九月

一週目――美恵――

 学校に行くことが、こんなにも辛いと思ったのは初めてかもしれない。 

 空渡君の家を飛び出しちゃったあの日から、彼とは何の連絡も取っていない。


 たくさん着信もあったし、家まで来てたのも知ってるけど。

 彼の顔を見てしまったら、自分が抑えられなくなるって分かるから。

 

 だって、それって絶対に迷惑でしょ? 好きな人がやっと見つかったのに、単なるお節介焼きの私が側にいたら、国見さんだって嫌がるに決まってる。


 嫌われたくない、好きだから、嫌われたくない。 

 もう、あの日からずっと泣いてる、泣き続けてるよ。


 だんだんと近づいてくる学校が恨めしくて、一歩が踏み出せない。

 ……帰っちゃおうかな、眠れないし、お腹も痛いし。


「みえぽんおっはー! って、あれ、どしたの? なんか酷い顔してない?」


 肩を叩かれながら挨拶されて、思わず倒れそうになる足を踏ん張る。

 振り返ると、クラスメイトの樋口桜がそこにいた。

 

さくら……ごめん、ちょっと体調不良っぽくて」

「えー? みえぽん元気なのが取り柄なのに、珍しい。大丈夫?」

「……うん、大丈夫、かな」


 桜の方がいつも元気だと思う。

 花火大会の時も大声で話しかけてきたし。

 そういえば、あの時の空渡君、なにを言おうとしてたのかな。


 ――ずっと頭の中にエナがいたんだ。


「……っ」


 期待しちゃ、ダメだよね。

 ちょっと思い出すと胸が苦しい。

 綺麗さっぱり忘れないと、私の存在は、二人からしたら迷惑なだけだろうし。


「マジでキツイんなら家帰る? 別に今日は始業式だけだし、サボっても大丈夫っしょ?」

「……サボったら、お母さんに怒られちゃうよ」

「じゃあ保健室にしとこっか? ほら、空渡君にも知らせといてあげるから――」

「ダメ!」


 彼の名前を聞いて、咄嗟に桜の腕を掴んでしまった。

 

「……美恵?」

「あ、ご、ごめん、心配させたくないから。でも、保健室には、行っておこうかな」

「……ん、分かった。どうする? 話だけでも聞いてあげようか?」


 あの日の私みたいなセリフだ、でも、私のは誰にも打ち明けられない。

 同じクラスメイトなんだから、これからもずっと一緒にいなきゃいけないんだから。


 空渡君と国見さんが付き合っているのをずっと見てるのなんて、辛くて、嫌だよ。

 嫌だけど、あの二人、絶対に良い人だから。

 知ってるから、だって、友達だから、大好きだったから。

 そんな二人が、私が原因でクラスから疎外されるのなんて、耐えられないから。

 

「ちょっと、美恵、本当に大丈夫?」

「……ごめっ、ごめん」

「……一緒についてくからね。なんか今の美恵、一人にしておけない」


 表に出しちゃダメなのに、どうしても出ちゃう。

 こんなに好きになるのなら、最初から関わらなければ良かった。

 あの日、傘を忘れなければ、こんな事にならなかったのに。



「あら、ちょっと酷い顔してるわね」

「……最近、眠れてないんです」

「担任の先生には伝えておくから、ベッドでゆっくりと休みなさいね」

「ありがとう、ございます」


 桜に連れられてこられた保健室、そこのベッドで横になると、嘘みたいに眠気が襲ってきた。

 夢も何も見ない程の熟睡、こんなに眠ったの久しぶりかも。

 空渡君のことも、誰のことも考えないままに、気絶したみたいに深く眠る。


 目が覚めた時には見覚えのない天井で、ちょっと焦っちゃった。

 でも、ここが保健室で、私は寝てたんだって直ぐに思い出す。

 そして、悲しみと喜びが、少しだけ湧いて出てきた。

 

 会わなくて済んだ、このまま帰れば、また明日から土日だから。

 その二日間で、自分自身にしっかりと決着をつけよう。

 忘れないといけない、このままじゃ絶対に忘れられないから。


「あ、美恵起きた? 大丈夫?」

「桜……うん、ぐっすり眠ったら、良くなったみたい」


 間仕切りのカーテンを開けて入ってきた桜は、良かったって微笑んでくれる。

 私よりも日に焼けた顔しちゃって、花火大会以外にも沢山遊んでたのかな。

 髪もソバージュみたいだよ? 凄い波打ってて、日に焼けたんだなって分かる。


「一応先生にもお願いしてさ、美恵がここにいるって事は、クラスの誰も知らないはずだから」

「……そっか、ありがとう」

「あと、いずれ美恵の耳にも入ることだろうから、伝えるけど」


 なんだろう? 桜、リュックの中から一冊の雑誌を取り出してきたけど。

 美容室とかで良く見る雑誌だ、anyan……でも、これが何なの?


「友達だから伝えるんだからね、美恵が心配だから」

「……どうしたの、そんな大げさに」

「これ、美容師特集に、空渡君と国見さんが映ってる」


 一瞬、桜が何を言っているのか分からなかった。 

 でも、数舜して、奪うように雑誌を手に取り、そのページを乱暴に探し当てる。


「――――、本当、だ」


 一ページ使って紹介されたその写真には、私に向けられていたのと同じ笑顔をした空渡君と。

 クラスで見たことのない笑みを浮かべた、可愛い国見さんが映っていて。


 なんだ、もともと私が入る隙間なんてなかったんだ。

 どこからどう見てもお似合いの二人に、なんだかもてあそばれちゃった感じかな。 


 なんかね、もう、全部の気が抜けちゃった気がする。

 期待とか、もしかしたらとか、ちょっとの可能性とか。

 そんなの、これっぽっちも私には残されてなかったんだ。

 最初から分かってた、こうなるって分かってたのに、近づいたのは私。


「朝から美恵、おかしかったから。原因がコレだろうなって分かってたんだけど、でも、一緒にいる時に見せた方が、愚痴とか文句とか、聞くことが出来るから」

「ううん……教えてくれてありがと。良い笑顔の二人だね」

「……気晴らしにどこか行く? 何でも奢ってあげるよ?」

「いい、大丈夫だから。この雑誌、貰ってもいい?」

「うん、いいけど……大丈夫?」

「ふふっ、大丈夫だよ。ありがと。……あーあ、なんだ、私だけか」


 泣いちゃって、後悔しちゃって、一杯いっぱいになるまで考えちゃって。

 バカみたいじゃない、空渡君も国見さんも、私のことなんかこれっぽっちも考えてない。

 彼の中に、最初から私はいなかったんだろうな。

 エナちゃんの代わり、それだけだったんだよ。

 

 だから、エナちゃんが見つかったから、私はもういらないんだ。

 泣くのもやめよう、だって、私が馬鹿みたいじゃない。

 本当に……もう、これで。



 空渡君の靴、まだ下駄箱に残ってたな。

 何をしてるのか、聞かなくても分かる。

 

 教室で二人、あの日の続きをする。

 あそこに入れるのは、あの二人だけだから。


「でも……後ろから声とか、掛けられたかったな」


 何度も何度も振り返りながら、ついぞ何もないままに帰宅。

 未練、どうしても残っちゃうな、どうしたらいいんだろう。


 ……あれ、ポストに何か入ってる。

 ジュニアナショナルチーム推薦のお知らせ? オリンピック強化合宿?

 この前の大会でいい成績だったからかな……合宿、か。

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