シャドウバスター隆之介

石田宏暁

テーマ〈筋肉〉

 俺のスタンガンはガチャンと音をたてて木々の暗闇に消えていった。まるで拉致することを予め知っていたかのように奴は距離をとった。


 内河美和の父親、ドメスティックバイオレンス野郎〈内河慎吾〉は警棒を抜きだし構えていた。背後に人影を感じた時には遅かった。別の男の筋肉質な腕が俺の背中を掴む。


「だ、誰なんだ!?」

「分からないです……いたいっ」


 佐江子のほうも何者かに背後をとられ、手首が後ろにまわされていた。隙だらけの俺の腹部へドメスティックの拳が入る。


「……げほっ!」


 更に顔面に振り抜かれる拳。俺はそいつをギリギリで躱したが、もう一人の男は俺の肩を掴んでまた羽交い締めにした。


 また腹を殴られ膝をつくと、誰かが俺の背中を蹴った。またすぐに俺を立たせて、ドメスティックは同じことを繰り返した。


 あまり優しい連中ではなかった。ドメスティックと一対一でも負かされていたかもしれない。殴られて、殴られて、蹴られて、殴られた。


 佐江子の初めての友人を守ってやりたいと思った。実の父親に殴られる美和さんに比べれば、俺に痛みなどないと思った。


「……がふっ」


 俺は両手に力をいれて自分の頭を守ることしか出来なかった。暗闇でよく見えないがもうひとりの人物の顔が見えた。身なりの良い男前に俺の鼻血がかかった。


「くそっ」


 子供のころ、父親から喧嘩の終わらせかたを教わった日のことを思い出す。俺はよく図書館で父と本を読んで過ごした。


 幼少期の子供たちが遊ぶようなゲーム機器やスマホは持たされなかった。アニメや漫画の原作や設定だけを詳しく知っている俺がクラスでは弾かれ虐めにあうのは当然だった。


 病弱な母のために父は医療関係の本や宗教関係の本を貪るように読むようになった。何冊かは物語を愛した母のため読んではいたが。


「……げほっ」


 まるで地面に足がついていなような、ふわふわとした気分だった。強烈な一撃に意識が飛びそうになっていたのに、考えていたのは父親のことだった。


 まだ商店街に店があった時代だ。若いふたり組が図書館にいた。俺と父親をみて、客のまったく居ない〈凰文堂〉に母が一人でいることを不思議に思ったようだった。


 思えば、周りから見ても独りにするが不安になるほど母の病は深刻だったのだ。それでも父は諦めたりしなかった。


『クックッ……なあ、あんた。本屋がなんで図書館にいるんだよ。店に行ってあんたの嫁さんを口説いていいかい?』


「今は息子と調べものをしてる」父親はいった。「ここでは静かにしてくれないかな」


『ははは、静かにしろだと?』若い方の男が声をあげた。『誰が本なんか読むんだよ、この時代だぜ。読みたきゃ借りて帰れよ』


「……」


『そうやってずっと本を読んでろ。俺たちはてめえの嫁さんと楽しんでくるぜ。本屋でレイプされても誰も気付かないかもな。だって客がまったく居ないんだから』


『あははははは』


「……」


「ほら、隆之介。ちゃんと本に集中しろ。ここは神聖な場所なんだぞ」


 父親は図書館では何もしなかった。だが三時間後に河原で煙草をふかしている二人組を見つけたときは違った。


「隆之介はここで待っていろ」


「……」


 父は砂利道をくだり小走りで真っ直ぐに二人組に向かっていった。ひとりが振り向くより速く膝げりを入れて草むらに倒した。


 もうひとりが拳を構える間に顔面へストレートが飛びだしていた。何を話しているのかは聞こえなかった。


 俺は手に汗を握って見ていた。父はふたりを一瞬で倒すと順番に馬乗りになって更に殴りつけた。殺してしまうのではないかと思った。


 連中は少しも抵抗できずに一方的にやられていた。河原の白い砂利は血が飛び散り、草に埋まった男たちは顔を両手で覆ったまま死んだように動かず倒れていた。


「……」


「ふーっ、ふーっ」


 息をきらして戻ったとき、俺は父を尊敬の眼差しでみていた。盛り上がった太い腕を両手で掴んで、その筋肉に触れた。


