第3話 最初の夜は顔も見れなかった


 夫がお義母さんの時にお世話になった葬儀社の互助会に入っていたので、ある意味とてもスムーズにことは進んだように思う。いや、比較はできないんだけれど。

 ともかく、夫は死亡診断がなされた日に、我が家に帰ることができた。

 とりあえず、いろんな人に連絡してまわった。皆、嘘だろ? あいつのイタズラなの? と、受け入れがたい様子だった。

 お義父さんは妹さん(つまり夫の叔母さん)になんとか我が家につれてきてもらって、ようやく対面させてあげることができた。一人息子だった。

 私は一生懸命、お義父さんの手を握って、「私達がいるから。今まで通りだから。絶対にお義父さんを一人にしないから」と繰り返した。

 ちなみに子供からは帰り道に、「絶対に再婚しないって約束して。彼氏も嫌だから!」と懇願されて、約束した後だった。

 お義父さんの妹さんが冷静に「でも文ちゃん、貴女まだ若いのよ。その事、考えて」と現実的で残酷なことを、その場で言ってくださった。

 お義父さんと子供にとって、それは酷い言いようだったかもしれない。けれど、妹さんが私を思って言ってくれていることは明白だった。

「考えられません………」と言う私に「いずれ二人ともいなくなっちゃうのよ。そしたら文ちゃん、一人になるのよ」と。

 子供が口を尖らせて「一人になんてしない」と言ったけど、「結婚してくれなきゃ逆に心配でしょ」ってピシャリと返されていて、つい笑ってしまった。

 女性ならではの冷静な忠告と助言だと感じて「ありがとうございます。よく考えます」と頭を下げた。

 とはいえ、再婚しないだろうな、と薄々思った。できる気がまったくしなかった。

 若さがあったから夫は私を選んで、妻にしてくれたのだということを、ちゃんと自覚していたから。

 なんの取り柄もない、容姿もパッとしない、稼ぎもないオバサンを妻にしたがる男性は、そうは居るまい。

 というか、そんな男性があらわれたらまずは(詐欺かな?)と疑ってかかった方が良い。なにより男性云々よりも自立してしまった方が手っ取り早そう、なんて。

 なんとなく、くだらない事ばかり考えていた。いや、お葬式の段取りとか、子供のこととか、お義父さんのこととか重要なんだけれど。

 そうして夫が横になっている部屋の襖を私は閉めた。

 顔が見れなかった。へたりこんで動けなくなるくらい、打ちのめされると思った。

 スマホに電話がきて、出てみたら高校の時の先輩で、ずっと付き合いのある人だった。

『大丈夫? 何か手伝えることある?』

 どうしてだか、彼女の声を聞いたら気持ちが決壊した。

「今、家にもどってきてるんだけど、何か、ダメ。お別れしなくちゃとか、死んだんだって、思うんだけど。あの人の顔が見れないの。動かないとか、息してないとか、分かりたくない。辛い。もう声、聞けないとか、信じたくない」 

 涙がボロボロ出てかすれた声で言う私に、彼女はただただ『うん、うん』とだけ言って聞いてくれていた。

 この電話にどれだけ救われたか分からない。一番辛い夜だった。

 現実を受け入れられなかった。夫の顔が見れなかった。

 うまく眠ることもできず、子供の隣で起きているのか夢なのかよく分からないままに時間が過ぎた。

 部屋が明るくなってきて、夜が明けたことが分かって、ぼーっとしたまま私は夫が横になっている部屋に行った。

 まるで寝ているかのようなあの人に、いつものように「あなたー」って呼びかけてみて、頬に触れてみて、また泣いた。

 死んでしまった。二度と目を開けることはなく、あの陽気な声が聞こえてくることもなく、私をぎゅうと抱き締めてくれることもない。

 嫌でも分かること。分かってしまうこと。

 枕元に突っ伏して「なんでよう」「嫌だよう」と繰り返した。

 それでも彼はピクリとも動かなくて、私は泣きつかれて、部屋をまた閉めた。 









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