第20話 エーレンベルクの資源
「――――」
「――――」
ノワールが玄関先で来客に対応している様子を、2階の窓から伺う。
会話の詳細までは聞こえないが、相当に熱を帯び、ノワールの返答がまた気に入らない様子だった。
何者だろうか、と榮太郎は思う。
一番先頭に立っている肥満体型の男は額に脂汗をたらしているくせに、高価そうな柄物のコートを羽織り、指には装飾品がギラギラで、金持ちであることを無理に誇示しているように見える。
男の来訪が喜ばれていないことは明白だ。
横に立ったウィスタリアは腕を組み、口元を歪めて、あまつさえ、唇の隙間から舌打ちを漏らしていた。
「……すごい顔だな。誰なんだ、あいつは」
「モゾフ・ブルガモンド。大手商会の三代目で、エーレンベルクの資源を掘り起こそうとしてるハイエナ……、間違えた。浅ましい豚野郎よ」
「おいおい、オブラートに包み損なってるぞ」
「だって、マジで、本当に嫌いなんだもん」
「そんなにか」
榮太郎は改めて、玄関先の男たちを見つめる。
モゾフという男の絢爛豪華な身なりとは対照的に、その後ろに並ぶ物騒な連中の服装はほぼ肌着のような感じだ。この前エーレンベルクの街に降りたときに見かけた男たちに風体が似ている。
くわえて、ブルガモンドという名前は一度聞いたことがあった。キクルに会った時に「ブルガモンド商会の連中じゃないだろうな」と威嚇されたのだ。要するに、彼らを嫌っているのはウィスタリアだけではない。
情報と情報が繋がってきた気がする。
モゾフはかなり長い間唾を飛ばしながら熱弁していたが、最終的にノワールが何かを答えると、渋々という感じで引き返していった。
ノワールは一度大きなため息を吐いた後、窓際に立った榮太郎を見つける。
そして人差し指で2階の一番端を示した。
それは、ノワールの私室がある方向だった。
○
「説明の順序が狂ってしまったな」
ノワールが紅茶を差し出す。
榮太郎は少し緊張しながら、それを受け取った。
侯爵と対面で2人きりというのは、この屋敷に来てしばらく経つが初めてのことだった。
榮太郎とて邸内を頻繁に歩いている訳ではないが、それにしてもノワールを見かけることは稀だ。1日のほとんどを執務室で過ごしているらしく、食事も私室でとることが多い。
だからこそ、書庫で呼びかけられた時には驚いたものだが。
「ウィスタリアから、少し事情は聞いただろうか」
「はい、少しだけ。先ほどの男がブルガモンドという商会の3代目で、エーレンベルクの資源を欲しがっていると」
「その資源というのが何かは?」
「ええと、魔鉱石……ですか?」
「その通りだよ」
ノワールはそう微笑んで、机の上にひとつ青緑色の綺麗な石を置いた。すぐにキクルが見せてくれたのと同じものだと分かる。あの原石が加工され、磨かれるとこうなる訳か――、と榮太郎は感心した。
「最近書庫によく入っているそうだからご存知かもしれないが、改めて説明をしよう。
魔鉱石とは、地底から湧いてくる魔力の結晶だ。その使い方は様々。熱源や灯りなどのエネルギーとして使うことも可能だし、魔道具に加工される場合もある。その汎用性ゆえに、わが国の魔法文化を成り立たせる上で必要不可欠なものだ。しかし反面、安定した供給を確保するのは難しい。特に高純度なものはね」
ノワールが魔鉱石を摘んで傾ける。
青緑色の光が、天井に美しい模様を描いた。榮太郎は中を覗き込むようにして言う。
「つまり、エーレンベルクで採れる魔鉱石は純度が高いんですね」
「その通り。ドロテア湖の底には品質のいい魔鉱石が相当量眠っている。今までも長い間、潜水採掘という形でエーレンベルクの財政を賄っていたんだ。しかし、この方法は決して効率的とは言えない。熟練の技術と手間が不可欠だ。そこへ、大規模採掘を請け負おうと持ちかけてきたのが――、ブルガモンド商会という訳でね」
ノワールは机に転がる魔鉱石に目を落としたまま、紅茶を一口飲んだ。
その表情は、ブルガモンドの提案に乗るか、今まさに迷っているという様子だった。
「ウィスタリアは強く反対していたようですが」
「はは、あの子くらい感情を素直に表現できれば楽だろう。ウィスタリアが反対しているのはエーレンベルクを守るためだ。しかし私が悩んでいるのもまた、エーレンベルクを守るためなんだよ。そこが政治の難しい所なんだ」
「……メリットとデメリットがあるんですね」
ノワールは一つ頷いてから、壁に貼ってある地図に目を向けた。
中央に大きく描かれているのがドロテア湖、その周りを囲うのがエーレンベルクの街だ。
「ブルガモンドの言う大規模採掘は、ドロテア湖の水を抜いて採掘をしやすくしようという大胆なものだ。当然採掘効率は跳ね上がるが、今まで人々の暮らしを支えてきたドロテア湖が失われ、生態系にも影響が出るだろう」
「み、湖の水を抜くって……。さすがにそれは無茶苦茶では?」
