六不思議
春雷
第1話
「知ってるか、このビルの六不思議」と同僚の佐々木が言ってきた。
「何だよ六不思議って。七不思議じゃねえのかよ」
「何故七じゃなく六なのかって謎も加えれば、七不思議になるな」
俺たちは、明日使うプレゼン資料を作るため残業していた。現在、夜の七時。早く資料を作り上げて帰りたい。それにしても、人はどうしてやりたくない仕事を先送りにしてしまうのだろう。後々苦しむとわかっていてもなお、やりたくないことを先延ばしにする。絶対コツコツやっていた方がいいのに。人間って学ばないなあ、なんて、そんな普遍的な結論を得ようとしたが、実際はそんな大層な話ではなく、単に俺が怠け者なだけである。そういえばナマケモノにナマケモノって名付けた人は、結構凄いセンスをしているなあと思う。そういうド直球な名前は嫌いじゃない。けど、名付けられた当人は堪ったもんじゃないだろうね。本来なら人間こそがナマケモノと名付けられるべきだったのかもしれない。
とか何とか、そんな益体のないことを考えている場合ではない。益体のないことを考えている時というのは、大体において現実から逃避したい時だ。俺は今、この面倒くさい現実を逃げ出したい。
「ああ、終わんねえな。もっと早くに始めりゃあよ」と俺は嘆く。嘆いても現実は変わらない。助けてドラえもん。困った時のドラえもん頼み。
カタカタとパソコン画面に文章を打ち込む。使用ソフトはワードである。この資料を書き終えてもまだ、パワーポイントを作らなければならない。どうなっているんだちくしょう。全然終わらねえぞ。進まねえぞ。むしろ後退している気さえするぞ。
「なあ、六不思議、気にならないの?」
佐々木が背後から声をかけてくる。
「うるせえな。忙しいんだよ今。お前も手動かしてくれよ。もうやばいんだよ。追い詰められてるんだよ。マジで俺の首飛ぶってこれ」
「つってもなあ。俺のプレゼンじゃねーしなあ」
「すまんわかってる。次の飲み会奢るし合コンもセットするしお前の頼み事もちゃんと聞くから。申し訳ないけどパワポ作ってくれー」
「ふふ、必死だねえ」
「うるせ」
「じゃあ六不思議の話聞いてくれたらいいよ」
「どんだけしてえんだよ、六不思議の話」
「聞いてくれる?」
「聞く聞く。聞くから資料作ってくれよ」
「OK」
佐々木は語り出した。
「このビルが建っている土地は元々、沼地だったんだ。その沼地を埋め立てて、ビルをいっぱい建てたわけだね。で、その沼地ってのが底なし沼だってんで、人々が色々なものを捨てたらしいんだ。家庭で出るごみはもちろん、タンスや自転車、廃車、テレビにラジオ、死体さえも捨てた。果ては、姥捨て山のように……、まあ、とにかく色々なものを捨てたわけだね。その沼は人々が捨てるものをすべて飲み込んだ。学者が調査したところ、本当に底がないのかもしれないという結論になった。学者のお墨付きというんで、いよいよその沼への廃棄はエスカレートし、殺人が多発したんだ。この沼に捨てれば完全犯罪になる、ということでね。そうなると街の治安が大変なことになる。政府はついに沼に蓋をすることを決断した。そして沼は埋め立てられることになったんだ」
「うーん、本当かよ、その話。てか、いつの話だよそれ」
「戦後すぐくらいだろうね」
「ふうん。じゃあ、つまりこのビルの下には底なし沼があって、たくさんの死体が沈められているっていうことか」
「そゆこと。だから怨霊がうじゃうじゃいる、ということになるね。大抵は殺されたり捨てられた人だから」
「悲しい話というか、残酷な話だな」
「その悲しい話が六不思議を引き起こすベースとなっているというわけ」
「なるほどねえ。で、その不思議ってのは具体的には?」
「一、時計の針が止まり、そのまま時が凍らされる」
「何じゃそりゃ」
「二、空間が歪み、騙し絵のようになる」
「そりゃ楽しいな」
「三、喉が異常に乾く、腹が減る」
「それ何かしらの病気の兆候なんじゃねえの」
「四、謎の音が聞こえる」
「謎の音って。それありかよ。もっと具体的に示してくれよ」
