だっ、団長!? その機械は――!!」
「……今は黙って見ていてくれ、セリシャ……」
魔法や魔力の研究が進んだこの世界では、魔力に干渉することで魔法を封印できる方法が確立されている。
この『魔呪封印器』はその一例だ。この棒は物理干渉にとことん弱いが、魔法の力を一切受け付けない。セリシャが声を上げたのは、封印器がとんでもなく高価な代物だったからである。
しかし、ケルッソにしてみれば『魔呪封印器』ひとつで少年の正体に近づけるのだから、安い出費であった。
無論、少年の使える力はどこまで行っても『スプーンを曲げる超能力』でしかないのだが……。
結局、スプーン以外を曲げられない少年はケルッソの牽制を回避することになる。
しかも、『企業秘密』という胡散臭い言葉を残して……。
「……行ってしまいましたね」
「まさか……この封印器を知っていたから回避したのか?」
「そ、そんなはずはありません。その封印器の性質は一般人に秘匿されているはずです」
「彼が一般人でないとしたら?」
「!」
「まだまだ調査を続ける必要があるみたいだな……」
息を呑むセリシャ。ぐっと拳を握るケルッソ。
スプーンを曲げる程度の超能力が、今まさに勘違いと深読みを巻き起こしていることを、少年は知る由もない。
そして翌日。
2人が少年と再会することで、勘違いは加速していく。
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適当な宿のベッドに手荷物を広げてから、俺はひと息ついた。
……現状を確認しよう。
まず所持品を数えてみることにする。
マイスプーン20本。
レストランとかでよくある業務用のやつ。
マジック用の小道具各種。
スプーン曲げをするんなら……ってことで覚えたやつ。
壊れたスマートフォン。
トラックに轢かれた拍子にバキバキになった。
食料。
パンとか果物とかイモとか。
くれた人達、本当にありがとう。
あと、1番大事なもの。硬貨。
雑多なコインが数十枚。そして金のやつが2枚。これがあれば何年間かは遊んで暮らせるらしいから絶対に無くせないね。
続いては、やけに俺のスプーン曲げを気にしていた2人の男女について考えよう。
「あの2人、めちゃくちゃ俺のこと見てたけど……そんなにスプーン曲げが珍しかったのかな?」
1人目は『団長』と呼ばれていたオジサンだ。ケルッソ……とか言ったかな。そんな感じの強そうな男性と、ケルッソさんよりは立場の低そうなセリシャという女性がいた。
あの人達は何者なんだろう。スプーンを曲げただけで大金を叩いてくれるんだし、物好きなのかなぁ。
「う〜ん」
しかし、彼らの格好は見るからに騎士っぽかった。ケルッソさんの方は『団長』と呼ばれていたし、もしかしたら『騎士団長』的なポジションの人なのかもしれない。
じゃあ、セリシャさんは騎士団の『副団長』かな。雰囲気的にね。はは、安直すぎるかも。次また会ったらフレンドリーに話しかけてみよう。
「硬貨の価値が分かるまでは迂闊に見せびらかしたり使ったりするべきじゃないな。護身できるものがないし、何より俺自身のフィジカルが貧弱だ」
俺は異世界の知識がない。少なくとも日本ほど治安が良いとは思えないな。スリなどの犯罪が多発していると考えても良いだろう。
護身のために短剣でも持っておこうかな。持たないよりかは全然良いよね。
「うん」
来たる後日。
同じ場所でスプーン曲げを披露していたところ、例の団長と副団長が俺の姿を遠巻きに眺めているのを見つけた。
今日行うのはスプーン曲げだけじゃない。
出血大サービス。コイン消失マジックと、棒が勝手に動いて見えるマジックを行う予定なのだ。
例の2人にも是非見ていってもらいたいな。
俺の超能力とマジック。
「――そこの団長と副団長! そんな遠くで見てないで近くに寄って見てください!」
んでもって、またお金くれないかな。
あればあるだけ良いからね。コイン消失マジックも映えるだろうし。
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――セリシャが副団長と呼ばれた。
その事実に冷たい衝撃を覚えながら、ケルッソ騎士団長とセリシャ副団長は暁ネンドウの前に出た。
(……何故この少年はセリシャの身分を知っている? 偶然か? それとも……)
ケルッソは国の秩序を守る騎士団の頭領だ。有名人でもある。
それゆえに己が団長と呼ばれることに疑問は抱かなかった。
しかし、セリシャはほんの数日前に副団長に昇格したばかり。その事実が民衆に公開されるのは明日の予定になっている。
加えて、彼女の異例のスピード出世も相まって、彼女の名を知る者は騎士団内にしかほとんどいなかったはずだ。
関係者しか知らない情報を知っている?
