幕間のお話
エレが帰ってきてるって聞いたよ!?
からっと乾いた砂利道を進んで北側に見える木材建築の建物。平たい屋根、両開きの簡易的な扉の向こう側は普段聞こえてくる喧騒はいつにも増して近隣住民の耳を刺激していた。
それでも、一応は準公的な施設ではあるここは『冒険者組合』。無頼漢を束ねる依頼斡旋所というやつだ。
その建物の中、入り口に入って正面。黒みを帯びた樫で作られた受付で本革の鞄を背負った白い服を着た少女が一人。
「エレ帰ってきてる〜?」
華奢な体を預けながら受付嬢に問いかけていた。
「エレ、さん……? えぇっと」
「エレだよ、エレ! 知らない? 黒髪で満点の空に浮かぶ星空みたいな綺麗な目しててー……今は、どんな髪型してるんだろ。ワタシくらい〜かな? あ、でもだらしないからなぁアイツ……」
毛先をちょんちょんと触りながら受付嬢を待たずに顔を上げた。
「でもさ、知ってるでしょ? エレ。ボウケンシャになったって聞いたよ? で、勇者が王都に帰ってきてたって! だったらアイツここに帰ってきてるって思ったの! だって、駆け出しの時にわざわざここまで来たって知り合いに聞いたんだもん!」
小さな冒険者組合の喧騒を縫って聞こえるその声は舌足らずのようで、実年齢よりも幼く聞こえた。
説明をわかりやすくしようと身振り手振りをする度に桃色の髪が揺れ、その底抜けに明るい笑い声は組合所内にいた者たちの耳に入っていた。
すると、
「アイツのことが知りたいのか? お嬢さん」
「オ」後ろから声がかかり、振り返った。「オァ〜……」
ヌッと現れたのは、一目で冒険者だとわかる風貌だった。
しかし、昨今の品位を高めようとする流れを鑑みるに冒険者を他者に説明するときには奥に引っ込めておきたい姿をしている。
「綺麗な鎧だね、オジサン。強そう〜」
薄い臀部を受付に乗せ、目線を同じにする少女の緋色の瞳に映るのは銀色の全身鎧。ただ、頭部は取り除かれて、整えられていない黒髪と気取った鼻高の顔が見えていた。
鎧は磨かれているが、身だしなみはどこぞの浮浪者と見間違うほど。
「で、エレのことを知りたいんだって? 嬢ちゃんはなんだ? アイツの知り合いか?」
「うん! 昔からの付き合いさ。おじさんよりもずっっとね。ねっ、エレどうだった? ずっと頑張ってたんだもんね。だって、10年だよぉ〜、10年! 子どもが産まれて、歩いて、しゃべって、一丁前にケンカができるくらいの年齢になる時間だ」
うんうん、と頷いて、少女は白い服を揺らして聞いた。
「ね、エレはどうだった? 元気そうだった?」
少女の後ろで受付嬢が焦る声が小耳に聞こえる。がやがやとした待合所の声は全身鎧の男性を囃し立てるように盛り上がっていた。
「あぁ。もちろんさ」
「そっかぁ! よかった──」
「ヘラヘラ笑って帰ってきやがった」
待合所が盛り上がる。
笑い声が建物を揺らす。
アルコールの入ったような嫌な盛り上がり方だ。少女の鼻に、むんっと香ったのは路地裏の裏のニオイ。
「……」
どこも同じだ。冒険者はこの匂いを持ってる。
表通りから離れた裏の世界の匂い。臭くて堪らない。
「ずっと頑張ってたぁ? アイツがか!? アイツが頑張ってたのは勇者の脚を引っ張るのを頑張ってただけだろ!? 女みてぇな顔して、玉もない! 誰よりも無駄な10年間だったろうさ!」
また、盛り上がった。
「──……」
緋色の瞳が桃色の髪に隠れる。
「アイツと知り合いだってぇ!? 外でそうやって名乗るのはやめた方がいいぜお嬢さん! 連れ去られてまわされるかもしれないぞぅ? こわいねぇっ! ハハハハハッ!! あ、おじさんは優しいから心配はいらないよ。大丈夫だから安心してぇ?」
剃り残しのある髭面を少女に近づけ、唇を突き出して、チュッとリップ音を向ける。周りは今まで一番大きな盛り上がりだ。
男たちの声援まがいな声にウィンクをして返し、少女の返しを待った。
「ちょっと、この人はエレさんの──」
「いいよぉ。だいじょうぶ」
受付嬢がなんとか静止しようとしたところ、少女は受付から飛び降りて少女は男に向かって口を開く。
「うん! ありがとう。安心した!」
お礼を言った。
