四谷左門町 女装男怪奇譚

タルタルソース柱島

鬼の神蔵

「物の怪?」

「然り! 聞け。神蔵の旦那」

「四谷左門町にぞ、いづるぞ。身の丈二米十糎ほどの物の怪がよ」

ある日のことなり。

 同僚の又之助の珍妙なる物語持ちいだしきたり。


「聞くところによると丑三つ時に長屋の辻に立たば、舞を披露せりとてんなり」

又之助といふ男は、怪物語恋し。

 昔より物なりの幽霊なりのといふ物語には目の無き男なり。

 その割は、臆病者にてありぬべくもまあ武士などこそあれな。とかたへ内には間隙が笑ひの種になれることもしばしばあり。

 その点、この我『神蔵新左衛門』と言はば、武士の中の武士、勇猛さには他の追随を許さぬほどの武士と思ひ上がれり。


 生まれがいま少し疾くば、戦国大名にもなれしに違ひなしと思ふと、げに歯痒き心地になる。

「なんでぇ。その巨漢が舞を披露したればとて、物の怪の類と定まりしよしならざらむ?」

確かに二米十糎などといふ規格外の身の丈は脅威なり。

 熊もこそ。などと思はずも無けれど、城下にさる知らせは上がりたらぬが腑に落ちず。

「うたてき、それ物の怪と」


又之助の語るには、その舞ひ踊る巨漢は丑三つ時のほかにうちいでず、見し者はさほどの衝撃より立ち直られず、夜な夜なうなされ、やがて衰弱死すといふ。


 始めの犠牲者は、蘆山家に勤めたる武士の孫八なりき。

 火急の用があひて、夜半に四谷左門町の長屋を通りしほどななり。


 舞ひ踊る巨漢を目にし、さほどの奇天烈珍妙かつこの世のものとは思はれぬさまに絶叫しぬ。

 そのさまは、地獄の底より這ひいでし悪霊のごとかりきといふ。


 その数日後、孫八は死にき。

 いまだ童もいわけなきに哀れなることなり。


 次の犠牲者は、宮前屋の若旦那といふ。

 なほ丑三つ時に、長屋通りかかり、舞ひ踊る巨漢を目にし卒倒。

 あした、川べりに廃人めけるところを見つけらるれど、心に深き傷を負へるなどに、数日後に自害せりといふ。


「来にけるよしなれど」

「鬼の神蔵の旦那が同じならば、安、安、安穏なり!」

又之助の声わななけり。

 なになり。畏くばやめおかまし。

「あな、さりな。悪鬼悪霊ごとき人に仇なす不心得者には引導を渡したりやらねうぞ」

ひとへに死者の国に足踏み入れきべくゐ返る長屋。


 日中、民の声の絶ゆまじきかたにむつかしき空気たゆたふ。

 ゆゑは、袴を掴みて離さぬ又之助がためなれど。


「されど夜半の街中たぁ、をかしく我は恋しかし」

時折、虫の声ばかりきこえ、月明りに照らしいださるる通りは白と黒の対比麗し。

 夜半は寝るためばかりのものと思ひたれど、こはなかなか乙なるものなり。


「又之助?」

ふと我に返ると又之助が立ち止まり、動かず。

ただ一点のみまもり、微動だにせぬなり。

立ちしまま寝にけりや、と思ふ際に微動だにせぬなり。

「いかがせるなり・・・・・・」

さて初めて、又之助の目差の先を見き。

大いなる影が視界に入る。


時の止まりしやのごとがりき。


そこには・・・・・・。


「さる夜半にお散歩に行きて、何に行合へども?」

「鬼の神蔵ともあらむものが、夜ごとうなされたるゆゑは」

武家屋敷、昼餉時ならむや。

 鬼の神蔵が病に伏すればいふ物語の出回るは疾かりき。

 なんせ、かの豪快を絵に描かむ男なり。

「舞ひ踊る巨漢なりや?」


「あな。すべて女のかたちせる極度に太りしふつつかなる男のごとし」

「それが聞きてくるみきと」


「我は麗しからむぞ?」

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