廃! サイドチェスト殺人事件

千八軒

チェストとは知恵捨てと心得たり

「ナイスバルク!」「ナイスカット!」「キレてる、キレてるよ!」


 そのボディビルコンテストは熱気をはらんでいた。

 見回す限りのマッチョ、マッチョ、マッチョの群れ。

 異常に鍛えられたゴリラの群れのただ中にいた。


 スポーツ誌記者である西原さいばらあかねは、フロアに立ち込める汗のにおいに眩暈めまいを覚えていた。男たちの身体から立ち上る水蒸気。濃厚なオスの匂いにクラクラ来る。


 残念ながら悪い意味でのクラクラだ。彼女はマッチョは嫌いだった。


「私、今すぐ、吐きたいです」


 食べきれなかった残りを別容器に入れて、うっかり忘れて数週間。表面にびっしりとカビが生えたカレーの残りを発見してしまった気分だ。


「お前、それは流石に選手の人達に対して失礼すぎるだろ」


 隣でのんべんだらりと煙草を吹かすのは、先輩記者の緑川みどりかわ武蔵むさし。都内某所で開かれた日本最大の筋肉イベント。普段は、女性向けの美容的な筋肉トレーニング記事を書いていたあかねにお鉢が回って来たのは、単純に編集部の人員不足だった。


「っていうか、需要ありますか? この記事。もっとニッチな雑誌で特集すればいいのでは? うちはライト志向ですよ?」


「そう言っても、編集長の命令だしなぁ……。まぁ、俺に免じて許せよ」


 ぷかりと、電子タバコをふかす緑川。この会場は禁煙では? 電子ならいいのか? 

 緑川はひょろりと背が高いだけで、不健康そうな風体で頭もぼさぼさ。徹夜が多い編集者にありがちな、消えない隈を抱えていた。決して色男ではない。


 だが、


(はぁぁぁあああ、緑川先輩、かっこいい。好き。すきすきすきすきすきすき……)


 いたって平静に、険し気な目つきで筋肉だるまたちを睨みつける西原あかねだったが、その心の中は、緑川への恋心にあふれていた。


「うちの編集部やばいんじゃないですか? どんどん発行部数も落ちてますし、こんな気持ちの悪いコンテストなんて取材してないで、人気配信者ウーチューバ―のトレーニング動画特集でも組めばいいんですよ。それなら社内で済みますよ」


(ううん、ばかばかばか。それじゃ別部署の先輩に会えないじゃない。外での取材だから先輩と二人っきりで出かけられたのよ。むしろハゲ編集長ぐっじょぶ! よくやった! 褒めてつかわす! マッチョは嫌いだけど、先輩のひょろっとしてハードボイルドな感じほんと大好き。すごくスコ。すこすこのすこ)


「――まぁ、そういうな。こういうのもな、たまにはいいもんだよ。筋肉って極限まで鍛え上げれば美術品になるんだって事を教えてくれる。あそこまで練り上げるのは並大抵の努力じゃ無理だよ。俺なんかは、知識こそあるが、自分でやるとすぐやめっちまうからな。尊敬しかねぇよ」


「先輩は筋肉お好きなんですね。私はあそこまでムキムキは嫌いですけど」


「ああ、自分もいつかああなりたいなと思ってるよ。一応、週2でジムは通ってるんだがなぁ。体質か、いつまでもモヤシのままだ。あのレベルに達するには、才能もいるよなぁ」


(やぁぁあああだあああああ!! 先輩がムキムキマッチョになっちゃったら、私泣いちゃう! 先輩は今のままがいいの! 松田優作みたいな、シド・ヴィシャスみたいな今にも死んじゃいそうなのがいいの!)


「そうですね。先輩は不健康すぎますよ。ご飯ちゃんと食べてますか? ブロックカロリー食だけじゃ駄目ですよ? 筋トレだけじゃなくて、ちゃんとタンパク質を取ってくださいね。PFCバランスが大切なんですからね」


(わたし! わたしが先輩のごはん作りますから! 栄養バランスしっかりの! あ、でも先輩が健康的になったら嫌だからちょっとバランス崩して出します。お酒もほどほどに。一緒に晩酌したいです。居酒屋とか行きたいですぅ!)


「おお、ありがとぅよ。またなんか埋め合わせするわ。西原にはいろいろと世話になってるからな。どっか行きたいとこあるか?」


「居酒屋……」


「居酒屋?」


「先輩、この後連れてってくださいよ。私たち今日、直帰でしょ? 筋肉蒸気で体中気持ち悪いんです。お酒で消毒したい気分ですよ。まったくもう」


「そこまでいうかよ……。まぁ了解。飲みに行くのも久しぶりだしな。連れてってやるよ」


「おごりですからね。先輩みたいなだらしない人に付き合ってくれるの、私しかいないでしょうから、仕方なくですよ?」


(やったぁぁぁあああああ!! うーれーしーいー!! 今日来てよかったぁぁあああ! ひゃっほーーーい!!)






 余談であるが、その日壇上で一人のマッチョが心臓麻痺を起こした。

 彼は日本有数のマッチョだったが、同時に一つの秘密があった。強力な精神感応者テレパスだったのだ。


 彼が壇上で渾身こんしんのサイドチェストを披露している最中、西原あかねと緑川の会話および、西原あかねの思考の波が彼を直撃した。


 そのため彼は死んだのだ。死因は尊死だ。

 彼は言動と心中が乖離するラブコメがすこぶる好きだった。


 彼の辞世の言葉は「乙女よ、恋するチェストとは知恵捨てと心得よ……」だった。

 チェストとは、掛け声であるが、胸部筋肉の事でもある。つまりは心だ。知恵を捨てて、心のままに伝えよ。

 彼は自らの命をもって、素直になる心を示したのだった。



(ああ、なんてひどい駄文)

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