頭も下げた。
周りの人たちにもニコリと笑った顔を向け、頭を下げた。
受付嬢にも振り返って、お礼を述べる。
周りの困惑を置き去りにして。
「エレのこと分かったので、帰ります! ありがとうございました! みなさんもお邪魔してすみません。よい一日を!」
少女は男の横を通り過ぎようとする。背負っていた鞄が男の右手を掠めたところで、ようやくその少女の面白くない反応に頭が回った。
男は手を少女の鞄を掴んだ。
「あ──」
姿勢が崩れる。
「なぁんだよ、つれねぇなぁ? もっとたのしいこと話そう──ぜ、え?」
腕。
男は違和感を、伸ばした右腕に感じた。
上機嫌だった気分はその異変への理解が進むにつれて、一気に恐怖へと変わっていく。
「なんっ……」
その手は少女のものではない。
「だっ?」
少女の背負っている革製鞄から出てきた黒い手が、男の腕を力強く掴んでいたのだ。
それは、人の手ではない。
腕が細く、手に近くなるにつれて平たく広がっていく──白味を帯びた黒。星空のような獰猛な手。
「ヒィッ!?」
次第に握る力が強まる。
「イッ──」
その時、音が鳴った。
金属が拉げ、
肉が潰れる音。
「ハ」
そう、潰れたのだ。
「────ア」
鎧ごと、骨すらも。
眼球が現実を受け入れられず、左右に振れる。
「アァッ──」
潰れた骨は粉々に男の腕に突き刺さり、
肘よりも先の手が地面に情けなく落ちて行った。
ぼと。
ぼと。
ぼとぼと。
「アアアアアアアァァァァッァアアアッッッ!!!?」
受付の前に血溜まりが出来上がった。
立派な銀色の鎧は紅色に装飾された。組合の中から喜びの色は消えて、皆が自分の位置に張り付けられたように動けない。受付嬢の悲鳴が響く。
「あ! わっ、ごめんね! 大丈夫!?」
その空間を駆け抜けたのは、少女の驚いたような声。それに呼応したように、腕は鞄の中に引っ込んでいく。
「大変だっ、処置するから動かないでね?」
「あ、あァ……っ」
少女は震えている男の前で膝をついて、握りつぶされた断面の腕に、そ、と手を触れた。
「我らは此処に在り。
闇が
紡ぐ星闇。此方へ隔絶する。
一縷の光。築くその壁。
守れ、その子」
半透明の立方体が辺りに散らばり、集約し、男の腕の先に集まる。
──
光が収まると男の腕先から溢れていた血液は止まり、痛みも治まっていた。
まるで絶望と奇跡の紙芝居を見ているかのようだった。恐怖に感じた彼女がいつの間にか女神に見える。
「はいっ! これでよし!」
立ち上がった少女を男は目で追った。
あんぐりと空いた口からは言葉が出てくることはない。
「落ちてる腕を持ってしっかりとした神官さんに診てもらってね。ワタシは治癒の奇跡が使えないから……」
正気のない返事に、にまっと微笑んだ。
「でも良かったぁ! 多分、くっつくと思う。ここだけの話、この子、エレのことが大好きでさ。たまにさっきみたいな感じで暴走するんだあ」──鞄からニョキと出てきたのは、先ほどとは違って、紐づいた球形だった──「エレのことを馬鹿にしたりすると、すーぐ怒る。ほーんとめんどーくさぁ〜い」
「……は、はは」
笑顔がひきつる。自分の腕を一瞬にして装甲ごと奪い去った『異形』が少女の頬を撫で、じゃれるように首元から頭に登って、伸ばした指先に触れて、同じ道を辿って肩から男を見下ろした。
「──……それ、なん」
男が言いかける向こうで、カチャと鞘が擦れる音。
それは、男の仲間。長刀を抜きざまに卓から立ち上がっていたところだった。
仲間が傷つけられた。
怒るのは当然のことだ。しかし、
「ばっ……」
男は静止しようと声を荒げようとして──少女の周りをクルクルと回るその『異形』が殺気を放っていた観衆の方の目前までグンッと伸びて──……。
「コラ、ダメでしょ! おいたはそこまで!」
カツンッ。
見えない何かに弾かれた。
卓で立ちあがろうとしていた冒険者たちは、目の前で止まった鋭利な形となった黒い物体を冷や汗を垂らしながら見つめる。
彼らの鼻先では、半透明の光が黒い物体の進行を妨げている。
「──……っ!」
それは先の奇跡と同じもの。彼女が護ってくれたのだ。
でも、もし、静止が遅れていたら──?
