深夜の出会い
紗久間 馨
彼が気づかせてくれたこと
「おねーさん、ここで雨宿りしていきなよ」
ゆったりとした口調で話しかけてきたのは、20代後半くらいの男性だった。湿気のせいなのかパーマなのか、柔らかそうな髪がふわふわと広がっている。おっとりとして優しそうな雰囲気を持っている。細身で背が高く、顔もそれなりに良い。
「あ、すみません。ありがとうございます」
アカリはそう言って、彼が顔を出した店の入り口に駆け寄った。急に降り出した大雨に、傘を持たずに家を出たことを後悔していた。
その日は心がざわついて、なかなか眠れなかった。いつもなら寝ているはずの時間でも、ちっとも眠たくならない。日付はとっくに変わってしまっていた。
大学4年生のアカリは就職活動がうまくいっていない。周囲では「内定をもらった」という声が次々に聞こえてきた。
様々なセミナーに参加し、対策もしっかりとおこなっている。一生懸命に努力しても『残念ながら』という内容のメールばかりが届く。
「あなたはこの社会に必要のない人間です」と言われているような気がした。
翌日も面接が控えているので寝なければと思うのに、緊張と不安で眠ることができない。体を動かせば眠れるかもしれないと外に出た。
深夜といえども夏の熱気は冷めず、歩いているとじんわり汗をかく。できるだけ街灯のある道を選んで進む。暗く静かな街は、昼間とは全く違って見える。
突然、湿った強い風が吹き、遠くから雷鳴が聞こえた。雨の気配を感じ、急いで帰ろうと走った。しかし、想像以上に早く雨に降られてしまった。
何もうまくいかない。泣き出しそうになっていたところで声をかけられた。
店内には、白・黄・ピンクの落ち着いた色の花が置いてある。こんな時間にやっている花屋なんてあるのだろうか、と疑問に思った。
「これ、どーぞ。使って」と彼はタオルを差し出した。そして、木製の丸椅子に座るように促した。
アカリは「すみません」と言ってタオルを受け取り、濡れた頭を拭く。タオルに『花のサクライ』と書かれていて、この店の粗品なのだと分かる。
「やー、急に雨に降られると困っちゃうよね」
彼は困っていないような口調でそう言った。
「あの、こんな夜中に花屋さんって開いてるものなんですか?」
アカリは疑問を口に出した。
「今日はたまたまだよ。いつもは開いてないんだ」
「そうなんですか」と返事をしながら、そもそもこの辺りに花屋なんてあっただろうかと記憶をたどる。
「きみは? こんな時間にどうしたの?」
「あー、ちょっと眠れなくて」
「なんか悩んでるみたいな顔だね」
「えっ? そんな顔してます?」
彼は大きく首を縦に振って「話してみたらスッキリするかもよ?」と言った。
アカリは話してみようという気になった。誰でもいいから話を聞いてほしいと思った。
ぽつりぽつりと就職活動の話をする。彼は頷きながら聞いてくれていた。
「もっと力を抜いたらいいと思うよ。たぶん緊張しすぎて硬くなりすぎてるんじゃないかな」
アカリが話し終わると、彼はそう言った。
「でも、早くしないと企業の採用活動だって終わっちゃうし、このまま就職できなかったら?」
「だからって無理して就職先を決めて、その先は? きみは後悔しない?」
彼のその発言に、アカリは言葉を詰まらせた。後悔はするかもしれないと思った。
「きみにとって就職がゴールなの? やりたいことはちゃんと見えてる?」
痛いところをつかれて、ぐうの音も出ない。
浴びせられる正論に嫌気が差した。
「もういいです。あなたに私の気持ちなんて分かるわけないですよ。タオルありがとうございました」
アカリは早口で言って、まだ雨の止まない中を走って帰った。
結局、その日は一睡もできないままで面接へと向かった。またどうせダメなのだと思いながら。
それまでの面接とは違い、本来の自分のままで受け答えができたように感じる。心の底からやりきったと思えた。
帰り道、花屋の彼に謝ろうと考え、同じ道を歩く。だが、あるはずの場所に花屋はない。道を間違えたのかと周辺を歩き回っても、どこにもない。
「すみません。この辺に花屋があるはずなのですが、知りませんか?」
近くの小さな商店で店番をしている婦人に尋ねる。70歳前後のように見える。
「ああ、昔はあったけどね。何年も前に無くなったよ。いつだったか・・・・・・」
アカリは背筋が凍るような感覚に襲われた。
「あそこのご夫婦とは付き合いがあったんだよ。でも、10年くらい前に息子さんが亡くなって、店を畳んで引っ越してね。それからのことは分からないのよ」
アカリが口を挟む隙もないほどに、婦人は話し続ける。
「若いのにねえ、過労死らしくてね。ほら、あの、有名な会社で、なんて名前だったか・・・・・・。ブラック企業とかいうところだったらしくてね」
次々に発せられる言葉に、めまいがした。
「あの、その花屋があった場所ってどこですか?」
やっとの思いでそう尋ねて、アカリは教えてもらった場所へと向かう。
やはり場所は間違えていなかった。その花屋のあった建物は、錆の目立つシャッターが閉まり、看板もない。分からなくて当然だ。眠れないという設定の夢を見ていたのではないか、とすら思った。
シャッターの下から何かはみ出しているのが見えた。近づいて見ると、アカリが借りたのと同じタオルなのだと分かった。
そういえば、置いてあった花は全て菊だったような気がする。怖くなり、急いでその場を離れた。
帰宅すると、脱ぎっぱなしの濡れた服があり、夢ではなかったのだと思い知らされる。昨夜、話したのは何者だったのか。深く考えるべきではないと悟り、就活サイトを閲覧することに集中した。
「やりたいことは?」「後悔しない?」
彼の言葉が頭から消えず、自己分析をやり直してみることにした。すると、自分の気持ちとは全く違う就職活動をしていたことに気づく。焦るあまりに初心を忘れていた。
アカリはその日から新たな気持ちで再び歩き出した。
深夜の出会い 紗久間 馨 @sakuma_kaoru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます