つながる

野原せいあ

01 祖父からの連絡

 インターホンが鳴った。

 帰宅したばかりのカスミは、ショルダーバッグを床に置き、腕時計型携帯端末に触れた。

 小さな画面が中空に現れて、外向きカメラがとらえる来客の様子を表示する。スーツ姿の女性が一人。三十代前半くらいだろうか。顔に見覚えはない。

 何事だろう。居留守を装うことも考えたが、来訪者の人相に生真面目な印象があったこと、女の一人暮らしにどんな用件を持ち込もうとしているのか興味もあって、いぶかりながら端末画面の応答ボタンに触れた。

「はい」

『こんにちは。少しお話をよろしいでしょうか』

 パンツスーツの女性が左手首をドアにかざした。端末から身元証明を送信したのだ。

 ホームネットワークを通じて届いた情報は、カスミのメイン画面の脇に、小さなサブ画面となって現れた。

 女性の顔写真。名前、マキセ・カオル。所属、中央政府安全保障局第七班。役職、班長。

 カスミは驚きとともに眉を上げた。

 安全保障局がどのような役割を担う組織であるか、まったく分からない。ただ想像はできた。警察とは違ったかたちで安全に関わるのだと直感した。きっと大きな組織だ。一般人のカスミと接点がないはずの。

 知らないうちに、なにか大変な事件に関わってしまったのだろうか。不安のせいで鼓動が大きくなる。浅い呼吸を二度、三度と繰り返し、なにか誤解が生じているのであれば解かねば、という義務感にとらわれた。

 かといって来客に対する警戒が消えたわけでもなかった。社会的な組織をかたってお金をだまし取る報道はちょくちょく耳にする。話を聞いて、不審を感じ、拒絶することができればまだいい。もしも仲間がいて、部屋に押し入られ、腕力で脅されたらどうしよう。

 そんな不安を読み取ったかのように、マキセが続けた。

『もし良ければ、近くの警察署まで出向いていただけませんか。立ち話で済む内容ではありません。長くもなりますし、夕食後でもかまいません。お待ちします』

 腰の低い申し出に警戒心が少しだけゆるんだ。提案された場所も効果的だった。警察署なら、なにかが起きたら大きな声を上げればいい。カスミは二つ返事で了承した。

「分かりました。三十分後くらいで大丈夫でしょうか?」

「はい、ありがとうございます。私は先に警察署へ向かい事情を説明してきますので、あとでお会いしましょう」

 マキセは気のきく女性だった。置き土産に警察署の住所を送信してくれたのだ。ひと口に警察といっても周辺には交番もある。思い違いを防ぐための措置か、配慮なのか。どちらにしても場所を調べる手間が省けたのは助かった。

 深呼吸をして心を静める。空腹感はある。が、緊張のせいで食べ物がのどを通りそうにない。あきらめるしかないだろう。通勤スタイルのままなので着替えもいらない。これからなにが起こるのか、なにを聞かされるのか、心構えだけはしっかりしておかねば。

 キッチンで一杯の水を飲みほし、床に置いたショルダーバッグを持って古びたマンションを出た。

 指定された警察署までは徒歩十五分。到着したのは約束の三分前だった。

 受付らしきカウンターでマキセの名前を出し、名乗りをあげる。身分証を求められたので左手首の端末に触れて、縦は親指、横は人差し指ほどの長さの、いわゆる名刺サイズの画面を生成し提示した。

「ホリエ・カスミさん……ああどうぞ、二階の第三会議室へ進んでください」

 奥まった場所のエレベータではなく、手近な位置にあった階段を使った。第三会議室と表示された電子プレートを目視してノックをすると、マキセの声でいらえがあった。

 中に入る。さほど広くない会議室だ。簡易机が長辺で接し合って二台並んでいる。椅子は二脚あって。机を挟んで向かい合わせになっていた。どちらに座るべきか考えるまでもない。出入口側の一脚に座り、窓際にマキセが座った。腰を落ち着けて、ふと扉近くに椅子を置いてくれたのは、いつでも逃げ出せるという無言の提案ではないかとも考えた。もちろん邪推の可能性もあるが。

