第2話 変態のレッテル
後頭部の痛みで目を覚ます。
頭をさすりながら辺りを確認すると、そこは旧校舎でも、クラシックな寝室でもない。
石レンガに囲まれた、狭い独居房のような場所だった。
(えーと? ……ああ、そうか。俺は変な部屋に迷い込んで、その結果ここに連れ込まれたのか)
そう理解する。
何故すぐに状況把握が出来たかと言えば、目の前にいかにもな鉄格子があったからと、自分の手が後ろで壁に括り付けられているから。そして、目の前にオレンジ髪のメイドが仁王立ちしていたから、である。
「起きたの、変態」
おお……。
仮にも教職についている身としては、承諾しがたいレッテルが貼られてしまっている。
オレンジ色のショートボブ、少し吊り上がった猫目、高い鼻、白い肌。年齢は榮太郎よりも少し下に見えるので、大学生くらいだろうか。白と黒の古き良きメイド服に身を包んだ彼女は、腕を組み、冷たく鋭い視線を向けている。
正直、こちら側から聞きたいこともいくつかある。
明らかに日本ではないこの場所と、明らかに日本人ではない目の前の女性について。もしくは榮太郎を吹き飛ばした謎の突風についてとか。
しかし、この状況で彼女が榮太郎の疑問に応えてくれるとは思えず、まずは誤解を解いて、ついでに錠も解いていただかなければ話にならない。
「あの、俺は変態じゃないし、悪意をもってあの部屋に入ったわけじゃないんだが」
「じゃあ何の目的でお嬢様のクローゼットに隠れてたのよ」
「お、お嬢様のクローゼット?」
「しらばっくれないで。きょろきょろしながらクローゼットから出てきて、部屋の臭いまで丹念に嗅いで、はあはあ息を荒げていたじゃない。最初から最後まで全部見てたわ」
「……は……? マ、マジか……」
榮太郎は早くも頭を抱えた。正確には腕を拘束されているので、頭を抱えたくなった。
そう見えていたのだとしたら、変態というレッテルは極めて適切だと納得する。
「そもそもこの屋敷にどうやって忍び込んだの。お嬢様の寝室まで行くのに、誰も気づかなかったなんておかしいわ」
「忍び込んだんじゃなくて、訳もわからずあの場所に出たんだ。元々俺は学校にいて、ロッカーを開いただけで……、そう、たとえば時空が歪んでとか、異世界に迷い込んでとか。多分そういうやつなんだよ。服装とか顔つきが違うだろ?」
「そんな本みたいなことある訳ないでしょ」
「いや、たしかに俺もそう思ってたけども」
あまりに分が悪い。
相手の言っていることは全て正論で、おかしなことを言っているのが自分だという自覚がある。じゃあ、どうすればいいのか。ロッカーを開けて思わず足を踏み入れてしまったのは榮太郎だが、それで即牢屋行きとは余りに非情すぎる。
「そうだ。クローゼットの中を見たら俺の言ってることが分かるはずだ。別のどこかに繋がっていなかったか?」
「もちろん確認したわ。お嬢様の衣服が荒らされていたら一大事だもの。……まあ、特におかしなところはなかったようだったけれど」
「お、おかしなところがなかったって……。別の場所に繋がってたりも……?」
「しないって言ってんのよ。しつこいわね」
榮太郎はいよいよ途方に暮れた。
「じゃあ、どうやっても俺の無実は証明出来ないじゃん」
「無実じゃないからよ」
それだけではない。もし仮にメイドの言葉が事実なら、元の世界に帰れもしないということになる。
誤解が晴れたとして、そこから先がない。
脱力し、背面の壁にもたれかかる。
何故こんな目にあうのだろうか。仮にこれが異世界召喚だったとしても、榮太郎は現世に絶望しきっていたわけではないし、なんならこれから教師として成長しなければと奮起していたところだ。
それが訳もわからず迷い込んで、変態扱いで投獄とはひどい筋書きではないか。
この世界にどんな法律が存在しているか分からないが、以前の世界のそれに照らし合わせてみると、不法侵入および窃盗未遂というのはそれなりに罪が重いはずだ。加えて考慮するべきは、メイドが言ったお嬢様という言葉。最初に迷い込んだ部屋の内装からも、個人邸宅に牢屋が用意されていることからも、この屋敷が相当な規模だということが分かる。
たとえばここが貴族の邸宅だった場合、罪はますます重くなるかもしれない。
もしかして既に詰みきってる? と、導き出された可能性に榮太郎が絶望しているところへ――、新たに2つの足音が近づいていることに気がついた。扉が開かれる音がし、オレンジ髪のメイドが視線を向ける。
「お嬢様、ロップイヤーさん」
「ロサ、ご苦労様。状況はどうかしら」
声が返ってくる。
小鳥のような綺麗な声だ。ロサと呼ばれたメイドよりも更に幼い印象がする。
「今、お嬢様の寝室でどのような変態行為を行ったか自白させようとしているところです。あとちょっと口を割りそうなんですけど。もうちょっと手荒にやってもいいですか?」
「…………」
もう彼女の中では、性犯罪者ということでファイナルアンサーになっているらしい。訂正する気力もぽっきり折れてしまった榮太郎は、そのままの体勢でうなだれている。
しかし、入ってきた人物の姿が見えた瞬間――、思わず驚きの声が漏れた。
「えっ、佐々木?」
その呼びかけに、水色の髪の美少女がびくりと体を震わせる。
榮太郎は構わず身を乗り出し、少女へ語りかけた。
「や、やっぱり佐々木だよな? ほら、去年副担任だった松野だ。分からないか?」
少女は困惑した表情で硬直したまま、返答をしない。
そこへ、
「……ササ……、なんですって?」
と、言いながら横に立ったのは、30代ほどの背の高いメイド服の女性だった。
栗色の髪、切れ長の目、頭のところからは兎耳が垂れている。
獣人だすげえ、と感動する余裕は榮太郎にはない。ただ一縷の望みをかけて、懇願する。
「頼むよ、佐々木。ここから出してくれないか」
自然とメイド2人からの視線が少女へと注がれることになった。
背の高い方のメイドが訝しげに尋ねる。
「ウィスタリアお嬢様、お知り合いなのですか?」
まさかそんなことはありませんよね? と言いたいのがヒシヒシ伝わってくる。
ロサと呼ばれたメイドよりも視線はさらに冷淡で、まるで汚いものを見るかのようだ。
「…………」
鉄格子越しに沈黙が流れ、そして小さくため息が吐かれた後に少女は言った。
「一度、2人にしてもらってもいいかしら」
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