第10話 嬉しい贈り物

 朝餉の後。出掛ける一聖を玄関先で見送る。


「「いってらっしゃいませ」」

 

 千登勢と共に三つ指つけば、一聖がご満悦の様子。


「うん。いいね。でも……」

「どうかなされましたか」


 千登勢の手前、貞淑な妻を演じなければならない。笑みを貼り付け優しい声で問いかける。


「なんか足りないんだよね」

「何がですか?」

「いってらっしゃいだけじゃ、誰に言っているかわからないだろ?」


 面倒くさい奴だな。ただ私に『旦那様』と連呼させたいだけじゃないのか?

 千登勢さんの前でこっぱずかしいとは思わないのかな? 夫の威厳もへったくれも無い奴だな。


 引きつる口元を抑え込み,これまでの人生で一番甘い声を出した……つもり。


「いってらっしゃいませ。旦那様」

「そうそう、いいね。最高だな」


 浸るように目を細めると、くるりと背を向けて「いってきます」と出て行った。


「一聖坊ちゃまの嬉しそうなお顔。千登勢も幸せな気持ちになりました」

 そう言ってまたうふふっと笑った千登勢。


 千登勢さんも一聖殿には甘いんだよな。


『この乳母ははにしてこのあり』を感じて納得。でも、不思議と心は温かい。


 こういう関係……いいな。


「あ、そうでした。奥様にお見せしたいものがあるのです。どうぞこちらへ」


 

 案内された先には、流石伯爵家と納得するような、豪華で美しい文様の着物がいくつも用意されていた。その中に意外な物を見つけて、清瀬の心がコトリと揺れた。


「これは……」

「はい。坊ちゃまから用意するように申し付かりまして、私が手作りしたのですが……」

「千登勢さんが作ってくださったんですか! それは、お手数をおかけしました。ありがとうございます。でも、妻となった私がこれを着ても良いのでしょうか……」


 手に取ったのは蒲萄エビ色の袴。近頃華族の娘たちが手習いに行く際に着始めて噂になっていた。袴は清瀬にとって慣れ親しんだ服。今だって、こんな着物は脱ぎ捨てて袴姿になりたい。

 でも、結婚した女が男袴をはけば非難の的になること必須。この蒲萄エビ色の袴は未婚女性の象徴のようなもの。どちらも常識的にはありえない服装だ。


「奥様は袴のほうがお好きだと、坊ちゃまから伺っております。お外にお出かけの際には、華族の奥様としての体面がありますから御着物をお召いただかなければなりませんが、普段屋敷の中で過ごされている時は、袴の方が良いのではとおっしゃられまして」


 ……なんでもお見通しってやつか……

 すました顔で人のことおちょくってばかりの嫌な奴だけれど、時折こんな物凄く嬉しい心遣いを見せてくるから憎めないんだよ。


 清瀬の笑みに自然と幸せがにじみ出た。


「千登勢さん。早速着替えてもよろしいですか?」

「はい!」


 男性の袴と違って真ん中が分かれていない行灯袴あんどんばかま。ちょっとスースーする感覚に最初は戸惑ったが、着物より格段に足さばきが楽になった。


 ふっ。これならいつもの大股歩きでも誤魔化せるぞ!


 意気揚々と執事の待つ部屋へと向かう。

 昨日は綿帽子を被っていたし緊張でそれどころでは無かったので、屋敷の様子をきちんと見る間が無かった。千登勢に教えてもらったところ、華川家の敷地は思ったよりも奥が深かった。清瀬が今いる母屋は純日本家屋の建物。その手前、表門に近いところには、来客をもてなす和洋折衷の建物があって、執事の華川要三郎かがわようざぶろうはそこで寝泊まりしながら職務を遂行しているとのこと。


 だが、何よりも清瀬の心を弾ませたのは、母屋の裏に小さな道場があると言うことだった。ここは代々一族の陰陽師たちが心身を清め高めるために鍛えてきた場だったらしい。


 ああ、だから、父上が一聖殿のことを、『よく鍛えている』とおっしゃったんだな。父上はちゃんと見破っておられたのに、私ときたら全然わかっていなかった。

 免許皆伝の身でありながら奢っていたな……


 情けなくなって、顔色が沈む。


 稽古……したいな。


 千登勢が最後に差し出したのは、道場での稽古着だった。


「ただ道場への出入りは、必ず一聖坊ちゃまか要三郎さんがご一緒の時にして欲しいとおっしゃっていました」


 と言うことは、いずれ手合わせできるということだな。楽しみだ。



 和洋折衷の建物とは、つまり外見は昔ながらの日本家屋でありながら、中身は靴でそのまま上がれるようになっていて、部屋の調度品を西洋のテーブルや椅子に置き替えたと言う合理的な方法を取っていた。


 とは言えど、今までテーブルや椅子の生活をしてこなかった清瀬にとっては、何もかもが新しい世界。飾られている額の絵は金色の髪に青い瞳の顔が描かれているし、フカフカの絨毯の上を草履のまま歩くのも落ち着かない。

 

 だが、一番落ち着かなくさせているのは、目の前の男性の微動だにしない表情筋だった。


「改めまして、ご挨拶申し上げます。私の名前は華川要三郎。ここで実務を取らせていただいております。以後お見知りおきいただけたらと思います」


 頭を下げた男性の年齢は清瀬とあまり変わらないように見える。

 一聖とは違って、今風に短く髪を切り前髪を後ろへと撫でつけていた。皺ひとつない白のシャツに濃紺の上着。長い足に細身のズボン。着こなしは洗練されているし動きにも無駄がない。

 筋の通った高い鼻に乗っているのは眼鏡。それがきらりと光に反射して彼の瞳の様子を見づらくしているのが厄介だった。ただでさえ固い物言いなのに、表情まで見えないと言う、何とも捉えづらい男。それが要三郎の第一印象だ。


「清瀬です。こちらこそよろしくお願いいたします」

「早速ですが、華川家の表と裏の顔についてお話しいたします。どうか他言無用でお願いいたします」


 

 


 




 




 


 

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