「心配はいらない。あいつらが母さんに手をだすことはない」


「……うん……うん」


 父の拳に付いていた血をハンカチで拭いながら、ゆっくりと歩いた。動けない母をたくましく守っている筋肉質な腕。そんな安易なイメージが今でも俺の支えになっていた。


 だが母が癌でなくなって葬儀を終えた日に……父は飛び降り自殺をした。幸せだった生活は花から風に溶けていった。


 爺さんの家に引き取られてからは、俺も本屋も馬鹿にされることは無くなった。そもそも本屋はなくなり、無くなったことすら誰も気にかけなかった。


 凰文堂と同じで、俺は自分が要らない子供だと知っていた。父の硬い腕の、筋肉の感触だけが俺を強く支えてくれた。


 正しい父親じゃない。誰に聞いてもまともな人間とは云わないだろう。そんなことは子供ながらに分かっていた。


 だが父は母のことを愛し過ぎていた。だから、どうしようもなかった。大好きな母の死を受け止めきれなかった。


 だから美和さんの自殺が許せなかったのかもしれない。母を愛したなら、どうして俺を独りにした。どうしたら俺は解放されるのか。


「!!」


 俺はとっさに立ち上がり、頭突きで男を退かせた。そしてドメスティック野郎の顔面を思い切り殴り飛ばしていた。


 朦朧とする意識で何かが起きた。父の筋肉が自分の中で目を覚ましたような感覚だった。


「加瀬さん」といったのは坂本萌花だった。「大丈夫ですか?」


「あ、ああ」その声に俺はハッとした。すでに形勢は変わっていたのにドメスティックに馬乗りになって殴り続けようとしていたのだ。


 佐江子は何かを察して、倒れているドメスティック父の前にたった。自分のしようとしたことに背筋が寒くなった。


 彼女たちが黒い闇に飲まれそうになったとき、足の付く場所に引き戻してくれたような気がした。


 そして俺を襲ったもうひとりはカウンセリング事務所の安堂という男。視線が軽くふれただけで警戒をよんだように俺を睨みつける。


「くそっ、まだそんな力が残っていやがったか。やってくれたな」


「もうやめなさい! こんなこと聞いてないわ、安藤くん」坂本萌花には兄のことで借りがあった。「もう警察を呼んでる。あなたはやり過ぎたのよ」


 彼女は寝返ってドメスティック父と安堂を止めに入ってくれたようだ。坂本さんの左手にはスタンガンが握られている。


「裏切りやがったか、馬鹿女。通報したところでこちらは正当防衛だぞ」


「不法侵入と過剰防衛がただですむかしら。私は真実しか話さないわよ。心理カウンセラーが聞いて呆れるわね」


「くっ――」


 俺は知らずに安堂の顧客を奪っていたようだ。佐江子だけでなく、カウンセリング事務所から俺のセラピーに顧客が流れていたのだ。


 あのオンボロ事務所を訪れた坂本萌花と安堂は、おそらく鍵のかかっていない俺の事務所に侵入し、そこで見たのだ。


 佐江ちゃんの計画書や拷問器具を。そして俺たちの先回りをした。仮想現実バーチャルリアリティーから拡張現実シミュレーテッドリアリティーへのシームレス移行計画を知っていたのだ。


「くそがっ!」安堂は怒鳴った。「貴様ら、沼田も坂本もどうかしてるぜ。この犯罪者の計画を知っていて、庇うつもりかよ」


「……」


 遠退く意識。父の腕を流れる血を拭った日と同じように、俺から流れる血を誰かが拭ってくれているのが分かった。安藤は悪態をついて、この場から逃げていった。


「……」


 遠くで聞こえる耳鳴りはサイレンだろうか。きっと俺は刑務所で目を覚まして、両手のまわらない服を着せられて拷問されるだろう。


 やっと俺の番がきたのだ――。


 ああ、神様。ありがとう……俺をボロボロのグチャグチャにしてくれて。俺の中の悪魔を拷問で絞り出してくれますね。



       〈更に続く〉



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シャドウバスター隆之介 石田宏暁 @nashida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