1.鉄屑少女と空飛ぶ案山子(2/8)

 咳き込むキンカと、それを抑え込む二人。そんな彼らの元に、路地裏の奥から一人の男が顔を出した。


「おい、何をやっている」

「あ、アニキ!」


 アニキと呼ばれたその男は、どうやら人攫いの男達をまとめているらしかった。キンカを押さえ付ける筋骨隆々な男ほどではないが背は高めでやや細身、身につけている服や帽子はどれも上質なもので、紙煙草をくゆらせながら靴音を鳴らしてこちらに歩み寄ってくる。


「すいませんアニキ、こいつ小さいくせにすばしっこくて、無駄な時間を使っちまいました」

「……時間の管理は俺の管轄で、納期には十分余裕を持たせてある。捕まえるのに多少時間は食ったが問題ない範囲だ。お前らが気にすることはない」

「へい」

「だがな」


 帽子の男は咥えていた紙煙草を放り捨てると、ぐしゃりと勢いよく踏み潰してひときわ低い声で言った。足跡が残るほどに強く踏みしめられた紙煙草の火はすっかり消え、砂利と混ざりあった灰からは煙すら立っていない。


「商品に傷をつけるな。顧客からの要望で、最重要案件だぞ。そのガキから商品価値がなくなってみろ。次の商品を見つけるために、それこそ無駄な時間を使うことになる」

「すいません!」


 ただ静かに、淡々と事実だけを口にする彼の言葉は、ただ怒鳴り散らすよりも重く部下にのしかかった。直接叱責されているわけでもない筋骨隆々な男ですら、帽子の男から放たれるプレッシャーに冷や汗を垂らしている。


 痩せぎすの男と筋骨隆々な男は、完全に帽子の男に意識を逸らしていた。


 帽子の男は痩せぎすの男が陰になって、キンカの動きが見えづらくなっている。


 一方のキンカは、足首こそ完全に縛られてしまっているものの、羽交い絞めにされただけの両腕はまだいくらか自由がきく。


 自分に与えられた、おそらく最後のチャンスになるであろう隙を、キンカは見逃さなかった。


 キンカは素早く呼吸を整え、右の手のひらを筋骨隆々な男の顔に向けて意識を集中させた。手のひらに魔元素を集め、それを鉄球に転換して射出する。自分を羽交い絞めにする男を倒した後は、続けざまに作り出した剃刀の刃で足を縛る縄を切り、有刺鉄線をばらまきながら逃げればいい。


 逃げる作戦は頭の中で反芻し終えた。後はそれを実行に移すのみ。


 握りこぶし大の鉄球が、筋骨隆々な男に襲い掛かる――!


 ――はずだった。


「くそ、なんでっ……!」


 確かに使ったはずの転換術は失敗した。鉄球に変わるはずだった魔元素は、お互いが結びつかないまま光の粒子となって、風に乗ってどこかへと消えていった。


 自身が持つ魔元素と呼ばれる物質同士を結びつけ、ありとあらゆるものの代用品を生み出す技術、転換術。


 およそ十人に一人しか扱えない転換術は、金も家も、頼れる人もいないキンカが生きていくために、必死で磨き上げた技術だった。


 その転換術が、なぜかこの場では発動しなかった。男達から逃げ回っている時もそうだ。何度か転換術を発動させようとしたものの、手から出てきたのは結びつくことなく消えていく魔元素の粒子だけだった。


「もしかして、お前も転換術を使えるのか? それで、なぜか今はその転換術が使えなくて焦ってんだろ」


 焦っているキンカの様子に気付いた筋骨隆々な男はにやりと笑みを浮かべた。首だけ動かし睨み返すキンカに、得意げな顔で聴いてもいない説明をし始める。


「さっきからずっとこの辺りには灰色の霧が漂ってるだろ? これはアニキの転換術で、他の奴の転換術を阻害する効果があるんだってよ。この霧がただの霧だと思っていたのか? アニキはな、俺達の誰よりも、仕事を確実にこなすために力を使ってんだよ」


「そ、そんな……」

「おい、無駄口を叩くな」

「すんません!」


 帽子の男に釘を刺され、筋骨隆々な男はキンカを抱えながら頭を下げた。無駄に激しく動くせいでキンカは大きく揺さぶられるが、もはやそんなことはどうでもいい。


 キンカはただ茫然としていた。力では到底敵わず、頼みの綱だった転換術も封じられていた。


 痩せぎすの男がキンカの両手を縛ろうと近づいてくるも、彼女は抵抗しなかった。先ほどまでの威勢の良さは、手のひらからこぼれていった魔元素と一緒に、どこかへ飛ばされなくしてしまったらしい。


 ただ死にたくない一心で必死に生きてきた。小さくうずくまって寒さに震え、喚き散らす腹の虫を何度も無理やり押さえつけた。拠点に敷いたござの上で一人、理由も分からないままありもしない枕を濡らした。


 その結末が、これか。


 痩せぎすの男に後ろ手に縛られている間も、キンカは大人しくされるがままになっていた。彼らに捕まった後は一体どうなるのだろう。顧客と言っていたから、どこかの金持ちにでも売られるのだろうか。非合法な行いに手を染める彼らの商品を買い取るのだから、ろくな人物でないことだけは容易に想像がつく。


 涙は出てこなかった。出す気力もわかないくらいに、どうしようもないくらいに疲れてしまった。


「コトウ、縄を口に噛ませるのを忘れるな。ゴーワンはそいつを担げ。アジトに戻るぞ」


 キンカを縛り終えると、男達は帽子の男の指示できびきびと撤退の準備を進めていく。


 キンカの口に縄が噛ませられ、いよいよ抵抗する術を失ってしまった彼女を、筋骨隆々な男が肩に担いた。そのまま三人は大通りの反対方向へと踵を返し、アジトへと思っていこうとする。

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