隣人トラブル

碓氷果実

隣人トラブル

 怖い話……ああ、私の前の妻が体験した話なら。あまり怖くはないかもしれません。

 私達の間には子供が一人いるんですが、夜泣きがひどくて。

 それで、夜中に妻が子供をあやしていると、

 ドンドン

 と、壁を叩かれるようになったっていうんです。

 マンションですが、隣の話し声や生活音が聞こえたことはなかったですし、そこまで壁が薄いわけじゃないと思います。勿論、赤ん坊の泣き声は生活音とは違うでしょうけどね。

 ただ、少しおかしいのは、子供が泣き始めた途端見計らったようにその

 ドンドン

 が始まるらしいんです。うるさくて目が覚めたという感じではなく、それが夜の十一時でも午前三時でも、まるで待ち構えていたかのように。

 子供が泣き疲れて眠るまで、ずっと一定のリズムで

 ドンドンドンドンドンドン

 って、叩き続けられるそうで。

 それが三ヶ月続いて、いよいよ妻も参ってしまって。私からまずは管理会社に相談したんです。そうしたら、

 隣は空き部屋だっていうんですよ。

 一応、上下の部屋にも話を聞いたんですが、泣き声はごく稀に聞こえるくらいで、迷惑ではないし当然天井や床を叩いてなどいないと。

 だから、育児ノイローゼだろう、無理せず休めって妻には言ったんですけどね。

 ある日、夜の九時頃、私も家にいる時に子供がぐずり出したんです。そしたら


 ドンッ


 と物凄い力で壁を一発叩く――いや、あれは殴るですね。殴る音がして。同時に、


 わあ


 としか表現できないような野太い声がしたんですよ。妻が毎晩叩かれると言っていた壁から。

 壁の向こうではなく、明らかに部屋の中からしている音と声でした。

 そこで、ああ本当なんだって。

 結局、妻は実家に帰り、そのまま心の調子をおかしくして離婚になってしまいました。



 話し終えたUさんに、僕は気になっていたことを訊いた。

「その時単身赴任かなにかされてたんですか?」

「いいえ、どうして?」

「いや、そのドンドンって音の話、全部元奥さんからの伝聞で、実際に聞いたのは最後のだけのようだったので」

「ああ」

 Uさんはふ、と微笑んだ。

「その頃、私は夜はいつも散歩に出てたんですよ。昔の人は赤ん坊が夜泣きしたら母親に背負わせて外に行かせた、みたいなこと言うでしょう。家事も育児も頑張っている妻にそんなことさせられませんからね。だから私が外に行くことにしていたんです」

 本当に優しげな、善意しかないような声と表情で、Uさんはそう言った。



 Uさんの今の奥さんは、現在妊娠中だという。

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