月下の女人
高麗楼*鶏林書笈
第1話
金海府使、嶺南左節度使等を歴任し、後年、名儒(著名な儒学(朱子学)者)の一人として名を残す松堂 朴英(子実)の若き日の話である。
おしゃれで風流を好む子実は、しばしば、月を愛でるために夜外出していた。
その日はとりわけ月が美しかったので、彼はしばらく散策を楽しんだ。
とある大きな屋敷の前に来ると、門前に若い女人が立っていた。
ーこんな夜更けに若い女人が外に出ているとは‥。
「人外の者かも知れません。近付きにならない方がよろしいのでは」
従者が気味悪そうに言うと
「大丈夫だよ」
と子実はそのまま門の近くまで歩いて行った。すると女人の方から声を掛けてきた。
「あのう、助けていただけませんか」
女人が小さな声で震えながら言った。
「どうしたんだ?」
子実が穏やかな口調で問うと彼女は、
「実は‥」
と小声で話し始めた。
彼女は近郊の富者の家の娘で、少し前に自宅に盗賊が押し入り、金品と共に彼女も拐われ、彼らの手伝いをさせられるようになってしまった。
「…夜道を行く男性をこの屋敷に誘い込むのが私の役目です。その後、盗賊はその人の持ち物を身包み剥ぎ取るのです」
女人の話を聞き終えた子実と従者は顔を見合わせた。
「分かった」
子実は女人を促し屋敷内に入って行った。
子実主従は部屋に通され、女人はすぐに酒肴を持ってきた。
「どうぞ」
女人は子実に酒を勧めた。
しばらくすると、部屋の戸が開き、数人のいかつい男たちが入ってきた。
と同時に子実は女人の手を取り、従者は剣を抜いた。彼の剣の腕前は、主人同様、相当なものだった。
従者は男たちに踊り掛かり、その隙をぬって子実は女人を連れて部屋を出た。
運良く庭に馬がいたので子実は女人と共に乗った。そして屋敷外へと走り出た。
「汝の家は何処か?」
「城外すぐのところです」
馬は目的地に向かった。
まもなく一軒の家屋が見えた。
「あそこです」
女人の示す家の前に着くと、門付近に数人の男女が立っていた。
「母さん、父さん」
「お前、無事だったのか」
女人と家族は抱き合った。そして
「この方に助けていただいたのです」
と子実を紹介した。
「そうですか、ありがとうございます」
父親らしき男性が礼を言うと他の者も頭を下げた。
「夜も更けたことだし、我が家に泊まって下さい」
母親らしき女性が言ったので、子実はその言葉に従った。
「…若さま」
聞き覚えのある声に子実は目を開けた。
「ああ、気が付かれましたか、よかった」
従者だった。
「あれから、お戻りにならないので、探したんですよ」
「そうか」
こう答えながら身を起こした子実は周囲を確認した。既に夜が明けていて、野外にいた。
確か、あの女人の家に泊まったはずなのに。
「とにかくご無事でよかった」
従者が言うと、捜索を手伝った人々も頷いた。
「で、盗賊たちは」
子実が訊ねると
「はい、全員逮捕されました」
と従者が嬉しそうに答えた。
「それにしても旦那さまは妙な所で倒れられていましたねぇ」
手伝い人の一人が呟いた。これを聞いた子実が
「どういうことだ」
と訊ねた。
「はい、ここは例の盗賊一味に殺害された一家の墓所なんです」
よく見れば、背後に小さな土饅頭があった。
ーそういうことか。
子実は向き直ると、頭を下げて一家の冥福を祈った。従者と手伝い人たちもこれに倣った。
ー世の中には不思議なことがあるものだ。
子実は、その後、月夜を散策すると、時々ふとあの女人のことが思い浮かぶのだった。
月下の女人 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu
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