第31話 クリスマスとピアノ


 我が家の行事にクリスマス発表会なるものがある。単純に、子供がピアノ教室に通っていて、その発表会なのであるが。

 これがまぁ、先生方が(三つの教室との合同だったので、そこそこ弾く人数がいる)熱心だった。

 市民ホールを貸し切り、発表者はドレス。写真撮影もしてくださる張り切りよう。

 もちろん演奏者もそれなりに曲を弾き込んでくる。何せスポットライトをあててくれる照明さんまでいるのだから。

 ピアノ教室の先生がのせ上手で、幼稚園の時からお世話になっている(なんと発達障害児のリトミックをやっている本当に誘導がお上手な方だった!)ので、夫が亡くなってからだったが子供の希望で発表会に参加することになった。

 夏頃から発表曲を決め、弾き込んでいくのだけれど。私には懸念が一つ。

 私の仕事が発表会の当日、休めそうもないことだった。

 それでも我が子は発表会に参加すると言った。終わったら会場から電車を乗り継いで帰ってこられるから、と。

 正直、ものすごく心配だった。それと申し訳なかった。

 たぶん仕事は休めたんだと思う。言えばチーフは許可しただろう。

 でもクリスマスはお惣菜部門にとっては繁忙期、というか、ここで売上をとれるだけとらねばという勢いでフライドチキンやオードブルやピザを、狂ったように棚に並べていく時期だ。

 私には言い出せなかった。私が稼ぎ頭だ、仕事を軽視するわけにはいかない、と感じていた。

 本当はすごく行きたかった。あの子の最後の発表会になると分かっていた。

 夫が死んでからもピアノのレッスンは欠かさず通って、練習する子供のピアノの音に何度も癒されていた。

 仕事なんかより、ずっと大切なことだって、思った。でも、私は仕事を選んだ。

 こめんねって何度も言った。でも、休むわけにはいかないって、決めてしまった。間違ってはいなかった、とは、思う。

 親が一人ということは、こういうことなんだなって実感した。子供が可哀想だった。

 さいわい子供の方がしっかりしていて「ちゃんと稼いできて。私は平気だから」という姿勢だった。

 とても有り難いことに、知人に相談したら、その人が付き添ってくれることになった。行きは私が送っていき、帰りはその知人が家まで送り届けてくれることになった。

 何度も書いているが、私は本当に周囲の人に恵まれている。この時、私は心から知人の無償の優しさに感謝した。

 この先、何かで返せたらいいなとは思っている。

 クリスマスになって、会場に子供を送り届けて、仕事場に行って。ずっと心配だった。

 無事に弾けたかな。家に帰れたかな。知人に迷惑かけなかったかな。仕事が終わって帰宅して、子供の笑顔を見るまで不安だった。

 結果は「まあまあ成功したよ」という子供の言葉に、心底、良かった! と思った。それは大成功ってことだから。

 それから準備してあったクリスマスのご馳走を並べて(前日から仕込んであった)、知人も招待しての夕御飯になった。

 知人曰く「ものすごく上手に弾けていた」そうだ。本人は不満のできで「でもつっかえっちゃった所もあった」と。

 二人に会場の様子や、どんな演奏があったか、たくさん話してもらった。そのエピソード一つ一つが、私にとって幸せだった。二人が笑っていたから。

 もちろんその現場を見たかったし聴きたかった。悔しさはある。

 けれどもベストは尽くした。その結果、笑って夕御飯を一緒に食べられたのだから、やっぱり大成功と思って良い、と。



 後日、ピアノの先生から発表会時の写真と、演奏を録音したCDをいただいた。

 ちなみに、これも毎年のことで、写真も録音も一応プロの人がやってくださっている。ものすごい熱の入れようなのだ。

 先生は少し泣いたそうだ。

 私は子供が学校に行っている間にその演奏を聴いた。

 ずっと練習していた曲は、あの子の努力に見合う音でホールに響いたらしい。

 静謐な音でアマンダ・マクブルーム作曲の『The Rose』が奏でられていた。











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