鉄屑少女と空飛ぶ案山子

くろゐつむぎ

1.鉄屑少女と空飛ぶ案山子

1.鉄屑少女と空飛ぶ案山子(1/8)

 貧民街カカットの路地裏から、息を切らしてひた走る少女の声がする。


 ただでさえ建物に阻まれ陽の光が届かない路地裏は、充満した灰色の霧によってよりいっそう見通しが悪くなっていた。


 大通りには流れ込まず、路地裏にだけ不自然にとどまり続ける灰色の霧が、転換術によって生み出されたものであるのは明らかだ。


 自分を追う人攫いの中に、転換術を使える人物がいる。その事実に少女――キンカは苦い顔をした。


 キンカは生まれてこの方、ずっと一人で生きてきた。


 物心がついた頃には、既に親はいなかった。見た目からして十歳前後くらいなのだろうが、自分の生まれた月日も、歳も正確には分からない。


 服の代わりに真っ黒いぼろ布一枚で体を覆い、朝から晩まで食べ物を探しに裸足で街を探索し、陽が落ち始めたころに川の水で体を清める。夜は建物と建物の間にできた小さな隙間に戻り、薄っぺらいござの上で横になって眠る。


 彼女にとっての当たり前の日常が、世の人にとっても当たり前ではないということくらい分かっている。俗にいう、不幸な人間なのだということもはっきりと自覚している。


 だが、それでも彼女は誰かに助けを求めたことはなかった。そもそも、誰かに助けを求めるという発想そのものがなかった。


 魔王を倒し王国を救う、その功績が神話となって語り継がれる伝説の勇者様でさえ、差し伸べられる手は二本しかない。ましてや王都から遠く離れた、王国南端の小さな貧民街の少女に手を差し伸べるような、そんな都合のいい勇者様がいるとは思えなかった。


 キンカはちらと振り返り、背後の何もない空間を右手で真横に薙いだ。指先から出現した流砂のような白い光の粒子が、軌跡を描く以外に何も変化が起こらないことを確認して、彼女は舌打ちする。


 そのまま曲がり角に差し掛かった時、死角に置かれていた空の木箱に足を引っかけて、キンカは盛大に地面を転がり回った。急いで立ち上がろうと体重をかけた足首に痛みが走る。痛めてしまったのか、それとも疲れが溜まっているのか。これではまともに逃げることができない。


 震える脚を無理やり奮い立たせ、壁に手をつきなんとか立ち上がる。そのキンカに、後から追いついた人攫いの男達が下卑た声を浴びせかけた。


「さあて、鬼ごっこは終わりだ。観念しな」

「まったく手間かけさせやがって。小せえくせにちょこまかと……」


 キンカを追っていたのは、筋骨隆々な大男と痩せぎすな男の二人組だった。大の大人二人に対し、十歳そこそこの小さな女の子が身体能力で敵うはずもない。キンカが男達に追い付かれてしまってから、彼らに捕まるまでそう時間はかからなかった。


 まず筋骨隆々な大男がその巨体を活かし、丸太のような両腕でがっちりと彼女を羽交い絞めにした。その間に痩せぎすの男が懐から麻縄を取り出すと、彼女の手足を縛ろうと歩み寄っていく。


「だーかーら! 捕まる気はないってさっきから言ってるでしょうが! いいから放せ!」

「やめろと言われてやめる奴がいるかよ! いいからおとなしくしやがれ!」

「暴れんなよ面倒くせえな!」


 だが、それではいそうですかと簡単に諦めるほど、キンカは大人しい性格をしていなかった。


 ほとんど動かせない手足を必死で暴れさせ、宙に浮いた脚で男達を何度も蹴りつける。


 ただ、それでも大した効果は表れなかった。


「いい加減にしやがれ!」


 痩せぎすの男がついに業を煮やし、いつまでも抵抗を止めないキンカの腹に拳を捩じり込んだ。鳩尾に綺麗に入った一撃がキンカの肺を押し潰し、息を詰まらせたキンカが思わずえずく。

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