第8話 あまりのことに唖然
お葬式を終えた次の日。私達は日常を取り戻すべく奮闘した。
子供は学校へ行ったし、私は葬儀社の人と支払いについてや四十九日までにすることを打合せし、役場に行って書類を揃えたり、ツテがあった司法書士の先生にアポを取ったりした。
二人共、できることを“頑張らない範囲内”で、やろうと言いあって。気持ちを奮い立たせて生活を始めたのが、まさかの、である。
子供はその日、泣いて帰ってきた。
何が起こったのかをじっくり話を聞いてみて、唖然。
クラスの男子生徒に「父親、帰ってこなかったんか?」「お前が学校来ないほうがいいわ」等と言われたという。もともと仲も良くない子だった。
即座に、明日は学校を休むように子供に言った。で、担任の先生に電話をかけた。
子供が今日受けたという仕打ち。そんな環境に子供を行かせるつもりがないこと、環境を改善してくれなければ、校長先生に(それで駄目ならその他にも)相談しに行くこと等々を伝えた。
動揺していたが先生に環境改善を訴えると「すぐに対処します」という返事をもらった。
あまりにショックで思わずママ友に愚痴ると、わざわざ我が家まで来てくれて憤慨&子供を慰めてくれた。
とにかく怒れたけれど、子供のことが心配だった。
本人が気のすむようにしてあげたかったし、ただでさえ辛いだろうに、それ以上の負担など絶対に感じさせたくなかった。
「そんな状況の学校なんか行かせられない。休みなさい」と、はっきり言ったのが良かったのか、子供は泣き止んでくれた(男子のことはグズグズと愚痴ったが)。
なんというか、心ないことを言う人間というものはいるもので。片親ということでこれからも嫌な態度をされることがあるのかも、と悔しく思った。
話はズレてしまうが、この一件で某寿司屋チェーン店での男の子の悪ふざけを思い出し、ゾッとした。本人はなんてことないと思ってやっている、という想像力のなさが身を滅ぼしかねないのだけれど。それを教えるのは学校へとお任せするしかなかった。
担任の先生からの指導で問題の生徒が謝罪したいと申し出てきたのだが、私はきっぱりと「謝罪しようという気持ちがあるのなら、二度と話しかけない、近づかないようにして」と伝えた。
私が真にしてほしいこととは、子供の心の安寧を脅かさないことだ。謝罪などより、そちらの方がよっぽど重要だった。
子供も「優しくしてほしいとは思わない。ただほうっておいて」と主張した。
正直、腫れ物扱いされるのは、もはや自然なことだったと思う。年端もいかない子供達が戸惑うのは当たり前だ。我が子もそれは飲み込んでいた。
ただ親しい友人の子達が、とても支えになってくれたようだ。本当のところ、それが一番、子供にとって望む形だったろう。
父親を亡くした子供に、いきなりの残酷な仕打ちだったが、それもたった一日休んだだけだった。
勉強に身が入らなくても、帰り道に泣き出してしまっても、それでも学校に通い春休みを迎えたあの子を、いまでも母親として誇りに思っている。
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