第12話 嫉妬深い鎌首
「ところで……要三郎さんはこの後お忙しいですよね?」
「?」
再び無表情を決め込んだ要三郎に、清瀬は慌てて手を振った。
「あ、いいえ。なんでも無いです」
「何かご質問がありましたら、遠慮せずに言ってください」
「いえ、質問では無くて、少しばかり体を動かしたいと思ったのですが、道場は勝手に使えないとのことだったので」
「なるほど。残念ながらこの後来客の予定です。でも、いずれお手合わせいただけたらと思っています」
「そうですよね。お忙しいところすみません。こちらこそ、立ち合いを楽しみにしています」
残念……
その時、ツツーっと人型の白い紙が飛んできた。視線を向け報告を受けた要三郎。
「奥様、もう少しでお客様が到着されるようです。本日はここまでとしまして、また明日ご説明の続きをいたします。お疲れ様でした」
軽く一礼すると立ち上がる。つられたように立ち上がった清瀬も礼を言って部屋の外へと出た。
明日もまた勉強か……
ちょっとげんなりしつつも、実は少しばかり興奮もしていた。
あれが式神か! 実物を見たの初めてだな。なんか可愛いな。
道場に行かれないなら自室でこっそり素振りでもするかと思いながら建物の外へ出た刹那、シャーッと言う耳障りな音を聞き咄嗟に左へ飛び退った。生暖かい風がぶわりと砂埃を巻き上げる。
「ほおぅ。私の一撃を避けるとは。思ったよりは楽しめそうね」
見上げた先には赤い舌をちょろちょろと出し入れしながらもたげる巨大な鎌首。
蛇! 女か? 人間の言葉を話していると言うことは、こいつもあやかしか。
間髪いれず心刀に手をかけ間合いを取る。
「おお、それが心刀ですね」
離れたところで呟く要三郎の声を聞くも振り返る間は無い。再び頭上に襲い掛かってきた蛇の口。ならば中から脳天へ刺し貫こうと両手で構え直した。清瀬を噛みちぎろうと振り下ろされる鋭い牙を恐れもせず一歩も引かず、寧ろ自ら踊り込んで素早く突き上げた。
届け!
その念に邪魔が入った。ぶんと乱暴に引き離されてふわりと体が宙を舞う。
着物の襟足を掴まれたまま見下ろせば、ぶらぶらと揺れる草履の先。首を回して自分を吊るし上げているモノの正体を確かめれば、金色の美しい毛並みの大きな狛犬だった。
一方の蛇女も、銀色の毛並みの狛犬に頭の後ろを噛まれて持ち上げられている。体を巻き付けて相手を絞め殺そうと必死に藻掻くも、雷を帯びたような毛に弾き飛ばされて、顔を歪めて叫んでいた。
「離せ! この馬鹿犬ども。私の恋路を邪魔するとは一万年早いわ!」
「あ、うん。そのまま二人を連れて行ってください。お客様の邪魔です!」
「あ? うん?」
思わず突っ込めば真顔の要三郎。
「それが何か?」
「いえ、なんでも」
なんて適当な名前! 折角美しい狛犬なのに。
一瞬自分が吊り下げられていることを忘れて同情する。
「私の一聖様を横取りした女、この牙で八つ裂きにしてやらなきゃ腹の虫が治まらないのよ!」
「私の一聖様?」
はぁーっと大きなため息をついた要三郎が、仕方なくと言う感じに説明する。
「この蛇女の
「ふうん。旦那様のことが好きなんだ」
「キィーッ! 旦那様なんてこれ見よがしに呼んで。悔しい!」
「そんなに言うなら相手してやる。丁度体を動かしたくてうずうずしていたんだ。あ、うん。降ろしてくれ」
喜々として挑発したが、要三郎に却下された。
「ダメです。お客様がいらっしゃると申し上げましたよね。邪魔になりますからやめてください。あ! 奥様を母屋の狐太郎様へ預けて来てくれ。うん! その女は蔵の中へ」
その言葉に、急に静かになる蛇女の緋呂巳。長い黒髪の美しい女へと
思わず視線を己が胸元へ移した清瀬。妙に納得する。
そうか。だからみんな私を男と思い込んでいたんだな―――
「蔵へ入れてくれるのね?」
「……時間がないので」
猫なで声を出す緋呂巳に、事務的に返す要三郎。不思議に思って尋ねる。
「急に嬉しそうになったけれど、どういうことだ? 蔵に何かあるのですか?」
再びはあーっと大きなため息をついた要三郎が、「蔵とはすなわち折檻部屋のことです」と抑揚のない声で答えた。
「え! 折檻部屋!」
「あやかし達の中には、悪戯を越えて悪意を持って人々を害そうとするモノもいます。そういう輩に罰を与え、改心させる部屋です」
「なのに、なぜあんなに嬉しそうなのでしょう?」
「それは……」
「それは?」
首根っこを押さえられ空中でぶらぶらしている清瀬。そろそろこの体勢も飽きてきたなぁと思いつつ続きを待つ。
「折檻部屋には、一聖様の術の痕跡がそこかしこに残っているようで……緋呂巳はそれを感じて妄想して気持ち良くなっているようです」
「……」
「まあ、あそこに入れればおとなしくしていてくれるので、われわれとしては助かっているのですが」
変態だ!
ん? でも、一聖殿も変態だからな。実はお似合いなのかな?
いやいや、そういう問題じゃない!
銀の狛犬に、同じく首根っこを抑えられたままうっとりとした表情で身を捩らせていた緋呂巳が、急に思い出したように清瀬を睨みつけてきた。
「一聖様は私のもんだからね。あんたなんか認めないんだから! さ、うん! 早く私を蔵へ連れて行きなさい」
捨て台詞を吐いて去って行った。
これから狙われるってことか。ふっ、退屈しないで済みそうだな。
「申し訳ございません。緋呂巳のことは明日また詳しく」
「別に、大丈夫です。これから本人と話せる機会も増えると思いますし」
その言葉に、不思議な生き物を見たような目になる要三郎。
「やっぱり、奥様は……いえ、あ! 奥様を早く母屋へ」
飲み込んだ言葉が何だったのか少し気になったが、清瀬の頭の中は別の欲望でいっぱいだった。
ひとっ飛びで母屋へと到着したあは、静かに清瀬を下ろすと一礼した。その足元へ素早く抱きつく清瀬。驚きで目を左右に揺らすあ。
「やっぱり、ふわふわだ! 気持ちいい」
金の毛に全身を埋もれさせてご満悦だ。
そんな清瀬を見下ろしながら、優しい眼差しになるあだったが、ピクンと耳をそばだてると、ひゅんと人型の紙に変化してしまった。
「あっ」
前のめりになった清瀬をそっと支えると、名残りおしそうに飛び去って行った。
「ありがとう! またね」
無邪気に手を振る清瀬の顔は、剣士でも新妻でも無い。
今まで封印せざるおえなかった、年頃のごく普通の女の子の笑顔だった―――
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