2人の心臓は少年に鷲掴みにされた。
「俺ね、リベンジしに来たんですよ。先日見せてくれたあの棒、まだ持ってます?」
「……!」
続けざまの一言に、ケルッソはたちまち少年に入れ込んでいく。
魔力を受けつけない『魔呪封印器』に何がするつもりだ。
そんなバカな。アダマンタイトを曲げる不可視の高位魔法があるとはいえ、魔封効果が折り紙付きの『魔呪封印器』を真っ向から打ち破ろうと言うのか……!?
……面白い。見てやろうではないか。
我が目は一欠片の魔力の漏れも見逃さんぞ。
「……持っている。この棒のことだろう」
「はい、それっす。貸してもらえますか?」
「……いいだろう。壊すなよ」
「分かってますよ」
魔呪封印器を手渡したケルッソは、憮然とした表情でネンドウ少年の真正面に立つ。セリシャもそれに続いた。
ネンドウ少年は彼らに見えぬよう、封印器の片方を持って輪ゴムを引っ掛けた。
そのまま絶妙な角度で輪ゴムを隠しながら、封印器を手に持ち――苦しそうに呻き始めた。
「……っ、くっ……うお、おおおおおっ」
当然、つまらない小芝居である。
異世界人は、ネンドウ少年が魔法のために精神力を振り絞って苦しんでいるのだと錯覚した。
「……う、おおおおおっ。……成功です。わあ、何だこれは! 不思議な力で棒が上がっていきますよ!」
「「!?」」
隠された輪ゴムの力を借りて、魔呪封印器が生き物の如く上昇していく。
死ぬほど地味なマジックであった。
しかし、本物の異能力によるスプーン曲げを見た後のケルッソとセリシャには効果覿面であった。
続いて、少年の追い討ちの一言が2人を襲う。
「以上、棒を動かすマジックでした」
――マジック。
日本ではマジックと言えば手品の方を思い浮かべてしまうものだが――
この世界では、魔法の方のマジックを表す場合もあるのだ。
ネンドウ少年のひょうきんな態度と、持って回したような口ぶりが2人の勘違いを誘発する。
(う、ウソよ! 魔呪封印器を魔法の力で動かしたとでも言うの!? 魔封の抵抗があるせいか動き方は小さかったけれど……確かに棒は動いていたし……でも、魔力はやっぱり欠片も感じられなくて……。わ、分からない……何者なの、この少年は……)
(まただ! アダマンタイト曲げと同じように魔力を感じられなかった! それなのに、少年は魔呪封印器に
手品はこの世界に存在しなかった。
何故なら魔法が存在するから。
科学の発展した地球だからこそ、魔法のような不可思議を再現しているように見せるための手品が生まれたのだ。
何も無い空間に火をおこす。
水を生む。
物体を移動させる。
人の心を読む。
手品を必要とせずに手品同然の事象を起こせるからこそ、異世界でマジックは生まれなかった。
生まれていたとしても、流行らなかった。
その事実をネンドウ少年は知らない。
本物の超能力と、科学の世界から持ち込んだマジックと、魔法蔓延る異世界。これらの要素が噛み合って、ネンドウ少年と2人の間には決定的な行き違いが生まれてしまった。
「うおお、驚いてくれましたか。次はおひねりとして頂いたコインを消しちゃいましょうか」
そもそも、ネンドウ少年のイカサマは見破られにくい。
スプーン曲げの超能力だけはホンモノだから。
真実の中に少し嘘を混じえることが有効なように、本物の超能力を隠れ蓑にしてイカサマを通すのは効果覿面なのだ。
そして、コイン消失マジックを行うネンドウ少年を見て、ケルッソの思考は次のフェーズへと至る。
(――彼の能力は
ついに現れてしまった、百年に一度の天才。
いや、歴史に存在しなかった規格外の化け物。
騎士団長の頭の中だけに存在する、架空の魔法と超絶的な才能の持ち主。暁ネンドウ。
(……世間に彼の存在を知られてはならない。絶対にだ……)
ケルッソは思う。魔封状態を克服できる魔法を反社会的勢力が手にしたら――この世界のパワーバランスは意図も容易く崩れ去ってしまう。
彼を正義の元に保護する。しなければならない。
「今日はおしまいです。ありがとうございました」
ネンドウ少年が立ち去った後、ケルッソとセリシャはすぐに路地裏へと隠れた。
「……セリシャ。まずは上に報告だ……そして応援を呼べ。彼を尾行させるんだ。いつでも保護できるように準備させておけ……」
「は、はっ! 分かりました!」
信じられないことが起こりすぎた。絶対的法則が崩れ去る瞬間を目の前で見せられて、ケルッソは頭がおかしくなりそうだった。
ふらふらと覚束無い足取りで駐屯所に向かったケルッソは、見聞きしたことをお
『スプーンを曲げる超能力』だったはずが、いつしか『世界のパワーバランスを変えうる未知の魔法』として騎士団長に受け止められ――
その騎士団長と副団長から凄まじく誇張された話が、騎士団に資金援助をする貴族に伝わってしまったのである。
それと同時に、地下に潜ったとある悪の組織にも『アダマンタイトを曲げる少年』の噂が届いていた。
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