死体の逃げる夜に

松丘 凪沙

問題編

 私、高岡皐月は毎夜、近所を散歩がてらランニングをするのが日課だった。


 家を出て左手にある坂を下り、突き当たりの川で上流側に曲がって最初の橋を渡り、川向こうの道を下流側にある別の橋まで歩き先ほど下りてきた坂を上って帰宅する、という一周30分足らずのルートだ。


 社会人になると同時にここに引っ越して来てからの数年、雨ニモマケズ、風ニモマケズこの坂道を往復してきた。

 さすがに雪の日や台風の日は坂道で転ぶと危ないので中止にしていたが、西にスイーツバイキングあれば制限時間ギリギリまで食べ尽くし、東に会社の飲み会あれば最後に残った唐揚げを率先して処理しテーブルの上の皿を片付けるという生活をしていても平均より少し上(そう、少しだけ、ほんの誤差レベルである)の体重をキープできているのもこの涙ぐましい努力の積み重ねの成果である──少なくとも本人はそう信じていた。


 この日はいつもより少し遅い日付の変わった頃に皐月は自宅を出た。近くにある自動販売機で買った水で唇を湿らせ、ペットボトルをウエストポーチへしまう。


 坂を下っていたところで正面から黒い軽自動車が上ってきて危うく轢かれそうになり、慌てて脇の壁に張り付いて避ける。

 この坂はかなりの急勾配で、上ろうとすると自然とスピードが出てしまう。地元に住んでいる人間であれば気をつけて運転するはずなのだが……


 気を取り直して突き当たりの川で曲がり、一周して坂を上ろうとすると少し先に黒い軽が止まっていた。さっき轢かれそうになったのと同じ車だろうか。

 この坂は車がすれ違うのが困難なほど道が狭く、あんなところに停まられては他の車が上り下りできない。もしかしたらエンストなどで動けなくなったのかもしれない、一声かけたほうがよいのかと思い近づき、ポーチに着けていたライトを車内へ向けたところで皐月は悲鳴を上げそうになった。右側の席に、胸に刃物が刺さった40代前後の男が座らされていた。


 一突きで仕留められたようでほとんど血は流れ出てはいなかったが、ライトを当てられたその瞳には何の反応もなく、素人目にも絶命しているのは明らかだった。

 家に携帯を置いてきてしまったため、皐月はえっちらおっちらと坂を上り、息を切らしながら警察へ通報する事となった。通報を終え、現場である車まで戻ったのは発見から10分ほどかかってからだった。


 ところがその数分後に来た警官が調べたところ車内には誰の姿もなかった。皐月はイタズラでの通報を疑われ注意を受けた後解放された。しかし後の調べにより、この車は盗難車だと分かり、後部座席からはこの周辺で空き巣に盗まれた貴金属や通帳、印鑑などがいくつか見つかった。猛スピードで坂を上がってきた事からも分かる通りかなり乱暴な運転をされてきたらしく車のあちこちに傷があった。事実エンストしていたようで、数時間もしないうちに警察がレッカー車の手配をして撤去していった。


 また、この日坂の上にある出張中のサラリーマンの家に空き巣が侵入していた事がわかった。


 もしやその空き巣の犯人は複数人で、何らかの理由で仲間割れをした結果そのうちの1人を刺して逃げた。まさかその刺された男が死んだ後も警察から逃れようと自分から姿を消したという事なのだろうか?



死体はどこから現れ、どこへ消えたのだろう?

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