第二章・覚悟
少女はついに、あのことを告げようと決めていた。
冬休みが明けた、ある日。いつも通り少年と少女は視聴覚教室で、机の上に書かれた詩を紙へと写したり、時にはその返事となるような詩を横に書いたりする作業を続けていた。じわりじわりと浸透してきたのか、オリジナルの詩や、そこまでいかなくても気に入った歌詞などが書かれていることが多くなってきている。だが少女の手は止まりがち。全く集中できていない。
そのうちに少女は椅子から立ち上がって机を指差し
「藤田くん、この詩いいと思わない?」
そう少年に声をかけた。呼ばれた本人も立ち上がって少女の方へ近づき、その詩を読む。
わたしたちは 静かに暮らしていた
大きな変化さえないけど それでも楽しい
ゆっくりと 永遠に続くような 生活だった
けれどあなたは突然言った
ここから 旅立たなければならない
一緒に居られるのはあともう少しだけだ と
わたしは 絶望した
どうしてあなたは旅立ってゆくの?
別れなんて なければいい
なかったら 悲しまずに済むから
「俺は、この詩に付け足したくなるな」
読み終わると少年は言った。その言葉を、少女は疑問に思う。「返す」ではなく「付け足す」。詩の個性が一番大事だと主張している少年にしては意外だ、と少女は感じた。
「じゃあ、『付け足して』よ」
興味半分に少女が言うと、少年は机の天板にシャープペンを走らせていく。
そんなことを言うと あなたは言った
けれど 旅立つ時はいつかきっと来る
旅立った後にまた 人と巡り逢う
まるで水を抜いた水槽に また
少しずつ水を入れ始めるように
限界量さえあるけれど たくさんの人に出逢えるよ
「じゃあ私も書いてみよっと」
まるで文章で会話をしているかのように、詩は書き連ねられていく。
けれど あなたみたいな人に会える
そんな保障はないじゃない
わたしはあなたがいいの!
そう、駄々をこねてみた
少女が駄々をこねる「わたし」で少年がそれを説得する「あなた」の役。自然にそんな割り当てで書いていた。詩と言うより、もうこれはリレー小説と言う感じだな、とも少女は感じながら、それでも続いていく。
たくさんの人と出逢えば 僕みたいな人もきっといるさ
それに君が 僕に固執していたら
もし突然居なくなった時 どうするんだい?
きっと君は 困ってしまうからね
あなたはあくまでも 説得しようとする
少年の返してきた答えに対する答えを、少女はしばらく考えてから
確かに 困るわ
だけど もうちょっとだけ
一緒にいてくれてもいいじゃない
だってわたしは
とまで書くが、ペン先はそこで止まる。ただむやみにその言葉を出すのが恥ずかしかったのもあるが、「あなたが好きだったから」と書いて自分は何を伝えたいのか。最強とも言える引き留め文句に、どういった意味を込めたいのか。少女は解らなくなっていた。それをごまかすように少女は長線を引き
「じゃあ、この詩も写しておくね」
一言言ってかばんから出したポリエチレン袋からA5サイズのルーズリーフを一枚取った。机の上に置きシャープペンを手に取って、写し始める。その作業中、少女はふと呟いた。
「実はこの詩、わたしが書いたんだ」
「え?」
少年は戸惑いを隠せない。実は昨日のオーラルコミュニケーションの時間、少女はこの詩を書き残していたのだ。そこは君の席じゃないんじゃ、と少年は言いかけるが、昨日は吹奏楽部が使っていて入れなかったことを思いだし言葉を飲み込む。あの時机も大きく動かしていたから、入れ替わっていても何の不思議もない。そんな思考を巡らす少年を尻目に
「私の思っていることそのままなんだよ」
と少女は言った。別れなんて嫌、だけど何も言わないで居なくなるのはもっと嫌。だから少女は今日、「あのこと」を告げると決めているのだ。
けれど少女にはまだ、そのことを言えるだけの覚悟が出来ていない。少女はかばんから黒いケースを取り出し、開けて、中に入っていたクラリネットを組み立てる。少女にとって、それを吹くのは久し振りのことだった。なぜなら冬休みに入る直前、吹奏楽部をやめてしまったから。一応「体調不良」ということで通したが、それよりも「藤田くんといたい」そんな思いが少女を動かすきっかけになったのだった。
「吹くの?」
少年が聞くと少女は「うん」と頷き、少年に背中を向けるようにして机に乗り、そして多少リードの調整をした後で吹き始めた。少女が少年に背中を向けているのは、直視されるとやっぱり、恥ずかしいから。コンクールや演奏会で一度にたくさんの人に見られるよりも、ずっと緊張してしまうと思ったからだった。
そんな少女が吹いているのはクラシック曲ではなく、自身が耳で覚えたとある曲。宿題を遅くまでやっていたある日の晩、何気なくテレビを付けていたら聴こえてきた深夜アニメのエンディングテーマである。優しいメロディー、歌詞、そして歌声。歌声に添って奏でられるシロフォンの音さえ、少女は大好きだった。
当然クラリネット一本では全てを表現できない。しかも吹きやすいよう半度上げたものだったが、それでも曲の雰囲気は変わらない。何となく練習の合間にやっていたこの曲を誰かに聞かせるなんて想像はしていなかったが、それでも少女は大好きなこの曲を披露できることがうれしかった。
「ああ、この曲──『だんご大家族』でしょ」
少女が吹き口から口を放すと、拍手や笑みと共に少年は言う。少年の方に振り向くと少女は無言で頷き
「そういえば、」
と切り出した。一息置き、そして「あのこと」を告げる。
「私、そろそろ寿命かな」
