剛人研磨

雨宮羽音

剛人研磨

 アメリカのあるところに、身長2メートルを超えた、マッチョなムキムキナイスガイがいた。

 彼の仕事はボディービルダー。

 己の肉体を芸術として磨き上げ、数多の大会で優勝してきた男の中の男だ。


 その褐色に光る筋肉は、どんなに鍛えられた鋼よりも硬い。うっとりとしてしまうような隆々のボディーラインに、誰もが魅力され憧れていた。


 しかし、そんな彼に対して不満を抱いている人間が一人だけいた。

 彼のマネージャーであるエム氏だった。


「あのですね、ビイ氏。どうしたらこんなにたくさんの経費を使い込めるのですか」


 エム氏はボディービルダーであるビイ氏を、狭い事務所で問い詰めた。


「はて、どうしてだろうか。ちょっとわかりかねるな。よし、ならば筋肉に聞いてみよ──」


「やめてください。そんなことをせずとも、理由ははっきりしています。それは、あなたが女性にだらしが無いからです」


「なんと……」


「毎晩のごとく夜の街を呑み歩いて、取り巻きに高い酒を浴びせているからです。そんな生活でその体を維持出来ているのが、私は不思議でなりません。まさに奇跡です」


「そんな記憶は無いのだが……覚えているかい、吾輩の筋──」


「それだけではありません。あなたには喧嘩癖がある。呑み歩きの途中で絡んできた相手を、片っ端から叩きのめしている」


「それは……相手が悪いのではないか」


「だとしても、あなたが本気で暴れていいわけが無いでしょう。そのせいで、お店の修繕費やら相手への慰謝料、口止め料、その他もろもろの経費……とにかくお金がかかってしょうがない」


「む、むむう……」


 エム氏の言い分に、ビイ氏は巨体を縮こまらせて唸った。ぐうの音もでない様子だ。


「まったく、少しは自覚を持って頂きたい。あなたは世界を代表するスターなんです。そんなにだらしの無いあり様では、いずれ愛想を尽かされますよ」


「……うむ。心得た」


 ビイ氏の返事だけは、たいそう立派なものだった。

 しかし──それから何ヶ月、数年と過ぎたところで、ビイ氏の行動には改善の兆しが見えなかった。


 ハラハラとするエム氏をよそに、仕事の方は順調だった。

 ビイ氏は大会での成績を重ね、芸能活動も活発に行うようになった。

 さらには政界進出なんて話も持ち上がるようになり、ある時、一つのプロジェクトがたてられた。


「はあ……ビイ氏の銅像ですか……」


 それはとんでもないプロジェクトだった。

 なんと、アメリカのシンボルである自由の女神に並ぶ形で、ビイ氏の銅像を立てようというのだ。


「おお、よいではないか! しからば、吾輩と寸分たがわぬ肉体美をもった像をよろしくたのむ!」


 ビイ氏の希望により、像は実物大で作られる。

 ビイ氏はたいそう名誉に思っているようだったが、エム氏は少し違っていた。

 あんな巨大な建造物のよこに、人間サイズの像を立てたところで惨めなだけだと思ってしまう。


 しかし、そんな口を挟むよりも早く、銅像の設置は速やかに行われてしまった。


 ビイ氏と共に、出来上がった像を見学に行く。

 最初は楽しそうに笑っていたビイ氏だったが、突然なにかに気づいた様子で声を荒げた。


「これは、なんということだ!」


 ビイ氏は銅像に駆け寄り、隅から隅まで見回した。

 そして何を思ったか、自分の着ていたシャツを破って脱ぎ捨て、上半身を裸のまま像の隣でまったく同じポーズをとってみせた。


「なんですか急に。少しは人目を気にして下さい」


「それどころでは無いぞ。よくみろ。この銅像──吾輩より筋肉がある!!」


 確かに言われてみればそうだった。

 それが製作者の粋なはからいなのか、はたまたただの設計ミスなのか。どちらにせよエム氏にはどうでもよいことだった。


 しかしビイ氏はそうでもないようで、焦りとも怒りともとれる顔をして辺りを右往左往していた。


「ええい、エム氏よ。今すぐここに工具を用意させるのだ」


「まさか自分で作り直す気ですか。やめましょう。そういうのはプロに任せるのが一番です」


「そうした結果がこれであろう。この世で一番に筋肉のことを理解しているのは吾輩だ。つまりは筋肉のプロ──もう他人になど任せておけぬ。それともエム氏は、この像のせいで吾輩が嘘つきになってもよいと申すのか!?」


「はあ……わかりましたよ。もう勝手にしてください」


 エム氏は取り急ぎ工具を用意させた。

 おもにヤスリの類だ。金属の棒ヤスリ、ペラペラの紙ヤスリ、さらには粉末状の研磨剤など、種類も豊富に取り寄せる。


 それを使って、ビイ氏はすぐさま作業に取りかかった。


「ふむ、今の吾輩がこれぐらいであるから……もう少しこのへんを……」


 ビイ氏は自分の筋肉と見比べながら、銅像の肌を丁寧に磨いていく。

 最初は呑気に考えていたエム氏だったが、その作業の大変さは想像を絶した。


 いわく、この銅像には特別に硬い素材が使われているらしい。

 いくら力の強いビイ氏でも、数ミリ削るのに数日を必要とするほどだ。


 そうして、仕事の合間にコツコツと通い詰め、遊び歩く時間も惜しんで作業に没頭し、ビイ氏が満足のいく作業を終える頃には、すでに1ヶ月の時間が経過していた。


「よし、これで吾輩とまったく同じになったはずだ!」


 汗だくになりながら笑顔でそう言ったビイ氏は、像の隣に立ちポーズを決めてみる。

 だがビイ氏の口から出たのは、歓喜の声ではなく絶望の悲鳴だった。


「おかしいぞ。吾輩より銅像の方が細いではないか! あんなに計算したはずなのに、これはどういった悪夢なのだ」


「知りませんよ。これじゃあパテでも塗りたくって誤魔化すしか無いですね」


「──ふん!!」


 呆れた口調で言ったエム氏の目の前で、ビイ氏は銅像にパンチを繰り出し粉々に粉砕してしまった。

 恐ろしい腕力だ。チマチマと削る大変さに比べたら、あまりにも呆気ない。


「なにをしてるんですか、あなたは……」


「これはもう、一から作り直すしかあるまい。そのように手配してくれ。微調整はまた吾輩がやろう。次は失敗などしないぞ」


「はあ……仰せのままに」


 エム氏はもう何も言う気になれなかった。

 どうせ何を言ったところで、ビイ氏が聞く耳をもたないのを知っていたからだ。


 それから──半年が過ぎた。

 その間に破壊された銅像は6体。

 ビイ氏は今、7体目の作業に従事しているところだった。


 エム氏はその様子を眺めながら、事務所の同僚と電話をする。


『どうしてビイ氏の作業は毎回うまくいかないのだろうな』


「実は、それについては最初から理由が分かっているんです」


『──と言うと?』


「あれだけキツイ研磨作業をしているのだから、その間に、ビイ氏の筋肉が鍛えられているのです」


『なるほど。だったらそのカラクリを、ビイ氏に教えてあげるべきなのでは?』


 エム氏は少し逡巡してから答えた。


「だってビイ氏が遊び歩くより……銅像を立て直す経費のほうが安いんですもの──」





剛人研磨・完

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剛人研磨 雨宮羽音 @HaotoAmamiya

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