「足を運んでいただき、ありがとうございます。改めて自己紹介をさせてください。安全保障局のマキセといいます」

「どうも、堀江香澄です」

 目線を彼女に向けたまま、軽い会釈をする。一度生まれた警戒心はなかなか消えない。静かに相手の出方を待つ。

「どこからお話したものか、と考えたのですが」

 会話の主導権をマキセが握った。

 カスミは黙って受け入れた。

「複雑なので、最初からゆっくり進めます。分からないことがあったら都度、ご質問ください」

 カスミが無言でうなずくのを見届けて、マキセは口を開いた。

「ブレーンワールドをご存じですか?」

 はい、とカスミが首肯する。物理のテストに必ず登場する重要な単語だ。教師はいつも「膜のような構造で」という常套句を使って説明を始める。もっとも、小学校の理科すら苦手だったカスミには、十分に理解のできない内容であったが。

 マキセはこれを別の物に置き換えて例えた。

「私たちが住む宇宙は、一枚の紙のようなものです」

 ジャケットの内側を探り、マキセが手帳を取り出した。いまどき珍しい紙製の手帳だ。

「この手帳が大宇宙、一枚ずつの紙が小宇宙、私たちの宇宙はこの中の一枚の紙です」

 ぱらぱらと全体をめくり終えた指が、真ん中あたりの紙を一枚つかむ。

 目の前に実物の教材があるためか、本職の教師より分かりやすい。学校でも膜ではなく紙と教えればいいのに、などと考える。

「私たちの宇宙では、十五年前にこのブレーンワールド仮説が立証されました。ところが隣の宇宙では、七十年も前に証明されています。オオノ・マモルという日系男性が成し遂げたそうです」

 一枚隣の紙を示し、マキセは罫線を無視して「大野守」と書き入れた。無意識に、万年筆を握る指のしわに目を止める。意外と深い。もしかしたら彼女の実年齢はもう少し上なのかもしれない。三十代後半……四十代前半もありえる。

「見覚えは?」

 マキセがこちらを見つめた。

 カスミはもう一度、彼女の筆記に目を落とし、隠す理由もない事実を述べた。

「私の曾祖父と同じ名前です」

 私の曾祖父です、と断言しなかった理由はきっと調べているはずだ。承知のうえで尋ねたのかという意を含ませて、続けた。

「ですがもう何十年も前に亡くなっています」

「ええ、七十八年前ですね」

 やはり知っていたようだ。

「二歳になったばかりの娘さんと事故に遭い、マモルさんが亡くなって、娘さんは生き残った。この娘さんがあなたのお祖母ばあさんですね」

「そうです」

 父親を事故で亡くした祖母は、苦労を重ねた末に結婚し、一人娘を産んだ。これがカスミの母だ。なんの因果か、カスミの母も一人娘、つまりカスミを産んで二年後にやはり事故で亡くなった。

 遺された子どもは父親に養育を放棄され、母方の祖母に引き取られたのだ。

 その祖母も、五年前に亡くなった。立て続けに祖父も鬼籍に入り、カスミにはいま家族と呼べる人がいない。

 とある家族の脈絡が、隣で膜宇宙の証明を果たしたという男性と、どうつながるのか。カスミの胸に予感がともる。ただ、あまりに突拍子もないので、なんとなく言葉にしづらい。

 戸惑っているうちに、マキセが「話しは変わりますが」と枕言葉を置いた。

「二か月ほど前、国際科学研究所に一通の電子メールが届きました。送り主は隣の宇宙の政府から。内容はオオノ・マモルさんの娘を探して欲しいというものでした」

 なにかの間違いか、いたずらの可能性はないのだろうか。カスミが訝るまでもなく、立派な学歴と高度な頭脳を持つ人材が集まっているだろう組織は、きちんと査定を済ませていた。

「現在の科学技術では他宇宙との交信はできないため、いたずらを視野に入れて調査を行いました。が……、結論だけ申し上げると、メールは本物であると判断されました」

 彼女に本物だと断言させる因由いんゆが何なのか、気になった。カスミはここで初めて自発的に質問した。

「差し支えなければ、なぜ本物だと分かったのか伺ってもいいですか?」

「最初のメールに論文と転送装置の製造方法が添付されていたからです。論文はまだ査読中ですが、装置のほうはすでに完成していて、研究所はそれを使って〈先方〉とやり取りをしています」

 マキセの口振りは断定的だった。にわかには信じがたい内容でも、これが真実なのだと思えるほどに。

「本物だと断定されたため、メールで依頼された調査を進めて返簡しました。オオノ・マモルさんの娘さんは五年前に亡くなっていて、唯一の血縁はホリエ・カスミという二十二歳の女性だという内容です」

 中央政府という印籠があるのだ。戸籍を調べるなんて造作もなかっただろう。マキセは明言しなかったが、カスミが未婚で、恋人もおらず、伝統工芸品を扱う小さな会社に事務員として勤めていることもしたためたに違いない。

