その怪異は科学です!

うめもも さくら

令和から召喚された私は稀代の陰陽師の弟子になった

 月の明かりが、ひとけのない夜道を煌々こうこうと照らす。

 私が招かれたその豪奢ごうしゃな屋敷は、見るからに絢爛豪華けんらんごうか、造りはマンガや映画で見た平安の世、そのもの。


「頼む、陰陽師おんみょうじ!このままじゃ、あの月が無くなってしまう!!」


 情けない声をあげながら、陰陽師の装束しょうぞくに身を包んだ私にすがりついてきているのは、この国の高位な貴族だ。

 殿上でんじょうできる貴族の中でもかなり上の立場のこの男は今、決して宮中きゅうちゅうでは他者に見せられない表情をしている。

 ふすまの隙間からかすかに見える月を、貴族はしきりに覗いては、頭を抱え、落ち着きなく部屋の中を右往左往うおうさおうしている。


「先日の歌合わせで我が家のことをあの月に例えたんだ!そうしたら何故だかわからんが、いつもふくらんでいくはずのあの月が突然、しぼんでいってしまったのだ!」


 目の前の貴族はひどく動揺している。

 不安のあまり、怒鳴るようにうったえる貴族のつばがかかりそうで、私は持っていたおうぎを自身の顔の前に軽く広げた。

 すると今度は、貴族は崩れ落ちるように膝を床につけて、項垂うなだれる。


「前は大きくなっていったというのに、今じゃ、あんなにも細くなってしまった。これでは、あの月に、この家の栄華が私の代で終わってしまうと言われている心地だ!陰陽師、そなたの力で、今すぐあの月を膨らませてくれ!」


 哀れなほど弱った瞳で、私を追い縋るようにみつめてくる貴族をちらりと見やって、未だ口元に当てていた扇に向かって、小さく溜め息を吐きかける。


――この貴族ひと、悪い人じゃないんだけど、いっつもタイミングが悪すぎなんだよなぁ。今回は月……月を膨らませるなんて令和の世でも無理だよ。なんで、これから新月に向かうって時に、わざわざ月に例えちゃうかなぁ……。


 月には上弦と下弦っていうものがあってね、と説明しても聞いてはくれないし、理解もしてもらえないだろうな。

 そもそも、宮仕みやづかえの陰陽師に向けた高位な貴族の、やってくれ、頼む、は命令と同じ。

 荒唐無稽こうとうむけい無理難題むりなんだいでも、成し遂げなければ、その貴族の望みを叶えることができなければ、罰されるのは私、陰陽師の方だ。

 再び溜め息を吐きつつ、心の中だけでぼやく。


――どの世界でも、無謀な上司を持つと大変だし、どの世界でも、お役所仕事ってのは面倒なものだ。


 不平不満ふへいふまんを並び立てても仕方ないとは思えども、下弦の月を今すぐ満月になんて到底できやしない。

 月が満ちては欠けて、欠けては満ちるなんて令和の世じゃ常識。

 子供でも知っているレベル。

 つまりは当然の自然の摂理せつりってやつだ。

 しかし、この国の人たちにとっては全てが怪異かいい、神の怒り、物の怪や鬼の仕業になってしまう。

 つまり、月が消えてしまう怪異を解決しろと言われてるわけだけれど。


――その怪異、科学です!!


 科学っていうか理科のレベル、小学生で習う範囲だと思う。

 どうしたものか、と頭を悩ませつつ、少しばかり眉を寄せて思案する。

 いくら科学の発達した令和でも、月を膨らませるなんて到底とうてい無理な話だし、そもそも令和の人たちはやろうとも思わない。

 つまり絶対できない。

 そもそも私には超常的な力などないし、あったところで月の満ち欠けを狂わせるなんてやろうとも思わない。

 ならば、今の私にできることは一つだ。


――どうやってこの貴族を言いくるめて、さっさとけむに巻こうか。


「ほら!早くしてくれ!!我が家に何かあれば、果てはこの国の損失になるのだぞ!」


 不安に耐えきれなくなった貴族が、早く動け、と私をせっつく。

 私はそんな貴族を緩慢かんまんな動きで見やって、つとめて静かな声音をつくり、ゆっくりと言葉をつむぐ。


「……御館様おやかたさま貴方様あなたさまの歌はまさしく、その通りなのでございます」


「……どういう意味だ?」


「あの月は細り、そして、明日の夜頃には見えなくなります。けれど月は、また時間をかけてゆっくりと膨らんでいくのです。それは変わることのない流れなのでございます」


 私の言葉に、貴族は未だ不安そうな顔はそのままに、それでも私の言葉をさえぎることなく、静かに耳を傾けている。


「たとえ、細くなり見えなくなろうとも、消えることなく、ついえることなく、そしてまた光り輝くその月は決して無くなることはない。そう、まさにこの家のように」


 私の答えが進むにつれ、貴族の顔は晴れたものになっていき、次第に憂いに満ちていた瞳をキラキラと輝かせていく。


「月は変化こそしていけど、決して消えることのない不変なもの。それこそまさしく、この屋敷の栄華そのものではありませんか。まさに貴方様の詠んだ歌のとおりなのですよ」


 その言葉を幕の締めとして、できるだけ彼が安心できるように優しく微笑みかけた。

 結果としてこの後、私の言葉に気を良くした貴族からは、たくさんの報酬とお土産をもらって私は家路につくことになった。

 この世界で私は、陰陽師を名乗ってはいるが、令和の世でよく見かけたアニメやドラマのような特別な力は、残念ながら持ちあわせていない。

 そんな私が陰陽師として働けているのは、令和の知識を駆使しているから。

 令和の世では当たり前の常識も、この世界ではまだ、解明できない謎、不思議な出来事であることが多い。

 そして、その解明できない謎や不思議な出来事は全て怪異、鬼や物の怪の仕業として陰陽師に仕事の依頼がやってくる。

 師匠の手が回らない時、弟子の私がまず様子を見に行く。

 今回のように、私の口八丁で解決できることもある。

 そうやって、今、私はこの世界で暮らしている。

 そしてこの世界で、身寄りもこの世界の知識も皆無だった私が生きていられるのは、師匠の存在が何よりも大きい。

 それにしても、今日の仕事はなかなかに頭を使ったから糖分がほしい。

 早く帰って師匠の作ったお菓子を食べよう。

 そんなことを思いながら、赤く美しい一条戻橋いちじょうもどりばしを抜ければすぐ、今、私が暮らしている師匠の家にたどり着く。


「おかえりなさい、愛弟子まなでし。よく道草を食わずに、また危険なことに出くわさずに、平穏無事に帰ってきてくれましたね。お菓子、用意してありますよ」


 師匠はいつも、柔和な笑みをたたえて、私の帰りを出迎えてくれる。

 陰陽師として令和の世まで名を馳せている師匠には不思議な力があり、私のことは何でもわかる。

 最初の頃は、なんでわかるのか、どこかから見ていたのか、と驚いていた私だったが、もう慣れた。

 いつものように優しく部屋に誘う師匠に、私もいつものように、にっこりと笑って言葉を返す。


「ただいま、晴明ししょう


 令和の世から、何故か突然、チュートリアルもないままに、異世界に降り立ってしまったらしい私は、稀代きだいの陰陽師、安倍晴明あべのせいめいの愛弟子として楽しい日々を送っています。


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