第一章 私の呼びかけに応えてくれる?

 死ぬ前には人生の走馬灯を体験すると聞いていたけど、今回私はようやく身を持って理解した。


 縛霊縄が切れたあと、魂はたぶん冥府の環境から一般の魂として扱われて、激流に流されたらしい。まるで高速で回転するコーヒーカップの中にいるみたいに、自分の人生の場面が一つまた一つと絶えず目の前でフラッシュバックしていくのを見ていた──


「どうして本来の姿で現れたんですか?」


「冥官が人を驚かせるのは無罪でしょう?」


「じゃあ後始末はあなたが自分でやりなさい──」


 待て待て、こんな記憶は覚えてないよ!目の前に立っているあの二人はいったい誰なの?邱先生が叫び声をあげたあと……いや、邱先生が叫び声をあげたあと、まだ何かあったっけ?でも考えようとしてもどんどん考えることが難しくなって、意識がますます散漫になっていることに気がついた……


 しっかりしろ!本当に意識を失ったら終わりだ!私は腕を振って何かをつかもうとした!でも魂の手はまったく言うことを聞かない。私はまったくもって思い出したくもない高校時代のグループと吐き気を催すあの顔を、見たくもないのに見ざるを得なかった。


「佳芬、あなたは最高だね!やっぱり私のいちばんの親友は──」


 たくさんだ、もう止めて!次に何が起こるのかハッキリとわかっていたから、もう一度味わうのはたくさんだった……


 目の前の場面はまた変わり、いくつもの赤い光が目の前に立っていた……その中の一つからガリガリの五本の指が伸びてきて、ガッシリと私の喉をつかんだ。


 宋昱軒……蒼藍……助けて……


 雅棠……


 明廷──本当の名前、本当の名前を呼ばないと意味がない……洪深仁……


 誰でもいいから、早く次の場面を止めて……


 すごく怖いんだ。


 そのときの私には助けを求められる冥官すらいなくて、ただ心の中で無救兄ちゃんと必安兄ちゃんの名前をひたすら唱えることしかできなかった。彼らに聞こえますようにと……


「わ、私はまだ生きていたいんだ──」


 あのときは生き延びた。


 今は?


 冥府の規則を受けて、私は奈何橋のたもとに来た。湯呑み茶碗を手渡しに来た孟婆すら、私のカウンセリングのクライアントの一人だとわかった。魂も冥府の規則のせいで私の意志とは無関係に半透明な手を伸ばし、湯呑み茶碗を受け取った……


 この期に及んでも、まだ生きていたいんだ。


 でも私は声が出ず、助けを呼ぶことすらできなかった。湯呑み茶碗の縁がどんどん自分の口へ近づいてくるのを、何もできずにただ見ていることしかできなかった。


 お願い、誰か助けに来て!


 まるで私が助けを求める声に応えるかのように、突然手の中の湯呑み茶碗が誰かにひっくり返された……


「彼女は佳芬姐さんだぞ!」その手の持ち主は孟婆にそう怒鳴りつけると、私が再度冥府の激流に押し流されるのを恐れて、もう片方の手で私の腕をギュッとつかんだ。


 でも……ねえ、あなたは誰?私が知り合った人間や幽鬼の中で、あなたみたいに真っ白な人は間違いなくいなかったよ。白無常の白がどちらかというと静謐な雪みたいなのに対し、この白色君は写真を撮るときのフラッシュみたいでとても直視できない。


 白といえば、思い浮かんだのも蒼藍だけだ……でも彼のウエストは、たぶんだけど蒼藍の半分くらいしかないんだよね──


「道士さま、簡さんが死んでしまったのは私たちも本当に残念ではありますが、『規則』によれば、簡さんも同様に殿主の尋問を受けることになっておりまして、そのあとに奈何橋に来たのでしたら私たちも孟婆湯をお渡ししないわけにはいきません」