男たちは視線だけを動かす。ザッと見ただけで8人の男たちの目の前で止まっている。あの一瞬で、これだけの人数の顔面を貫くことができる化け物が同じ空間にいる。
武器を納めるのにはこれ以上の理由は要らなかった。
叱られた子供のように涙目の彼らを他所に、少女は『異形』に鞄に入るように言いつけて、伸びたバネが縮むような速度で収まっていった。
「ほーんと、言うこと聞かないんだから……」
ふんぅ! と鼻を鳴らして、組合所を出ようとする。その後ろ姿に声がかかった。
「……なにもの、なんだ?」
いや、声というには小さい。葉が擦れたような微かな振動音だ。
「ワタシ……?」少女が振り返っただけで、男はびくりと顔をこわばらせる。「それよりも腕の方を心配した方がいいと思うけど……」
「……っ」
食い下がらない男性に、少女は口を尖らせた。
「ん〜……」
受付嬢も凍りついているように動かないし、組合所の冒険者たちも唾が喉に引っかかったような顔をして動向を見守っている。
「そんなにワタシのこと気になる? 大した話できないケド……」
全員から無言の促しが見れた。少女は観念したように身なりを整えて、返り血を浴びていない真っ白な服のまま、ペコリと頭を下げて自己紹介を始めた。
「えーっと……じゃあ、なにから話そうかな」
その時、受付嬢と目があい、男に対して彼女が何かを言おうとしていたことを思い出した。彼はエレさんの──遮った言葉だが、続く言葉はおおよその予想がついた。
「そうだ!」
それから言おう。
少女は、屈託のない笑顔を浮かべた。
「ワタシはエレのお姉ちゃんです!」
「アイツの姉──……っ!?」
男は咄嗟に口を閉じた。
エレのことを変に言ってしまうと、またアレに攻撃されるのではないかと警戒したのだ。
幸い、彼女の緋色瞳は不特定多数に向けられている。鞄も動かない。
「そうか。アイ──エレに姉が……」
「そーそー! お世話になりました」
いえいえ、とその場の全員から小さくて控えめな反応が返ってきた。エレと会ったことすらない者がほとんどだというのに一生懸命に話を合わせ、荒波を立たせないようにしている。
その理由はわかりきったこと。
皆の視線は一矢に集める、彼女の鞄だ。
「で! この鞄の子はエレからの贈り物!」
グイと背中に背負っていたのを体の前に持ってきて、皆が飛び上がるように驚いた。
「エ?」
「あ! いや、どうぞ。続けてください……」
「……? う、うん。そうそう、ワタシ自身がそんなに強くないからーあげるーって。それからこの子がワタシを護ってくれてるの。姉思いのいい弟でしょー? そう見えないだろうけどさ……あーでも、生意気だけどね? そこがまたいいんだけど。なんだかんだ言って素直なところとかね。うんうん。あと名前を呼んだ時は絶対返事するの。もーー、かわいいんだぁ」
「そ、そうなんです、か?」
「そーなんですよ──あ!」
紹介をしている時に、思いついたように鞄を開けて中身を探り出した。男たちは息が詰まるような思いで彼女の行動を見ていたが、出てきたのは全くもって予想外のものだった。
「いい機会だから、ちょっと紹介を、と」
じゃーん! と取り出したのは一冊の本だった。
「わたし、実は慈善活動をしてまして。みんな神の子どもだから喧嘩する意味なくない? みたいな感じでぇー……、それで、恋愛に関しての本も書いてるので見てみてくださいね!」
皆の頭上に「?」が浮かぶ。それに構わず言葉は続いた。
「ここにいる人数分はないんだけど……あ、受付嬢さんに渡しておけば大丈夫かな? 受付に置いておくので、興味があったら見てみてくださいね!」
自己紹介からなぜか自著本の紹介に続いた。血溜まりで腕が潰れた男が目の前にいるというのに、彼女はなぜか見慣れているような装いで受付代に駆け寄った。
「ハイ! これ、みなさんに」
「あ、は、あぃ……」
受付嬢は流れに身を任せて本を受け取る。ぺかっ、と明るく笑う少女の笑顔に合わせるように笑いながらも、気疲れしたように肩を上下させた。
「ではでは! みなさんお邪魔しました!」
くる、と踵を返して両開きの扉に手を掛けてバンッと開いた。
「ちゃんと神官に診てもらってね? それくらいの傷なら治るからさ!」
扉が閉まり切るまでの間。体を傾けながら手を振る少女の鞄から黒が滲み出ているのを男は見た。
「あ、あぁ」
嵐が去ったような組合からはしばらくは物音一つしなかった。
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