深夜の散歩で起きた出来事

千石綾子

深夜の散歩で起きた出来事

 桜が咲いている。満開の桜だ。

 でも、おかしい。今はまだ3月のはじめ。梅が咲いたという話は聞くが桜が満開になる季節じゃない。

 河津桜かわづざくらという早咲きの桜はあるが、これは明らかにソメイヨシノだ。

 僕は夢を見ているのだろうか。



 これは今日、深夜の散歩で起きた出来事だ。


 どうにも眠れなくて、深夜にひとりで散歩に出た。月の光が明るい夜だ。最近随分と暖かくなってきていたが、夜はひんやりと空気が冷たくて少し寒い。

 人恋しい気持ちになり、足が自然とコンビニの方へ向いた。その途中にある小さな公園で、僕はこの不思議な光景を見つけたのだ。


 満月に照らされて、白く浮かび上がる桜の木。霞むようなそれは満開で、妖艶でもあり幽玄でもあった。

 あまりに美しくて、しかし近寄りがたくて僕は少し離れたところからぼんやりと見つめていた。すると、人の気配と話し声がするのに気が付いた。思わずジャングルジムの滑り台の後ろに隠れた。やましいことはないけれど、見つかると何か面倒な気がしたのだ。


 果たして僕の予想は的中した。桜の木の下に近付いてきたのは「死神」だった。いかにもというその姿。右手に大鎌を持ち黒いローブを纏った骸骨だ。

 そしてもう一人、死神の横に誰かが立っていた。見つからないようにそっと覗き見ると、それは若い女性で、病院で入院患者が着る白い服を身に着けていた。

 彼らも月の光を浴びて白く光って見える。幻想的ではあるが、僕は恐ろしさに足が震えそうになっていた。


「どうだ、最後の願いは。この桜が見たいと言ったが、本当にそれでよかったのか?」


 くぐもった声で死神が問う。青白い顔をした女性は静かに頷いた。


「この桜が見られないっていう事が心残りだったから……」


 どきりとした。死神は彼女の元へ来たのだ。そして魂を連れていく代わりに最後の願いを聞いてやるのだろう。


 それにしても彼女は落ち着き過ぎている気がした。僕だったらみっともなく、助けて欲しいと泣き叫んで懇願しただろうに。


「復讐してやろうとは思わないのか? お前に病気をうつした奴やお前を助けられなかった医者に、痛い思いをさせてやっても良いんだぞ」


 すると彼女は穏やかに微笑んで言った。

 

「伝染病だもの。いつ誰がかかってもおかしくない世の中だし……。先生は精一杯やってくれたわ。私は感謝しているの」


 僕は泣きそうになった。いや、実際に涙が流れていた。全く知らない人なのに、彼女の死が悲しくて仕方なかった。

 こんなに優しい心を持つ人があんなに若くして命を落とすなんて、余りにも理不尽な世の中だ。


「じゃあ、もしも命が助かるとしたら?」


 死神は目を細めた。とはいえ骸骨なので実際には表情は変わらないはず。しかし僕にはそう見えた。

 そしてその言葉に反応して、女の人がはっと顔を上げる。


「私は魂を1つ回収できればそれで良い。例えばこの場にたまたま居合わせた、不幸で間抜けな男の魂でもな」


 なんてことだ。僕はもうとっくに死神に見つかっていたのだ。

 一方、女性は僕に気付いていなかったらしく、驚いた顔できょろきょろと辺りを見回している。

 僕が滑り台の陰から姿を現すと、心底驚いたような顔で息を飲んだ。

 

 僕の魂を差し出せば、自分は助かるのだ。迷う事はないだろう。

 彼女が死神に連れて行かれるのは悲しいが、自分が代わってやろうとは思えなかった。僕は心が狭いのだろうか。今から走って逃げられるだろうか。

 そんなことを考える僕の方へ、死神が近付いてくる。

 嗚呼、とんだ場面に居合わせてしまったものだ。恐ろしさや焦り、悲しさなど色々な感情がごちゃ混ぜになって、僕は言葉を失った。


「──いいえ、結構です」


 彼女の返事は予想に反したものだった。死神は目を丸くした。

 もちろん死神は骸骨だから瞼はないのだが。


「生きたいとは思うけれど、他人の人生を奪ってまでは望まないわ」


 彼女はきっぱりと言い放った。


「桜を見せてくれてありがとう。もう、充分です。連れて行ってください」


 彼女は死神へ向き直り、真っ直ぐに見つめた。僕はほっとしながらも、彼女が心配で目を逸らせずにいた。このまま彼女は死神に連れて行かれてしまうのだろうか。


「もう良いというのか。わざわざ桜まで見せてやったのに。ならばせめてもう少しゆっくり眺めれば良いだろう」

「桜が散るところは見たくないの」


 彼女は寂し気にそう言った。死神はそんな彼女を黙って見下ろしている。そしてわざとらしく大きなため息をついた。


「──実はな、我々死神には決まりがある。願い事を叶えているところを、他人に見られてはいけないのだ」


 僕はしまった、と思った。口を封じられる可能性を忘れていた。咄嗟に身構えたのだが、死神は僕のことなど完全に無視して話を続けた。


「分かり易く言えば、こうして目撃されたらわしの「負け」だ。その魂を連れていく事はできない」


 何という事だろう。僕は嬉しすぎて胸が痛くなってきた。

 彼女もどうやら死神の言っている意味が分かったようだ。その目が大きく見開かれた。


「──ありがとうございます!」


 大きくお辞儀をしてみせた。死神と、僕の方にまで。


「礼などいい。またいつか来るからな。せいぜい身体には気を付けるがいい」


 ばさり、とローブを翻し、彼女に背を向けた。


「やれやれ、とんだ邪魔が入ったものだわい」


 死神は骨の指をパチンと鳴らす。すると彼女は忽然と姿を消した。どことなく儚げに見えたのは、彼女が魂だったからなのか。今頃は身体に魂が戻っているのだろう。


 不思議と死神は機嫌が良さそうにあっさりと姿を消した。その瞬間、僕の方を向いてウインクしてみせた……ような気がした。



                 了


(お題:深夜の散歩で起きた出来事)

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深夜の散歩で起きた出来事 千石綾子 @sengoku1111

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