ホログラムな人生

げこげこ天秤

第1話

『ようこそ!!』



 宙に表示された文字列。その下には、私のIDである泡結あわゆい蝶花ちょうかの名前が並んでいる。認証番号は、見る人が見れば、私が情報管理局のエージェントだと分かるものだ。そんな無機質な文字列が表示されたままの中空映写画面ホログラミック・ディスプレイを見つめる。


 やはりここは電波が悪いのだろう。読み込みに、若干の時間がかかってしまうことに、いまいるアパートのある場所のことを思い出す。見渡せば、物で散らかったフロアに、洗い物とカップ麺の容器が溜まったシンク、それから、出し忘れたゴミ袋が数個。辺りには、部屋干し独特の悪臭が漂っている。狭く日当たりも悪いこの場所は、月に2万もかからないかもしれない。ここは区画整理が行き届いている市街地からはずれた、いわゆる貧民街である。


 そんなことを考えていると、ログインが完了する。待ち受けていたのは、〈ヴィアヴァスタ〉と呼ばれる情報管理局が提供する広域情報共有サービスである。知りたいことを、音声あるいは記述で入力すると、友人のチャットに応じるかのように〈ヴィアヴァスタ〉は答えてくれる。



「ID認証GV067829、山脇やまわき龍也りゅうやの現状について教えて」

『ID認証GV067829、山脇やまわき龍也りゅうやは、本日17:43頃、自宅にて死亡が確認されました。死因は失血死。他殺による――』



 なるほど。現在時刻は17:47。情報管理局の把握能力には何度見ても驚かされる。感嘆と呆れ混じりの溜息を吐きながら、けれども私は、そこまで〈ヴィアヴァスタ〉の回答を聞いたところで、情報の訂正のために口を挟んだ。



「その情報には、誤りがあります。死亡時刻は17:30。自殺でした。情報管理局員・泡結あわゆい蝶花ちょうかとして、訂正を要求します」

『――申し訳ありません。先ほど、私が提供した情報には誤りがありました。山脇やまわき龍也りゅうやは、本日17:30に自殺しました。なお、本情報の信憑性は、情報管理局員・泡結あわゆい蝶花ちょうかさまにより保証されています。情報の訂正・提供、誠にありがとうございます』



 プログラミングされた感情のこもらない謝罪と謝辞をよそに、私はもう一つ修正すべき情報に気がついていた。訂正のために、再度〈ヴィアヴァスタ〉に問いかける。



「ID認証XR145160、落川おちかわ夢彩ゆあの犯罪歴の開示を要求」

『ID認証XR145160、落川おちかわ夢彩ゆあに関し、個人情報保護法の観点から、一般公開されているもののみ開示します。落川おちかわ夢彩ゆあは、月華市立南高等学校に在学する17歳の女性です。犯罪歴は、殺人が一件。山脇やまわき龍也りゅうやを――』

「その情報には、誤りがあります。山脇やまわき龍也りゅうやは自殺のはずです。落川おちかわ夢彩ゆあに犯罪歴はありません」

『――申し訳ありません。先ほど、私が提供した情報には誤りがありました。落川おちかわ夢彩ゆあに犯罪歴はありませんでした。なお、本情報の信憑性は、情報管理局員・泡結あわゆい蝶花ちょうかさまにより保証されています。情報の訂正・提供、誠にありがとうございます」



 おそらくは、細かいところをつつけば、修正すべき情報はもう少しあるだろう。だが、とりあえず緊急で修正すべきものはこんなところだろう。一旦、〈ヴィアヴァスタ〉が表示されている中空映写画面ホログラミック・ディスプレイを閉じて、私は洗面場の方に目をやる。


 そこには、返り血で汚れた制服を脱ぎ、新しいものに着替えている相方――落川おちかわ夢彩ゆあの姿。そして、当然というべきか、その傍の風呂桶には、中肉中背の男の死体が、顔を突っ込むような形で転がっている。それが誰で、名前が何なのかは説明するまでもない。先ほどこの場所でした男である。


 

「任務達成。終わったし、帰ろっか」

「前みたいに証拠残さないでよ。後々面倒だから」



 ポニーテールを揺らしながら、涼し気な笑みを浮かべてこちらに視線をやる少女に対して、私は目を眇める。人殺しをしたというのに、部活が終わった後と同じような爽やかな表情を浮かべる彼女には、驚きと呆れの感情が内心込み上げる。いまの彼女に罪悪感はおそらく欠片もない。あるのは、純粋なまでの達成感と優越感だろう。


 この仕事を始めてから、暗殺部隊の人間とは何人か組んだことがあったが、ここまでスポーツ感覚で殺しをする人物に出会ったのは初めてだった。前に一度、どうして殺すことに躊躇いが無いのかと訊いたことがあるが、けろりとした顔で「だって、〈ヴィアヴァスタ〉が殺せっていうから、仕方ないよね」と言われては返す言葉が無かった。


 〈ヴィアヴァスタ〉が出した答え――聖断。そして、〈ヴィアヴァスタ〉の統計データに基づいてと判定された人間を、削除していく情報管理局執行部隊。その一人が私であり、四月からの相棒バディ落川おちかわ夢彩ゆあであった。


 そして、私は今日最後の仕事にとりかかった。



「もしもし警察ですか? 情報管理局の者です。に訪れたところ、男性の死体を発見しました。ID認証は――」










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