第25話 どうしても待ってしまう


 春は気を張りまくり、夏は身体の調子を崩すくらい頑張って、秋になったらガクッと物事が進まなくなってしまった。

 あらかた事務処理が終わってきたし、生活も子供との二人暮らしが落ち着いてきた頃だったし。つまり、暇になってしまったんだと思う。

 いや、やるべきなことはあったし、書き出してもいた。が、達成できない日々が続いた。達成できなくても困らない事柄ばっかりだったともいえるか。

 グリーフケアを調べた時、むしろこうした気が緩む時期が、鬱になりやすいと注意されていたから、私もその時期になったのかなぁとぼんやりと感じた。

 とにかく停滞感がすごくて、時間が過ぎず陰鬱で、何をするのも億劫で、だからさらに時間の進みが遅かった。

 寝てしまえたら良かったのだが、私はこうなると不眠に陥りやすい。

 夜中に夫の帰りを待っていることに気がついた。

 もうとっくに処分してしまった車の音が聞こえないかと、ソファーでぼんやりと意味のない動画を見ながら待ってしまうのだ。

 これはいけない、まずい、と思って寝ようにも、寝られない。起きてもなにもせずダラダラするだけだから、夜がまた寝られない。

 仕事に行くだけマシだったけれど、この秋から冬にかけての時期が一番、時間の進みが遅かった。



 たぶん、この停滞感というか、重苦しさというか、毎日がしんどいようなこういう心理状態は誰にだってある。

 そして打破することが難しい。だって生活はできてしまうんだもの。

 だらだらと、このしんどい時間をやり過ごしながら、寝て起きてご飯を食べて仕事に行く。これが永遠続くように思える。

 ひたすら生き延びよう、なんとか子供が成人するまでは生きようとは思っていたけれど、自殺の方法を調べたりしていた。

 あと五年。五年これに耐えよう。そうしたら死んで良いから、と慰めのように自分に言い聞かせていた。

 夫のいない自分が惨めに思えた。そして、そんな風に夫の死を(まるで自分の付属品が壊れたように)感じてしまうことに嫌悪した。

 見えるもの、聞こえるものを脳内で勝手に刃にしてしまい、自分自身の思考でどんどん自分を追い詰めていく。

 己の認知が歪んでいると分かって、理論的に頭をリセットするのだけれど、感情は辛いままだった。ずっと辛かった。

 何時までこのままなんだろう、と、よく考えていた。カウンセリングをうけた方が良かったかもしれない。

 とても運が良いことに、子供の方はスクールカウンセラーさんがケアにあたってくれていた。やはり父親を急になくした子供ということで、配慮してもらえたようだった。

 その流れで親の私もそのカウンセラーさんに相談させてもらえた。主に子供の生活態度や進路についてのことだったが。

 そうしたこともあって、なんとなく心療内科には行かずじまいだった。

 あの頃は本当にただただ夫の帰りを待っていたように思う。

 不毛だけれど、どうにもならない気持ちで夜を過ごしていた。










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