空気が、当然のように固まった。少女もそういう反応になることは覚悟している。だから、言い出せなかった。でも、それでも言っておきたかったことだから。
「ど、どうして?」
一方少年は数分がたって、やっとそれだけ言うことができた。しかしその声には動揺を隠せない。当然である。そんなことを言い出すなんて、全くの予想外だったのだから。何か根拠があるのか、そう思って少年は聞いたが少女は
「何となく」
と、一言返すのみ。少女にも確証なんてものはないからである。少年はその言葉を聞いて何とか
「そんなこと、軽く言っちゃいかんよ」
と注意してみるものの
「軽くなんて言ってない。ずっと、感じていたの」
少女に強く反論され、返す言葉もない。
「へぇ~」
と、軽く聞き流したことにしようとしても
「そっちこそ、軽く聞き流そうとしているでしょ」
と言われ、素直に受け止める以外の方法が少年にはなかった。
「いつ私がいなくなるか判らない、だから……今日一日、一緒にいてよ」
少女が言うと少年は
「……ああ」
と、言葉少なに頷いた。少女は机から降りクラリネットを置き、後ろの方の普段は誰も使っていない机に一編の詩を書く。あの日決めた、決意。「机上詩同好会」というものをでっち上げ少年と過ごせる日々を自らの手で作り出した、勇気。この二つの思いを込め、これが視聴覚教室に残せる最後の詩かもしれないという覚悟も持ち、少女はシャープペンを動かしていた。そう、「死ぬという現実を受け入れる」というやりたくないことの代償にやりたかったことをやったのだから。後悔、は考えれば考えるだけ出てくるが、それは人間であるゆえ欲は限りないのだから仕方がない。
少女は書き終わり、シャープペンを置く。それを見て
「あ、できた?」
と少年は机を覗き込もうとするが
「まだ見ないで」
少女は一言、拒絶した。そして
「ねえ、色々寄って、帰ろ?」
話をそらすように、提案する。今書いた詩は、自分が居なくなった後に、そっと読んでほしいからだった。
#
「MD買おうかな。うん、買おう!」
帰り道にある無印良品で、少女は約八十分録音できるMDとレターセットを買う。何故買うか、などと少年は聞かなかった。ただ少女の様子を見ているだけ。その様子を見ていても少女がもうすぐ死んでしまうなんて信じられず、少女が受け入れた事実をまだ受け入れることができないのだ。ついこの間まではただのクラスメイト、ただそれのみ接点を持つ赤の他人だったのに、今ではかなり近い関係になっている。だから受け入れられないのかな、と少年は思う。改めて少女の顔を見て、さっきまでの暗さを少しだけ引きずった、明るく楽しそうな顔を見て、愛しささえ感じていた。 そんな少年の手を掴み、少女は坂を下る。地下鉄の駅へ繋がる階段を下り、二人はかばんから定期券を取り出した。少年の定期券の表示が少女の帰る方向と逆だったのを見て、少女はため息をつく。
「どうしたの、平川さん」
少年が聞くと
「だって、帰るの逆方向だから……。ここでお別れなのかなって……」
悲しそうに、少女は言う。空気が重くなったまま二人は改札を通り、ホームへと降りる階段を下る。この駅が島式ホーム、両方向の電車が同じホームから出るのが幸いだった。
『一番線に電車が参ります。白線の内側に下がってお待ちください』
そんな小さな幸せも、すぐに消え去る。少女の乗る方面に、正面が黒色で側面に黄色いラインの入ったステンレス製車両が入ってきて、ゆっくりと減速しながら止まった。車両側面に取り付けられた電光表示板に表示される行き先表示も、当然少女が向かう方向。ついに別れの時が来たのだなと少女は悟った。
「……じゃあね、藤田くん」
そう告げ、少女は電車に乗る。少年は何も言わず、ただ少女を見ているだけ。そんな少年を見ていると寂しくなってきて、少女は目を瞑る。
『扉に、ご注意ください』
自動でかかる音声、予告ベルとかかったその時。少年は少女のもとへ駆け寄り電車へと飛び乗った。そのまま、扉は閉まる。電車が動き出し少女が目を開けた時、目の前には少年がいた。
「え……何で……」
と聞く少女に対し少年は
「そんな顔をしていたら、いてもたってもいられないだろ?」
そう微笑みかける。
「それに、改札さえ出なければ電車代もかからないし。一緒にいてほしいと言ったのもそっちだしな」
「藤田くん……」
線路の継ぎ目を通過する無機質で規則的な音が響くなか、少女は少年を見つめ、顔を赤めさせる。やっぱり私は彼が好きなんだ、そう心の中で確認して
「ありがとう……うん」
一言、呟くように言った。
電車は地上へと上がり、赤い夕焼けが車内へと差し込む。一つ、また一つと少女が降りる駅が近づいていき、人々も少しずつ降りていく。終点の一つ前の駅で二人は降り、改札までの階段を下る途中、少女は言う。
「本当に、今までありがとね……」
「そんな、一生会えなくなるような言い方はするなよ!」
「でも……」
そして二人は、改札に着く。少女が悲しそうな顔のまま
「じゃあね……」
と言うのを見て少年は少し考え、そして右手を振り
「じゃあ、また明日!」
ふっ切れたように大きな声を出して呼び掛けた。少女はそれに
「うん」
とだけ応え微笑み、自動改札を通っていく。振り返ることなくその先にある階段を降りていくのを無言で見送ったあと少年は、反対側──少年が本来乗るべき方向のホームへと通じる階段を上がり始めた。そう、これは永遠の別れなんかじゃない。明日もきっと会える。そう少年は思い込みながら──
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