残りわずかな時を過ごす

鈴木怜

残りわずかな時を過ごす

 春から都会に出ることになったので、どうしても実家を、田舎を味わいたくなった。

 三月とはいえ、夜は冬かと勘違いするほど冷える。真冬にもお世話になったコートを羽織って、外に出るタイミングをうかがった。

 親が寝静まってから、こっそりと家を出る。

 夜の地元は、知っている景色だったのに、別世界のようだった。

 明かりがなくて先がびっくりするほど見えない道。

 そこにあることだけが、音と匂いで分かる木や草。

 まだ起こしただけで本格的な作業は何もしてない田んぼ。

 すべてが、間近に迫らないと見ることができなかった。

 暗闇の世界というものは、案外近くにあることを知る。自分が、愛する田舎のことをすべて理解してなかったことに驚く。

 夜の田舎は、地元は。そんな世界だった。

 ……ああ、と吐息が漏れる。


 自分の知らないことなんて、都会にいかなくてもこんなにあったんだ。


 そんなことを考えながら歩いていたら、川についた。

 水が流れる音がする。自分の知らないところでも、見えないところでも、同じことをやり続けているものもあると知る。

 きっと、親はこの土地で生きていくんだろう。この道をこの先も何度も通って。この川と同じようにして、時を過ごすのだろう。


「それがいいとか、悪いとかじゃないんだろうけどさ」


 自分の声だと気がつくのに、驚くほど時間がかかった。

 そんな言葉が出るなんて、考えたこともなかったからだ。

 そうか、そうだったのか。


「思ってたよりも、ずっとずっと、ここが好きなんだ」


 居場所はここじゃなくなるけれど。

 もっと別の場所で生きていくけれど。


「いつかは帰ってきたいんだなあ、ここに」


 たいしたものはない。なんならあるものを数えた方がないものを数えるよりも速くなるかもしれない。

 それでも、長いこと過ごしたこの土地には愛着があった。

 空を仰ぐ。オリオン座が見える。くっきりとだ。きっと、都会ではこんなに綺麗に見えないだろう。そう思えるくらいの星空が、そこにあった。

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残りわずかな時を過ごす 鈴木怜 @Day_of_Pleasure

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