天気雨、夜に泣いたら只の雨。
置田良
突然、
SNSアプリではない通話機能なんて久しく使っていない。なぜか息をひそめながら、寝れなさ過ぎて晩酌用に酒を取りかけていた冷蔵庫の扉を閉じる。
ディスプレイに表示された名前は、高校三年になったころからもう何年も疎遠になった幼馴染の名前だった。家が隣同士というほどではないが、小学生の頃は登校班が同じであった程度には近所に住んでいる。たしか大学へも実家から通っていたはず。
リビングから自室に戻りつつ、電話に出た。
「もしもし?」
「やっほー! 起きてるぅ!?」
「寝てるわ。ぐーすかぴー」
「起きてんじゃん!」
まごうことなく酔っ払いである。マジで切ってしまいたい。
少し上がった息と規則的にコツコツと響く
「何時だと思ってんだよ」
「終電間に合うから大丈夫さー」
「まだそんなに家から遠いのかよ」
「どっち? お説教? それとも心配してくれてるのー?」
「どっちもだ馬鹿」
「アハハ、ありがとーう」
疎遠だったのに思いのほか弾む会話に驚きと楽しさを感じるが、急に電話をかけてくるような何かがあったのだろう。尋ねてみると答えはあっさりとしたものだった。
「振られた! 彼氏に!」
「……そんでヤケ酒?」
「さっすが大正解! てか聞いてよ。理由がさ、ウチが他に好きな人がいるのが分かっちゃうのがキツイとかいう女々しい理由でさ。ねえ、そんなにウチ分かりやすい?」
「知らねーよ」
というかマジで他に好きな奴がいたのか。むしろ彼氏さんに同情だよ。
直ぐに返事はなく、少し間が空いた。コツコツ、コツコツと響く歩行音。
「本当に?」
「嘘ついてどうすんだよ」
「だって……ウチが好きだとしたらアンタだし」
爆弾発言である。絶句している俺に対し、あいつは一人で「気がついていないならウチは分かりやすい女じゃないってコト!」とまくし立てている。なんとか「好きとか適当言うな酔っ払い」と返すと大笑いする声が響いた。
「嘘じゃなーいよー」
「本当に知らなかったんだけど。もしそうなら何で急にそっけなくなったんだよ」
「ちゃんとずっと本当に、君のこと忘れようとしてたんだよ。……だってとっくに失恋してますし?
直接振った覚えはなかったが、疎遠になった時期を考えると思い当たる節がないわけではなかった。
「……知ってたんだ?」
「まーね。卒業式の日にアンタが惚れ込んでた先輩に告って振られて、それでも健気に天気雨みたいな笑顔で送り出してたのを見ちゃったから」
「ひでえ茶化しかた」
鮮明に思い出してしまった。卒業していく先輩を送り出すあの日、当時惹かれていた先輩に告白し、玉砕し、都合よく降ってきた天気雨に「助かるぅ」と思いながら笑ったんだ。
「振られたことも見てたんならさ、逆に距離詰めたら落とせたんじゃね?」
「そだねー。ウチもピュアだったねー。アンタが私の立場ならそうしてた?」
「なんとも言えないけど、距離取って離れたりはしないかも」
「正しいわ。タイムスリップして当時の私に伝えておいて」
「はいはい。もしタイムスリップできたら伝えとく」
薄っぺらい軽口の応酬のあと、そして突然の沈黙が訪れた。
電話の向こうの足跡も途絶える。
耳を澄ますと駅に近づいているのか、軽く人々の喧噪の気配がした。
「なんだろうね、この薄氷の上をタップダンスするような会話。ねえ、言葉借りるけど『振られたこと聞いてるんだから、距離詰めたら落とせる』んじゃない?」
「あからさまなのは世間体的によくないっしょ。でも、まあ、まず友達くらいには戻りたいかな」
「つ、つき合うまで、いや籍入れるまで、体は許さないよ……?」
「大丈夫。心配しているようなトモダチのつもりじゃないから」
「墓まで貞操守っちゃうよ?!」
「それは勘弁」
「うん、私もムリだ。あは、つき合ってから考えよ?」
「気が早いって」
酔ってんなあ。いや、お互い様か。むしろ酒も入ってないのに雰囲気に酔っている俺の方が酷いか。そうだ、酒飲んじゃっていることにするか。
「とりあえずさ、今日は早く帰って来いよ。駅まで迎えに行くから」
「え、
「あー、母親ネットワーク情報か……。ごめん。少しだけど夕飯で酒飲んじゃったから歩きになる。よかったら散歩がてら話さない?」
「――うん、ぜひお願い。ありがとう」
「それじゃあ、すぐ後で。電車で寝過ごすなよ?」
「気をつける!」
そして電話が切れた。「寝ないよ」ではないのがひどく不安だ。
§
普段朝に剃る髭を綺麗にし、いそいそと着替えて、少し早いけれど家を出た。
「――う、寒っ」
星も見えるくせに、にわか雨が降っている。
軽くスマホで調べると、昼でこそお天気雨、狐の嫁入り、天泣と様々に名づけられているこの現象だが、夜に起きると途端に何も名づけられておらず風情の欠片もない「只のにわか雨」になるらしい。
このあとの話のネタが一つできた。
アイツなら「ならウチらで名づけよう」と言うかもしれない。
「狸の婿入り……ないわ。我ながらセンス終わってる……」
あの日は絵に描いたような天気雨の下で、必死に笑った。
今は単なるにわか雨の下で、こらえきれずににやけている。
酒入ってるなんて嘘をついてしまったが、たぶんバレないくらい顔が赤らんでいる気がする。嘘をついた罰か。うん、あれを最後の嘘にしよう。
無意識に歩みが早くなり、早く着いても意味がないと恥ずかしくなってゆっくり歩く。
「この調子じゃ、いつまで告るの我慢できるだろ……」
そんな明後日を向いた心配事は、うっすら濡れた路面が立てる楽し気な足音に紛れて消えていった。
天気雨、夜に泣いたら只の雨。 置田良 @wasshii
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