「五、暗闇に包まれる」
「それは普通に怖いな」
「六、ビルが沈む」
「ええ……。沈んじゃうの?」
俺は佐々木の話に突っ込みを入れながら、資料も作成していた。我ながら器用な奴だ。
それにしても、六不思議の内容、七不思議的なものとはかけ離れ過ぎている感があるな。一体誰が創ったのか。もっとわかりやすくて怖いものにすりゃ良かったのに。ビルが沈む、なんてハリウッドじゃないんだから。不思議シリーズにそんなスペクタクル要らねえだろ。
しばらくカタカタとキーボードを叩く音だけが聞こえた。早く帰りたい。
時間を見ると、八時になっていた。いつの間に。時間が過ぎるのが早い。
俺は後ろを振り返って、佐々木に進み具合を尋ねようとした。
しかし、佐々木はいなかった。誰もいないデスクがそこにあった。
「あれ……?」
てか、そもそも、佐々木とは一体誰だ。今日は俺一人で残業していたはずじゃ……。
はっとして、壁にかかっている時計を眺める。一分を心の中で数えながら、じっと時計を見た。
動いていない。
長針も短針も微動だにしない。故障だろうか。俺はスマートフォンを取り出し時刻を確認する。動いていない。八時ちょうどで止まっている。そんなことあるか?
時が凍らされた?
次に、視界に変化が生じた。デスクが伸びたり縮んだりし、壁掛け時計はでろんとチーズのように溶けた。慌ててフロアを飛び出し、非常階段へ向かって見ると、途中まで階段は普通に上へ下へと伸びているのだが、いつからか方向を変え、上へ伸びる階段は下へ、下へ向かう階段は上へと反転していた。これじゃあ外には出られない。
いや……、冷静になれ。幻覚を見ているだけだ。残業でちょっと疲れているだけ……。
それにしても……、何だか喉が渇くなあ。腹も減って来た。まあ昼から何も食べてなかったからなあ……。ああ、腹が減った。空腹だ。水も飲みたい。とにかく何でもいいから飲みたい食べたい。
「あああああ!」
俺はがむしゃらに階段を駆け下りた。一階に行かなければ自販機はない。ここは三階。一階まで行く時間さえも惜しい。それほどに喉が渇いていた。
「くそ、くそ、くそおおおお!」
しかしどうしてもたどり着かない。体感百階分は降りたってのに、全然一階まで辿り着かない。
「くそおおおおおおお!」
そう怒鳴っていると、何やら奇妙な音が聞こえてきた。
べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。
何の音だ……?
べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。
「おいおいこりゃあ何の音だよ。誰かいるのかあ⁉」
その音は次第に大きくなって、俺の耳元で鳴り続ける。
べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。
「その音をやめろおおおおおお!」
喉が渇き、腹が減り、苛立っているんだ俺はよお。
怒りに身を焦がしていると、視界が暗くなった。
停電か?
辺りは暗闇に包まれた。何も見えない。
ただ、あの音だけが聞こえている。
べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。べちょ、びちゃ、べちょ、びちゃ。
それに、新たな音が加わった。
ずぶぶぶぶぶ、という音だ。
何かが……、そうだ、何かが沼に沈んでいくような……、そんな音だ……。
沈む……。沈んでいく、のか……?
助けて、助けて誰か……。
神様……。
俺は手を合わせていた。困った時の神頼みという奴だ。
ああ、何で、どうして俺が……。
そこで俺は気が付いた。
そうか……、資料を作れなかったから……。
俺が使えない社員だから……。
そうかぁ……、それで……、
沼に捨てられるのか。
六不思議 春雷 @syunrai3333
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