ジャージの天使(男)
藤堂 有
ジャージの天使(男)
この3カ月、深夜1時頃から30分ほどかけて周辺を散歩するのが日課になっている。
コースは、ほとんどを大通りが占める。道沿いに洒落たパブリックスペースも児童公園は無く、高さが不揃いな雑居ビルが多数立ち並んでいる。
そういうご時世だからか、時間帯のせいか、ビルの数の割に明かりは少ない。最も目立つ明かりは夜道を照らす街灯だが、LEDの無機質な白色光ではロマンチックの欠片も無い。
そんな訳で景色を楽しむことはないが、途中とあるビルの1階に入っているコンビニに立ち寄り、ゼリー飲料かホットスナックを買い食いするのが俺のささやかな楽しみだった。
ぼんやりとしていたことは認める。
言い訳がましいが、ここ数日頭がうまく働いていない感じはあったし、少し仕事でミスをしそうになって逆に注意散漫になっていたと思う。
今日くらい散歩しなくても良かったかもしれないと今でこそ思うが、今日はとにかく気分転換をしたくて、いつも通り深夜1時に外へ出た。
道中のことは正直記憶にない。
コンビニに入店しようとした俺は、退店しようとした人に正面から激突しに行ってしまった。
気付いたら俺は盛大に尻餅をついていた。痛みで頭がぼんやりしていたのが急に晴れて我に返る。立ち上がろうとして、先に声が掛けられた。
「大丈夫ですか」
しっとりとして落ち着いた声色だった。顔を上げると目の前に手が差し出されていて、それを伝って相手の顔を見る。黒いジャージを着た長髪の男だった。
男はよろよろと差し出した俺の手を握ると、力強く引っ張り上げて立たせてくれた。礼を言うと、「気にせんとってください」と笑って返された。
男と目線が合う。俺の身長くらいありそうだ。青年という言葉が似合うが、歳を重ねた落ち着きようも感じる。形の良い切れ長の目。その奥に穏和そうな印象を受ける。
一方で全体を見るとがっしりした体つきに見えた。工事現場関係とかジムのインストラクターかなんかだろうか。3カ月ですっかり筋肉量が落ちた俺がぶつかりに行って跳ね返されたのにも納得だ。
男は俺の胸元に目を遣っていた。
「兄さん、社員証ぶら下げとりますよ。物騒なんやし、帰る時くらいしまったら……ん?帰る割にはバッグが無いな。まさかこれから職場に戻るとか言いませんよね?」
「そうですけど」
「いやいやいや。今何時やと思うとるんです、午前1時25分ですわ」
「1時25分……!?戻らねえと」
俺は動揺した。ああ、ツいてない。さっさともう戻らなくては。ここまで散歩に来て残念だが、今宵はコンビニの買い食いは諦めよう。
訝しむ表情を浮かべる男をよそに、俺は背を向けて来た道を戻ろうとした。
背中に困惑の声が刺さる。
「ちょ、ちょっと待ってください、時間を気にしとる場合ですか!兄さん、目どころか顔死んどる!そのままやとぶっ倒れる!コンビニで何か買うつもりやなかったんですか!?」
「生きてるよ。……失礼、コンビニは入るつもりでしたけど、気が変わったので。ぶつかったのは申し訳なかった。急いでるんで。じゃ、」
「あかん」
左肩をがしりと力強く掴まれ、半ば強制的に振り向かされた。仰け反りそうになるのを革靴の踵で必死に踏ん張りながら、思いのほか至近距離に男の顔を見遣った。
男の長い髪がまだ揺れている。
ぶつかったことを今更怒っているのかと思った。が、様子が違う。男の顔は真剣だった。
「俺には分からんえらいきつい仕事をしとるのだろうとは推察します。百歩譲って仕事に戻らないといけへんのも分かる。けど、このままじゃ兄さん死んでしまうんやないかと思うほど、顔に生気がないし、力も弱々しい。もし兄さんに自覚が無いんやったら、相当えらい状態と思います。まずは休んで下さい」
俺の肩を掴む手に力が入る。正直痛い。休むまでこの手を離さんぞ、という無言の圧を感じる。お前は俺の何だよ。
手を振り払って逃げようにも、今の俺では力も体力もこの男には敵わないのは自明だった。
だが、仕事の事で頭がいっぱいだった。何本もの会議の調整、提出資料のチェック、挨拶回り、締め切りが迫る校正確認……あとは本来の業務たち。やはり早く帰ってできる限りタスクを減らしたい。
明日には、山のように追加されるのだから。
「俺の家はこの辺じゃないんだ。休むにしろ、職場に戻るしかないんでね」
「あかん言うとるのに」
再び思い立って戻ろうとするが、肩を掴んだ手は離れない。俺は男の片手だけで元の位置に戻されるだけだった。
「ここで休みましょう。2階にイートインがあるんです。休むくらいなら使ったってええやろ。兄さんはとりあえず座ったほうがええと思うので。それに、」
男はにっこりと笑った。
「このご時世やから、人に会うことほとんど無うて。俺大学生なんですけど、オンライン授業しか無うて。久々に人に会うたら人恋しくなってしもて。少し一緒にいませんか。頼んます」
いつものようにゼリー飲料を買ってから、男に連れられ2階のイートインへ上がる。
部屋の一面はガラス張りで、その面はカウンター席になっていて、そこへ2人揃って座った。
ゼリー飲料の飲み口を開けながら、外を眺める。
屋内の方が明るいせいで、ガラスに部屋が反射して俺と男の姿が映っている。反射していない部分から見える外は暗く、人も車もその姿は見当たらない。静かだ。
街灯は変わらずアスファルトだけを照らし続けている。が、その白色光が無機質だとはもう思わなかった。
ジャージの天使(男) 藤堂 有 @youtodo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
メロンが食べたい/藤堂 有
★6 エッセイ・ノンフィクション 連載中 10話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます