第30話 会って欲しい人物


「シャルメル様のところに行ったんじゃないの?」


「え?」



ロサにそう問われた榮太郎は教科書のようなキョトン顔を浮かべた。

意味がまるで分からず、適当な言い訳を返すことさえできなかった。すると廊下の方から、走るような足音が聞こえてくる。


「エータローくん!」


焦った表情で現れたのはノワール・エーレンベルクだった。

紺色の髪のエーレンベルク邸当主は榮太郎の腕を掴み、立ち上がらせると「彼は悪くない、仕事に戻りなさい」とメイドに告げて、寝室を出た。


なかば押し込まれるようにノワールの執務室にに入り、扉が閉まるとすぐ、エーレンベルク邸の当主は深く頭を下げた。


「申し訳ない。前回、きちんと説明しておくべきだった」


榮太郎も慌てて頭を下げ返す。


「いえいえいえ! こちらこそすみません。助けていただきありがとうございます。

――つまり今、僕は屋敷にいないことになっている訳ですね?」


少し考えれば分かることだった。

あちらの世界に帰っている間、ゆっくりではあっても、エーレンベルクでも時間は流れている。あちらの世界での1ヶ月が、こちらの数日分かそれ以上と考えれば、お嬢様と家庭教師が不在の理由を用意しなければならない。


「ウィスタリアと2人で出かけていることになっている。てっきり一緒に帰ってくるものだと思っていたからね……、彼女は今回は?」


「双葉は――、じゃない。ウィスタリアはこのことを知らないんです。今回の訪問はちょっとした不可抗力と言うか。事故と言うか」


「事故?」


「実は――」


事情を説明しようとして、榮太郎は逡巡した。


一から説明するなら、例の動画について触れざるを得ない。

しかし、如何せん、センシティブかつ不確かな話だ。

本来なら、問題の当人とも言えるウィスタリアから説明するのが筋である。

そもそも、スマホの映像が不鮮明だからノワールに確かめてもらおうと思ったのであって、肝心の証拠映像がない状態で話しても、信ぴょう性もクソもないではないか。


そんな風に言葉に詰まっている榮太郎を見て、ノワールは少し神妙な顔になって言った。


「何か話しづらいことかな? 無理に話すことはない。お互いに色々と事情はあるだろう」


「いえ、これは僕たちの事情というよりも……。そうですね、やはりお話しすべきだと思います」


「?」


ウィスタリアの言った『この事実を隠すのは、誠実ではない』という言葉を思い出した。そして、現に関係しそうな問題が起きているのだから、どうせ話すなら早い方がいいだろうと決心した。


榮太郎は事実をなるべく事細かに、脚色なく伝えるよう努めた。


榮太郎たちの世界と、この世界の間に、別の空間があるかもしれないこと。

その証拠になる映像があり、1人の人物が映っていること。

それが、マリア・エーレンベルクの肖像画に似ていること。


そして今回――、引っ張られるようにこちらへ来てしまったことを。


例の動画を見せられないことは計算外ではあったが、ノワールは榮太郎の話を笑うようなことはしなかった。ショックを受けるのではないかとも危惧していたが、あくまで落ち着いた様子だった。


かといって勿論、すんなりと飲み込める話でもない。

ノワールはしばらく腕組みをして低くうなっていたが、やがて顔を上げて言う。


「……教えてくれてありがとう。事実ならばとても興味深いことだが、エータロー君にとっては、災難だったね」


「いえ、興味本位で覗こうとしたのは僕の不注意でした」


「向こうでの仕事もあるだろう。出来る限り早く戻らなければいけないね?」


「そうですね。少なくとも3日以内には」


「3日か。しかし、先ほど見た限りクローゼットはすでに閉じている。帰りたくとも、開くまでは帰れない、と」


「ええ、はい。そうなります」


「クローゼットの気まぐれ。何者かの意思が介在している可能性。であるならば……」


ノワールは小さく小声で何かを呟きながら、部屋の奥へ歩いて行き、小さな扉の中へ入ってしまった。一瞬、中の様子が垣間見えたが、本と骨董品の山だった。やがてそれらをかき分けるようなガシャガシャという音が聞こえてくる。


しばらくすると、小さなカバンを持ち、外套を羽織ったノワールが出てきた。


「急いでいるところ申し訳ないが、少し時間をもらえないだろうか。会って欲しい人物がいるんだ」


「えっ」


「少し遠くへ出かけることになる」


「出かけるって、今から、ノワール侯と一緒にですか?」


「元々、エータローくんはその人物の所にいることになっていたから、ある意味ではちょうどよかったかもしれない。詳しいことは馬車の中で話そう。ああ、服を着替えた方がいいな。私のものだが構わないね?」


