冥府の槍士~宮廷散歩
橘はつめ
第1話 月夜の晩に
秋の気配が訪れる八月。夜風がさらさらと優しく草木を揺らす。
どこからともなく聞こえる鈴虫の音が重なり合い夜空に舞う。
平安宮の庭園から夜空を見上げれば、赤見がかった金色の丸い月が輝いていた。
昨晩は宮中で催された「観月の宴」。中秋の名月を愛でる日であった。
華やかな衣装をまとった貴族たちが集まり、競っては和歌を詠む。管弦の興を楽しむ人々の姿が夢幻の様である。
人と灯りが消えた宮廷の庭園はひっそりと静まり返り、宴が終わった後の寂しい余韻だけが辺りに残る。
そんな静かな庭園の庭石に一人の娘が腰掛け、月を
宮廷で女官を務める娘・
「ふううう」
昨日の慌ただしさが嘘の様。女官たちにとっては一年を通して頻繁に行われる行事の準備に追われ、古の作法に従い大勢の客人をもてなす。
女官たちにとって、優雅な月見どころではない…。
同僚の女官たちは皆、既に寝入っている。
眠れぬ於結は、
◆
於結は懐から取り出した盃を並べ、小さな瓢箪を取り出すと盃に酒を満たした。
古那は両手を広げ盃の両端を掴むと溺れそうに注がれた酒に口をつける。
浮かない顔で月夜を見上げる於結に古那が話しかける。
「美しい月は、いつまでも変わらぬものよ」
「過ぎた
「今宵の酒も美味い」
と言うと盃に映った金色の丸い月に口をつけた。
於結が古那の言いように目を細め、少し照れた様に
「……」
「しかし、月を見ていたら腹が減ったなあ」
於結が目を丸くし、ぷうううと口を尖らせ、
この
「もうっ。
と膝を叩いて立ち上がった。
◆
於結は足を忍ばせ
そっと厨の戸を開けると月の光が窓から真っ直ぐに差し込んでいる。
月の光を頼りに薄暗い納戸に近づいた。
「
突然、背後から女の声に呼び留められる。
思わずビクリッと於結の肩が跳び上がり、亀の様に首を縮めた拍子に肩から落ちそうになる古那が慌てて於結の着物の
於結は背を丸め、声のした方をゆっくりと向き直る。
声主の手に持つ行燈の火が揺れ、女の白い肌を明暗に照らした。
「
於結は驚いて口に手を当てる。
目の前には、切れ長な目をした美しい女性。噂に聞く
若い頃から宮中に仕え、先帝の寵愛を受けた女官。
その美しさは、今の帝も魅了すると噂される妖艶の女性である。
「
その押し殺した様な低い声と切れ長な目は、於結の背筋を凍らせ首筋に鳥肌を立たせた。
「……」
「おっお腹が空いてしまいまして…」
「……」
「ん?」
「
逆に驚いた様子の女御様は、目の前の娘を見定める様に行燈の灯り照らした。
女御様は自分の着物の懐に手を差し込んだ。
片方の伸びた腕、白い指先が於結の肩に触れる。
そして何も言わず顔を近づけると小さく耳打ちする。
その吐息は、於結が今まで嗅いだ事の無い甘く妖艶な香りがした。
「……」
女御様は、於結の手首をつかんだ。
ビクッと肩を振るわす於結の手を強く握ると、手の平に柔らかい物を握らせた。
於結の乾いた口にゴクリッと
「私も…若い頃は…そうだったわ…」
女御様が目を細め、紅をさした口元を緩め微笑んだ。
その時、女御様の胸元に青白い光が浮かびあがった。
「えっ」
「於結っ! 後ろにさがれっ!」
古那の声と同時に於結の体が弾かれ、後ろによろけた。
「……」
古那が於結の襟元を蹴り、女御様の青白い光へ跳躍した。
薄暗い厨に銀色の閃光が刃の様に一直線に振り下ろされた。
青白い光は、ぱっと弾ける様に四方に飛び散る。
光を失った女御様が膝から崩れ落ち、床に座りこんだ。
「女御様っ」
於結が叫ぶ。
◆
於結が意識無く座り込んだ女御様の元に駆け寄ろうとする。
が、足が止まった。
女御様の顔を
「……」
於結が女御様から手渡されて握ていた手の平を開いて見た。
手には絹織りに包まれた唐菓子。
糖蜜で固めた色とりどりの甘い粒菓子が手の平に。
「あれは何だったの?」
「
ここは
摩訶不思議なモノが住みつく宮廷。
冥府の槍士~宮廷散歩 橘はつめ @kakunshi
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