「佳芬姐さんは死んでないし、殿主の尋問も受けてない」呼び方だって似ている……全世界でも私のことを『佳芬姐さん』と呼ぶのは蒼藍のヤツだけなんだよね。白色君は──とりあえずフラッシュ君と呼ぼう。そのほうがわかりやすい──私を最初の孟婆から遠ざけたけど、周りにいるのは孟婆だけではないし、奈何橋の警備員たちも集まり始めた。大いに武力に訴えるつもりだろう。


「道士さま、これ以上私たちの仕事を邪魔するのでしたら、殿主に通報しますよ」孟婆は親切にも警告を発した。フラッシュ君は警告なんてまったく問題にせず、挑発するように言った。「通報しに行きなよ。早いに越したことはないから、早く捕まえに来させるといい──あ!宋昱軒!こっちこっち!」


 遠くで何かを探しているかのようにあちこち見回していた宋昱軒は、フラッシュ君の叫び声を聞いてまずは訝しく思い、すぐさま「暇ではない」と言い捨てると背を向けて行ってしまった。


 おい!私はここにいるんだよ!あんたが暇じゃないのは、まさに私を探すのに忙しいからじゃないのか!


「くそっ、今日は冷やかしに来たんじゃないんだよ!佳芬姐さんは確保したのに!」


 宋昱軒はキーワードを聞くとその場で固まった。すぐに元の道から外れて私たち二人のもとに来ようとし、私を注意深く見ると信じられないといった様子で聞いた。「本当に佳芬なの?」


「本当に彼女だよ!」フラッシュ君は不満そうに言った。「俺を信じないのか?」


「受刑亡霊を密かに人間界に戻して生き返らせるのは初めてではないだろう?」宋昱軒の右手は剣の柄を押さえていて、いつでも長剣を鞘から抜くことができた。


「たった一回だけだ!」彼は私を引っ張り、宋昱軒が『よく』見えるように、まるで子猫を運ぶみたいにして私を彼の前に押し出した。二人の距離は、私がほとんど彼の目しか見えないくらいに近づいた。


 あとから思い返すと、あのとき魂の状態だったおかげで顔が赤くならずに済んで本当によかったと思う。


 ひょっとしたら宋昱軒は、こんな近距離でないと私を認識できなかったのかもしれない。彼の冷ややかな目に狂喜の色がよぎった。すぐに縛霊縄を取り出して私の体に結びつけると、それまでのどこかよそよそしく物寂しいオーラはあっという間に消え去った。彼は口の中でボソッとつぶやいた。「よかった……あなたが見つかって本当によかった……」


「よく言うわよ!」私は文句を言い出して初めて、自分がようやく話せるようになったことに気づいた。「あんたさっき私ってわからなかったよね!」


『ゴロゴロ……』


「何の──」音?私の疑問を待たずして、宋昱軒が危険そうに眼を細めて雷の音の発生源を注視すると、黒い霧が私の周りを取り囲み始めた。


「佳芬、冥府は危険だ。まずはあなたを連れて帰る」宋昱軒は焦っているようだった。普段は私の魂を自分で体の中に戻してから縛霊縄を解き、私の意識が戻ったのを確認したあとは体の状態を心配するような言葉をかけてくれるのに──今回はちっとも優しくないし、家に着くなり私を体の中に押し込んだんだ!こんな無理やり押し込まれたら、体中に何かしら不快な症状が出るよ!



「ゴホゴホ、昱軒あんた──ゴホン!」荒過ぎるんだよ!私はベッドのそばで丸くなって強烈な不快感を和らげた。吐き気やめまいの症状が治まって体を起こせるようになったとき、部屋にはすでに冥官の姿はなかったが、誰かが狂ったように家のチャイムを押した。


「佳芬姐さん、早くドアを開けてくれよ!」


「うるさい!聞こえてるよ!」ドアを開けるとまず宙に浮かんでいる小篆しょうてん(漢字の書体の一つ)にビックリした。デブオタクの揃えた二本指はまだ白い光をあげながら燃えており、まさに最後の一筆を書こうとしていた