「それが普通の反応だと思うよ。しかし、相手にしてみればたかが湖ひとつなくなっても大したことはない。そんなことよりも、莫大な鉱物資源を手に入れた方が土地が潤うに決まっているという言い分なんだ。事実、ざっと概算しただけでも期待できる経済効果は途轍もない。ブルガモンドに委託することを差し引いても、十分すぎるほどだ。長い目で見れば、エーレンベルクのためになるのはどちらだろうね」
「――――」
なるほど、確かにこれは政治的な問題だ。利益を取るか、自然を守るか。
異世界人の榮太郎にも分かりやすい対立構造だ。
「ウィスタリアからもう一つ聞いただろう?」
「……え?」
「5年前の事件について」
「あ、ええ、はい。伺いました」
「この屋敷にはね、5年前はもっと使用人がいたんだ。エーレンベルク全体も今より活気だっていた。でも例の事件によって多くの人々が離れてしまった」
榮太郎は初めてエーレンベルクの街を訪れた時に感じた違和感について思い出した。妙に人が少なく、空き家が目立つ印象を覚えたことを。
なるほど、それも5年前の事件の影響だったのかと納得しかけたところで、ノワールが言う。
「しかし、それは2人のせいじゃない。私のせいだ」
ノワールの灰色の瞳が、榮太郎を見つめた。
そこには後悔、悲壮、愛惜の念が入り混じっている。
「マリアが消え、そしてウィスタリアが失踪したことで、私自身参ってしまった。精神的な支えが一挙に失われて、世界から色が失われ、食事も喉を通らなくなり、やがてエーレンベルク領主という重責に耐えられなくなり……、全てを投げ出した」
「――――」
「正確には投げ出しかけた、かな。情けない話だが本当だよ。何ヶ月も部屋に閉じこもって……。ロップイヤーのような優秀な使用人がいなければ、あるいはフタバという存在が異世界から現れなければ、エーレンベルクはどうなっていたか分からない。そんな領主に、領民が愛想をつかすのも仕方ないだろう?」
ノワールは一度言葉を切り、話を元へ戻す。
「つまり、エーレンベルクは一度崩壊寸前までいき、少しだけ持ち直しはしたが緩やかな衰退は止まっていないという状況なんだ」
榮太郎はようやく納得した。
「だからこそ、迷っておられる訳ですか」
「商会の提案に乗れば、利益が生まれ、人も流れてくる。しかし、元々エーレンベルクにいた人々の暮らしが踏み躙られてしまう。かといって、ただ現状維持に甘んじても行き着く先は同じかもしれない」
「――緩やかな死か、別物として生き残るか」
「ブルガモンド商会は先の通り、早く始めさせろと催促をしてきている。もう3日結論を待ってほしいと伝えたが、それ以上先延ばしにはできないだろう。だから是非、エータロー君の意見が聞きたいんだ」
榮太郎は思わず唸った。
「もし、僕らの世界流の解決方法があるとお考えなら、期待はずれだと思います。これは僕たちの世界にとっても永遠の命題で、いまだに争いの火種になっているくらいですから」
「別にそういうわけじゃない。今私が意見を仰げる限り最もエーレンベルクと関わりが薄いであろう人物に率直な意見を聞きたい。ただそれだけだよ」
ノワールは柔らかな口調で言う。しかし、彼の胸の内にはやりきれない葛藤が渦巻いているはずだ。本人も言っていた通り、ウィスタリアとノワールどちらとも、エーレンベルクを思っての意見――。そこが難しい。
どちらかを立てれば、どちらかが立たない。
しかし、と榮太郎は思った。
本当にこの状況は選択肢が二つしかないのだろうかと。
「率直な意見と言うのであれば、エーレンベルクの自然を破壊する計画には賛成できかねます」
「ふむ」
「しかし、衰退を甘んじて受け入れるのもまた自殺と同じです。自然が守られても、人の暮らしが守られなければ意味はないでしょう」
「……つまり?」
「よりよい折衷案を模索するべきではないでしょうか。エーレンベルクの自然も守り、産業も推進できるような。そういった方針は今までの話し合いには出てこなかったのですか?」
「当然出たとも。しかし、どれも中途半端な採掘計画ではブルガモンドが了承しない。大量雇用、大規模工事、大量生産。それが彼らの方針だ」
「たとえば一部だけ水を堰き止め、順番に採掘をしていくことは出来ませんか。それなら湖の生態系へ及ぼす影響も少なくなるのでは」
榮太郎の案に、ノワールは首を振った。
そして、地図の中央を指差す。
「あの湖は見た目よりもずっと深く、さらに無数の洞窟に枝分かれした複雑な構造になっているんだ。だからこそ鉱石資源が多く眠っているとも言えるんだが」
「洞窟?」
「……? ああ、そうだ。地下水脈にも繋がるその全貌は誰も知らない」
「待てよ、洞窟ってまさか……」
榮太郎が不意に立ち上がり、地図に顔を近づけたのでノワールは驚く。
背中に「どうかしたのかい」と声がかけられるが、記憶を遡るのに精一杯で返事どころではなかった。旧校舎から迷い込んだ薄暗い場所――、ぴちょんぴちょんという水音――、淡く全体が発光する岩――、そこに棲む不思議な生物――……。
榮太郎は振り向き、不審そうな表情のノワールに尋ねた。
「ノワール候、エーレンベルクに羽のないミミズクのような生き物はいますか?」
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