6.魔王の過去語り(3/15)

「……クチナシさん」


 クチナシが考え事に集中していると、ふとキンカが毛布をぎゅっときつく握りしめ、やけに小さな声でぼそりと呟いた。


「クチナシさんは、どうして旅をしているんスか?」


 振り返らず、キンカは言った。普段のはきはきとした声ではない、隙間風にすら負けて今にも消え入りそうな、そんなか細い声だった。


『……どうして、今になってそんなことを聴く?』


 質問を質問で返すのはマナー違反だと、いつか先生から教わった言葉を思い出しながら、クチナシはキンカにたずねる。


 一方のキンカはそんなことを知らないようで、クチナシの質問にたどたどしく答えた。


「前から思ってたんスけど、クチナシさん、たまにウチの知らない人のこと喋ったり、考えてたりしてるじゃないっスか。クチナシさんって、自分のことはあんまり喋らないし、言いたくないのならウチも別にいいかなーって思ってたんスけど……」


 きっと彼女の中で、言いたいことをなんとかまとめながら話しているのだろう。時につまり、時に言葉を探しながら、キンカは話し続けた。


「ふっと思ったんス。ああ、そういえばウチってクチナシさんのこと全然知らないなって。これまで一緒に旅してきて、クチナシさんのことをなんとなく分かっていたつもりでいたんスけど、それって全部ウチの思い違いなんじゃないかなーって」


 キンカがそこで言葉を途切れさせた。結局要領を得ないまま終わってしまったのかと思ったが、少ししてから、またキンカはぽつぽつと口を開いた。


「この旅も、たぶんもうすぐ終わっちゃうじゃないっスか。その後クチナシさんが何をするのかは知らないっスけど、もしかしたら、ウチとクチナシさんは離れ離れになるかもしれないんスよね」


 この村から王都まで、歩いて十日ほどの距離にあると先ほどの老人は教えてくれた。つまり、二人の旅はあと十日ほどで終わりを迎えるということになる。


「……だから、今のうちにクチナシさんのことを知りたいんス。ウチの知らないクチナシさんのこと。クチナシさんの大切な人のこと。全部、全部、今のうちに教えてほしいんス」


 少しだけ間を空けた後、キンカは一気に言葉を捲し立てた。


 これまでずっとキンカと距離を置こうとし続けたクチナシのことだ。王都に辿り着いてしまった時、きっと彼はキンカとの繋がりを全て捨てて、彼女を他人にするだろう。


 そして、妙に律義な性格をしたキンカもクチナシに対し、生きるために彼の王都への旅に着いていくと言った。


 王都に辿り着きさえすれば、彼女はきっと一人でも生きていける。だからもう、キンカにはクチナシと行動を共にする理由がなくなってしまう。


 だからその前に、彼の知らないことを知りたかった。もっと多くのことを知りたかった。


 知ってどうなる、ということはない。必要もなければ、意味もない。


 だが、それでも、聴かずにはいられなかった。


『そうか』


 クチナシはキンカの言葉に一言呟いて、ふと小屋の天井を仰ぎ見た。


 古くなった天井の板はところどころ黒ずんで、痛んでいる箇所も多々見受けられる。


 小屋の周囲には誰もいないらしく、外からは風のそよぐ音と虫の声がする以外に何の音も聞こえてこない。


 しんと静まり返った小屋の中で、自分に寄りかかるキンカの呼吸音がよく聞こえる。


『先に断っておくが』


 ぽつりと呟いた言葉に、クチナシ自身がありもしない自分の耳を疑った。


 話して何になる。やがて捨て置く子供に何を話すというんだ。


 意味がないだけならまだしも、下手に情報を流してしまえば、やがて不都合な出来事として返ってくる可能性すらあるというのに。


 脳内でそのリスクを叫ぶ否定的な自分がいる。


 そして、それでも構わないと思う自分も確かにここにいる。


 そんな自分の言い分はたった一つだけ。これまでたった一人しかいなかった己の理解者を、今更もう一人増やしたくなった。


 誰でも、いや、違う。


 自分の話を、彼女には、キンカには聴いてほしいと思っている自分がいる。


『魔王の昔話を聴きたがるなんざ、他の連中からすれば魔王の狂信者とみなされてもおかしくない行為だ。この先ろくな生き方できなくなるぞ。……それでもまだ、俺の話を聴きたいと抜かすか?』


「当たり前じゃないっスか。そんなことで今更日和ませんって」


 即答だった。話すかどうかまだ迷っていた自分が恥ずかしくなるくらいに、迷いなくキンカは答えた。


『……そうか』


 やめろ。今ならまだ間に合う。今すぐその口を縫い付けろ。


 否定的な自分は今も頭の中で叫び続けている。それをクチナシは無視した。


 さて、一体どこから話そうか。


 やはり、せっかくならば最初から話そうか。


 そうしてクチナシは、ぽつぽつと、クチナシが王都を目指す旅を始めた、これまでのことを話し始めた。

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