返事を求めているようで、実際のところ断る余地がない。

榮太郎は戸惑いつつ、頷くしかなかった。


ノワールの言う『その人物』というのは、ロサが『シャルメル様』と呼んだ人物のことだろう。榮太郎は記憶を遡ってみるが、初めて聞く名前だと思う。

敬称がついていることから察するに、どこかの貴族とか――、だろうか。


渡された服に着替え、部屋を出る。

すると、ちょうどトレイを持ったロップイヤーが正面からやってきた。


ロップイヤーは少し驚いた様子で「どちらへ?」と尋ねた。


「シャルメル様へ会いに行ってくる。遅くとも明日には帰るよ」


「なにかお嬢様にトラブルでも?」


「いいや、そういうわけじゃない。少しお話があるだけだ」


「かしこまりました。ああ、しかし――」


ロップイヤーは一度了承した後、鋭い視線をノワールの背後へ向けた。

榮太郎の体がビクッと震える。

横からすかさず「エータロー君は要件を伝えにきてくれただけだよ」というフォローが入るが、彼女は首を振った。


「伝言でも探し物でも結構ですが、お帰りの際は一度、正面の呼び鈴を鳴らしていただけますかしら? ロサが騒ぐのも仕方ありませんわ」


榮太郎はハッと気づき、背筋を正した。


「――ああ! はい、すみませんでした」


「分かっていただければよろしいのです」


ロップイヤーはそう頷いてから、廊下を引き返して行った。





普通、馬車というのは御者が手綱を引くものだ。


しかし、この世界ではそういった職業は存在しないらしい。

馬と車とを繋ぐハーネスに嵌め込まれた魔鉱石が、目的地へ誘導してくれるからだ。


まるで自動運転じゃないか――、と感動したのも束の間、榮太郎は馬車の乗り心地の悪さに悲鳴を上げることになる。

ろくに整備されていない道とギチギチのサスペンション。車輪が小石に乗り上がるたびに、馬車がガタンと揺れ、そのたびにちょっと浮いて、尻を打ちつける。

ウィスタリアも以前愚痴を言っていたが、確かにこれは改善の余地有りだった。


さらに悪いことに、馬車が進む道はどんどんと悪路になっていった。


車窓はずいぶん前から森林風景しか映しておらず、空もろくに見えないほど木々が鬱蒼と茂っているため、いつ間に夜になったのかと思うほどに暗い。


ノワールは必要以上のことは喋らず、考え事に耽っているようだった。

しかし、いい加減説明を求めるべきだろうと思い、榮太郎はずっと我慢していた質問を投げかけた。


「それで、シャルメル様というのは、どういう方なんでしょうか」


「――ああ」


ノワールはすっかり忘れていたという表情を浮かべた。


「すまない、説明が遅れたね。シャルメル様というのは、エーレンベルク家の古い知人であり、魔術に精通し、ウィスタリアに指南をしてくれている方。そして――、ウィスタリアとフタバの関係性について知っている人物でもある」


「!」


「君のこともご存じだ、フタバと同じ世界から来た彼女の教師。ドロテア湖の採掘騒動について話たら、ずいぶん興味を持っておられたよ」


ノワールは小さく微笑んだ。

双葉や榮太郎について知っている。

それはつまり、使用人にさえ秘匿している事実を知る重要人物ということになり、ノワールからの信頼の高さも窺えた。


「その方のところへお邪魔していることになっていた、と」


「何かと都合が良くてね。遠方に住んでおられるし、いかんせん気分屋な方だから、急にウィスタリアがいなくなってもシャルメル様のところへ伺っていると言えば『ああ、なるほど』ということになるんだ」


「なるほど」


馬車がガタンと大きく揺れる。

車窓を流れる風景が少しだけ明るくなり、間も無く森を抜けるようだった。


「これから向かうのは、エーレンベルク領北端のルウイン渓谷だ。そこにある塔にシャルメル様は1人で住んでおられる」


「塔に、1人で」


「もう随分長いことね。ルウイン渓谷は人里からも離れているし、最後にウィスタリアが訪ねたのも2ヶ月ほど前になる。だからきっと、エータロー君の来訪は喜ばれると思うよ」


「例の――、謎の場所について話すんですか?」


「ああ」


「その方なら、何か知っているんでしょうか」


「さあ。知っているかもしれないし、知らないかもしれない。魔術に精通はしておられるが、どちらかというと感覚派で天才タイプだからどうかな。何にせよ、重大な情報に違いないから、一度お耳には入れておいた方がいいことは間違いないがね」


榮太郎は内心ドキリとする。

話が思ったよりも大事になってきてしまってはいないか、と。


「あの、たしかに重大な情報とは思いますが、しかし肝心の証拠はないんですよ。現時点ではまだ僕の見間違いと言われても仕方ないというか。この先、お見せできる保証もないし……」


「ウィスタリアも確認したんだろう?」


「え、ええ。まあ」


「ならば見間違いということはないさ。私は、エータロー君のことをすっかり信頼してしまっているんだ」


「――――」



馬車は森を抜け、ゴロゴロとした砂利道を走り始める。もう少しで渓谷だろうかと窓を覗く榮太郎に、ノワールは「あと半分だよ」と笑った。

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