10 殿下の背中には翼がある
「どうした、元気になったか?」
馬車に乗ってから殿下が聞いた。
「分かる? 心配した?」
僕は殿下を見上げて聞く。
「僕は偽物じゃないよね?」
「ああ、だから私から逃げて行くな」
「うん」
やばい、結構惚れている。
ヴァンサン殿下は前を向いて言った。
「最初見た時、君は魔道具を付けていて、その向こうに透けて見える君がなんだかすごく気になって、もっとよく見たいと思った」
「……」
殿下があの時動かなくなったのって、そうなのか?
「君の色んな表情が面白くて、可愛くて、目が離せなくなった」
わ、恥ずかしい。
「離さない、絶対に」
手が僕の肩を引き寄せる。僕は甘ったれの猫になることにした。
「ヴァンサン殿下には見えているの?」
「私の魔力は高い。その魔道具では私の力が勝る」
「僕は攫われてから、お父さんがこれを着けているようにと」
「分かるよ、君のお父さんに感謝しよう」
殿下は僕の指にリングをはめた。ミスリル銀に瑠璃色の魔石がちりばめられていてとても綺麗だけれど、左手の薬指に嵌める指輪はこの国では婚約者とかに贈るものだが。でもこれは大きな宝石が付いている訳じゃないし、指の動きを邪魔するものでもないし、多分誰も気付かない魔道具なのだろう。
「これからは代わりにこれを着けるんだよ」
指にキスしてにっこり笑う。
「この魔道具と同じような力があるからね。それと私の妨害はしないから」
そう言って僕の首にかかっている魔道具を取り払った。
「ああ、よく見えるよ、君が。寮で見た時はどうしようと思った。君は可愛い顔をさらして無防備に眠っているし、ルイやら友人やらが押しかけて来るし」
そして魔道具を僕に渡す。
「防御もついてるし、毒も、魅了もまあ大概は無効だ。あと、取れないから、それ。君はずっと死ぬまでそれを外せないんだ」
「え」
「まあ、私の呪いがかかっていると思ってくれ」
「のろい?」
殿下は僕を片手で抱いて、ばさりとマントを広げる。
いや、マントじゃない、翼? こいつ、悪魔?
黒い翼が僕を包む。ヴァンサン殿下の瞳が怪しく光る。
唇が触れる。すぐに離れた。僕の顔を見て、ニンマリ笑ってまた襲い掛かる。何度か触れたあとに、本格的な奴をぶちかまして来た。
動けないのは何故。
唇を何度も角度を変えて貪られたあとは、口をこじ開けられて、舌が歯列を口腔を蹂躙する。求められるままに舌を絡ませている内に、何がどうなっているのか、もう息も絶え絶えになってしがみ付いているしかなかった。
「エリク、君は私のものだ」
最後に宣言してくれた。
うん、もうそれで間違いないような気がする。
ちょっと翼が気になるけれど。
* * *
その日から僕は兄ちゃんの結婚式に行く準備を始めたんだけど。
聖女がヴァンサン殿下にぶら下がっていたとか、キスしていたといううわさが飛び交って、僕の周りで頻繁に聖女の甘ったるい匂いがするんだ。
聖女が教室に来たとか、図書館に来たとか、ましてや寮に来たとかではない。誰かが見たら噂どころじゃないし。
噂も気になるけど、匂いも気になる。気になる事ばかりでどれも解決しない。
「匂い消しって、何かないかな?」
「そんなもん何に使うんだ? 何か臭うか?」
ニコラが自分の身体をクンクンと嗅ぐ。
「いや、何だか聖女の匂いが臭い。気になるんだよね」
「うーん」
「あのさ、イッチの木って魔物除けだろ?」
ジュールが知ってるみたいだ。
「うん」
「あれさ、臭いを消すと思う、浄化するっていうか」
「あー、そうなのか、使えるかも」
灯台下暗しってヤツか。しかし、聖女を浄化したらどうなるんだ?
「じゃあ採って来る。出来たらダンジョンに潜る?」
「ああ」
心配そうな二人を残して放課後の校舎を出た。指輪は誰も何も言わないので多分幻惑か幻視が付いているんだろう。
僕は色々どん詰まりだ。そういやルイ殿下もアレから何も言ってこないけどどうしたのかな。これ以上どん詰まりが増えて欲しくないが。
* * *
消臭玉を作るために森との境界にあるイッチの葉を採りに行った。なるほど葉を採って裂いてみると、じんわりと出る透明な粘液からすっきりした匂いがする。
これをすりつぶして混ぜ込めば消臭玉が出来るかも。そしたら聖女の甘ったるいあの匂いが消えるかな。一件解決だ。
厚くて色つやの良いイッチの葉を採集していると後ろから声がかかった。
「よう、三馬鹿のひとりか」
ヤバイ、ルイ殿下の取り巻きだ。全然気が付かなかった。
「やれ!」
僕は殺されるのか?
後ろからいきなり布袋が被せられた。足を縛られて、腕の辺りも縛られて担ぎ上げられた。叫んだ方がいいか? 暴れた方がいいか?
でも僕は、やっぱりイッチの葉を手で砕いて氷玉に混ぜていた。
それから馬車に乗せられて、どこかの屋敷に連れて行かれた。
川とかに捨てられなくてよかった。あまり泳ぎは得意じゃないし。
「縄を解いたら下がれ」
おや、この声は。
袋を取り去って、ルイ殿下の取り巻きは部屋を出て行った。
「あなたがエリクね」
そして、いきなり現れる聖女。
「お前のせいでヴァンサン殿下が逃げたのよ」
聖女という感じではないな。
「どうしてくれるの? とおーーってもいいところまで行っていたのに」
僕を煽る気か? なんかすごい腹が立つんだけど。
お返しに作ったばかりの消臭玉を投げつけた。
ボン!
「きゃあ、何すんのよ!」
聖女には効かないと思うけど。氷玉に混ぜたイッチの葉の緑が点々と氷の合間に広がった。あ、これダメかな。氷の靄も広がらないし、イッチの葉も中途半端だ。
「母上、いい加減にして下さい!」
逃げようかと思ったら、突然ドアが開いて、ヴァンサン殿下が飛び込んできた。
「ははうえ?」って、言ったよね。
ヴァンサン殿下は僕を引き寄せて聞いた。
「エリク、大丈夫か?」
僕は大丈夫だけど、部屋にはもう一人さっきから何も喋らない奴がいる。
「兄上……」
「ルイ、お前もいたのか」
「ええ、いましたよ、いましたとも!」
あ、拗ねている。こいつブラコンかも。
でも僕はヴァンサン殿下にしがみ付く。やっぱりちょっと怖かったからさ。殿下も僕の髪をポフポフして額にキスをくれた。
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