「そして五日前、再び〈先方〉から連絡がありました。――ホリエ・カスミさん、オオノ・マモルさんがあなたにお会いしたいと仰っています」

「…………」

 驚きと、いくつかの疑問が同時に沸き起こり、思考の整理に手間取った。言葉をしまって思案にふけることしばし、もつれた疑問を一つずつ開放する。

「会う、というのは物理的にですか? それともメールやモニター越しで?」

「対面です。オオノさんは高齢で寝たきり状態なので、ホリエさんに〈あちら〉へ行っていただかなければなりません」

「あちらって、別の宇宙なんですよね? そんなの技術的に可能なんですか?」

「こちらの技術ではむりですが、あちらはもう七十年も前に膜宇宙が立証されて、宇宙間技術の開発が進んでいるんです。どんな原理で行くのかと聞かれたら、まだ研究中です、としか言えませんが、できるかできないかについては可能ですとお答えできます。こちら側から何度も往復している研究員もいるので、安全性も問題ありません」

 回答には驚きの内容が隠されていた。隣の宇宙の技術を運用していること。秘密の研究を進めていること。たぶんそれらは公的組織によって秘密にされていること。

 想像以上に大きな事案に巻き込まれているらしい。今までとは別の種類の不安が浮かぶ。しかし怖気づいてばかりもいられない。

 一拍を置いて、カスミは次の質問を打ち出した。

「あなたが私に会いに来たということは、中央政府は私と、その、曾祖父との面談を認可していると思ってよいのでしょうか?」

「ええ、そうです」

 マキセの応答によって、カスミの胸を暗澹あんたんとした感情がふさいだ。

「……私の曾祖父は、ずいぶんわがままなお人なんですね」

 会いたいという願望一つで、二つの宇宙の世界政府を動かしたのだ。スケールの大きさに目がくらむ。

「科学の発展に多大な貢献をした歴史的な偉人と伺っています。宇宙の謎を解き明かし、往来まで可能にしたのですから、少しのわがままは公費で叶えて当然、という風潮があるように見受けられました」

 マキセが神妙に告げた。彼女の口振りは、カスミに先入観を持たせないよう、慎重になっているように感じられた。

「オオノさんは、事故で娘さんを亡くしたことをひどく気に病んで、宇宙の構造について研究を始めたそうです。娘さんが生きているかもしれない宇宙があるかもしれない……と。十年たらずで娘さんが生きていた宇宙を発見したのですから、感服します。すさまじい執念ですね」

 別の宇宙――ふとカスミの脳裏に疑問がひらめく。

「なぜ曾祖父はこの宇宙を選んだのですか? 祖母に会いたいのなら、別の宇宙でもよかったんじゃありませんか?」

 曾祖父が生きる宇宙があるのなら、祖母が生きている宇宙もあるはずだ。なぜ、祖母が病死したこの宇宙を選んだのだろう。宇宙の数には限りがあるのだろうか。その全てで祖母はもう亡くなっているのだろうか。

「理由として、まず先方の技術の限界があります。現時点では、メールや人間を行き来させられるのは、近隣の宇宙のみだそうです。もっと開発が進めばより多くの宇宙が選択肢にあがるのでしょうが、オオノさんはすでに百歳を越えていらっしゃいます。これ以上は待てない、というのが二つ目の理由です」

 納得すると同時に、少しだけあちらの曾祖父なる人物に同情した。執念で追い求めた娘に、あと一歩届かない悔しさ。ひ孫で溜飲を下げるしかない無念。それでもひ孫に会わずにはいられない執着に、ほんの少し鳥肌を立てた。

「いかがでしょう、お会いになられますか?」

 いつの間にか下がっていた視線を上げた。マキセがこちらを見ている。厚意の目だ。彼女はカスミを少なからずおもんぱかってくれているらしい。

「私に拒否権があるんですか?」

「どうしてもとおっしゃるのであれば、むりはできません。ただもし、なんらかのご要望と引き換えに了承していただけるというのでしたら、こちらも最大限の努力をお約束します」

 迂遠うえんな言い回しを翻訳するのは簡単だった。お金が欲しいと言えば相応の金額を振り込んでくれる腹積もりなのだろう。ほかにも条件に恵まれた勤め先の口利きくらいは請け負ってくれるかもしれない。

 胃の奥で欲望がうごめいた。浅ましいと分かっていながら捨てきれない。逼迫した生活ではないが、余裕がないのも事実である。もらえるのなら欲しい。だが、お金で済ませていいのかと叫ぶ道徳心も無視できない。カスミは顔を歪めた。

「……少し、考えさせてください」

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