店主と理解者

奥へと続く扉の横に凭れ頭を垂れる。日々店の外から聞こえる騒音も今は耳に入らない。声を出そうと口を開けど出るのは音にない空気ばかり……嗚呼、駄目だ。これでは駄目だ


「……はぁ」


耳を澄ませば扉の奥から僅かに聞こえる2つの声。刈と速水くんの言い合う声…速水くんが何を言っているのかは分からない。だが刈が言っている事だけは手に取るように分かった。彼はこの店を訪れる度に同じ言葉を繰り返し……アシスタントを奪っていく。雇った人間は速水くんが初めてではないのだ。これまでにも何度も雇っていた、けれどその度にあの男が、店から出るように仕向けてしまう


《人間など必要なかろう》


問いただせば返ってくるのは決まってソレだ。この店には必要ない、と……さも当然のように言ってくる。それでも彼を止められないのは、あながち間違っていなかったから…。この店に初めて雇った人間は最初こそ真面目に働いてくれたが、やがて売上金と共に姿を消した。2人目の人間は、金品と共に……3人目は、SNSにてありもしない事を書き込み店を荒らした…故に店に多少の細工を施した。4人目は私を売ろうとした、5人目、6人目……もう数えるのも億劫な程の人間を雇った…何時からか刈のアレが始まり、雇った人間を店から追い出すようになった。アレはあの男なりの優しさだ、分かってはいる、だがそれでも…もう一度、もう一度と…期待してしまうのだ。人間に…この世界に



「こーんっばーんっわ」



「……」



「久しぶりだねぇ」




あれこれと考えていた店主に1つの声がかけられる。酷く重たく感じる頭をゆっくりとあげた先には面を被ったスーツ姿の男が立っていた。ヒラリと右手をあげ軽く首を傾けた男は壁に凭れる店主と視線を合わせるように膝を折る


「元気ないなぁ…」


「…刈さんと貴方が来て元気になれ、は無理がありますよ」


「あっははは…ん?刈も来てるの?」


「奥にいらっしゃいます」


店主の言葉を聞いた男は、あぁ…と短く声をあげた。なるほどなぁと何度か頷き、座り込む店主へとその手を伸ばす


「恒例のやつかぁ…刈も酷いなぁ…」


「……」


「…けどなぁ、夢月ゆづ…みぃんなお前の事が心配なんだよ。刈もオレも、アイツらも……もう自分を許しておやり…苦しいだけだろう?」


店主とはまた違う、低く穏やかな声。彼を夢月と呼んだ男は面の下で目を細めた。もう良いのだと、何度言った所で彼が頷かないことなど分かっている…けれど言わずにはいられない


「…夢月」


「……当店は、追い詰められたお客様だけが足を運ぶ事の出来るお店です……それがこの店、夢見屋です」


「うん、知ってるよ」


「…速水くんもまた、追い詰められてこの店を訪れた」


「だから見捨てらない、っていうんだろう?……それも知ってる。刈もオレも…知ってるから言うんだよ、夢月」


責める訳ではなく幼子を諭すように男は言葉を投げかける。何処かで誰かが止めなければ、彼は死ぬまで続けるだろう…この店を……人間達を救う事を。誰かが逃げ道を作ってやらなければ、夢月は休むことすら出来ないのだと、男は解って言っていた


「疲れてるなら、ちゃんと言いな…夢月。どうせ自分で目の下に隈が出来てることも気付いてないんだろう?」


彼が陽介に接客をさせない理由は陽介が考えている優しさでも不慣れだからという理由等でもなかった。ただ陽介を信用していないから、それだけだ。夢月自身、口が裂けても本人に言うつもりなど毛頭ないが…


「…お節介な方ですね」


「そりゃあ…目を離した隙に死なれでもしたら困るからねぇ」


溜息を零した夢月の頬を撫で男は面の下で微笑んだ。慈愛を帯びたその視線に店主が気づく事は無い。男の言う通り、相当疲れが溜まっていたのだろうか…自身の頬に触れられた男の掌の"ひんやりとした"温もりが何処か心地よく、店主は無意識に顔を擦り寄せる



「…ひと月程前に、白檀を求めたお客様がいらっしゃいました」



その温もりに絆され、彼の口からポツリと言葉が零れ落ちた。するつもりなどなかった話…けれども何故か、この男には全てを話してしまう自分がいる。昔から傍で見守ってくれていたからか、はたまた何か特別な力でも使っているのか、理由は分からないが夢月は自身の口から零れる言葉の数々を止められずにいた



「私がお客様に出来るのは夢を見せる手伝いだけ…貴方や刈さんの様な真似は出来ない…私の言葉に力は無い」


「夢月、もう今夜は店閉めて休みな」


「救いたいと願うのに私に全ては救えないんです…貴方達とは違うから……貴方達の様にはなれないから」



眠る必要がなかろうと、疲労が溜まらぬ訳では無い。無意識のうちに蓄積された疲労の数々が、男に向けて言の葉の刃として吐き出される。それでも男は時折相槌を打ちながらただただ静かに話を聞き、落ち着くまで彼の言葉に耳を傾け続けた。それから小一時間程経った頃…何時しか店主の声に嗚咽が混ざり始め、男は面の下で瞼を下ろしそっと彼の頭を抱き寄せた

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