「ウチのドアに何したいのよ?」


 蒼藍は小篆を消し、何事もなかったかのようなふりをした。「何にもしてない。早く入れてよ」


 見え見えの嘘をつくにもほどがある!あれは明らかに「炸」の字だった。明らかにウチのドアを爆破しようとしてただろう!ケリをつけるなら、家に入れなきゃつけられない。私は形式的に言った。「魏蒼藍、どうぞお入りください」


 入る許可を得た蒼藍は玄関に踏み込むと、一も二もなく法術で何重にも私を巻きつけた。ヤツが何をしたいのかまだわからぬうちに、すでに白いロープでベッドの上に拘束されていた──


「おい!私に何をする気だ!生き返ったばっかりの私に緊縛プレイをしようっていうのか!」


「急いでるから、今は話さないでくれ!」


 蒼藍は私がまたわめいて邪魔をするのを防ぐためか、直接声が出せない呪文をかけた。おかげで私は金魚のように口をパクパクさせることしかできなかった。


 なんで私の周りの男は生者であれ死者であれちょっと横暴なんだろう?


 話すことも体を動かすこともできない以上、私ももがくのを諦めてただヤツのポケットから印鑑に似た形の五つの黒い物体が飛び出し、それぞれ私の眉間と四肢の上に浮かんでいるのを見ていることしかできなかった。その物体は角張っていて、見たところ黒い水晶みたいだった。黒水晶は蒼藍の冷たく澄んだ呪文を唱える声に伴って、ゆっくりと回転した。そしてそれを中心に白い線が放たれると、線と線が互いに繋がって円を作り、意味不明の毛虫のような文字がさらに一つ一つ外側の輪を埋めた。歪んだ文字の始めと終わりが繋がったとき、蒼藍が手を叩いた。白い線はまばゆい光を放ち、黒い水晶でさえ相反する白い光を放つと破裂して粉々になり、法陣の線の中に落ちた。


 法陣は回転し始めた。実際、すべての過程がとても美しかった。もちろん蒼藍の巨体は、この角度から見るとさらに目を見張るものがあった。


 蒼藍が二十歳になったらダイエット外来の診察を忘れずに受けさせよう。


「よし……話して……いいよ」蒼藍は話すとき少し息切れして、弱々しくもあった。でも何回か深呼吸すると、呼吸はかなり落ち着いた。「この法陣は一時間稼働するから、佳芬姐さんこの間にゆっくり休んでいいよ」


「これは何のためなの?」


「魂と人間界の繋がりを再構築するためさ」蒼藍は断りもなしに私の机を綺麗に片付けた。また何か魔法をかけるのかと思ったら、まさか普通にカバンから宿題ノートを取り出して宿題を始めた。「これには時間の制限があるから、時間が経ったら法術の効果が落ちるよ。もし俺が繋がりを再構築しなかったら魂が抜けやすくなって、運が悪いと風が吹いただけでも体に戻れなくなるから」


「どんな医療行為も行う前にまず告知して患者か家族の同意を求めなきゃならないって知ってる?」


「俺は医療関係者じゃないから、あなたたちの流儀には従わないよ」蒼藍は憎たらし気に言った。「文句言えないでしょ」という意味が多分に込められているのだろう。ヤツはペンを揺らしながら、誇らしげな口ぶりで言った。「俺と知り合いであることを喜ぶべきだよ。普通の内境関係者だったら一人でこの法術はできないからね」


「はい、はい、蒼藍あなたは最高ですよ。みんな拍手拍手──」


「……もう少し誠意があってもいいんじゃないの?」


「──でもやっぱりありがとう」私は言った。今度は本当に誠意を込めたから、蒼藍がペンを止めて奇妙な目で私を眺めたほどだ。「俺の法術間違ってなかったよな?本当に佳芬姐さんか?」


「そうだよ!早く宿題やれ!」


 蒼藍の宿題は本当に多いのか、私とそれほど言い合うこともなく、練習問題に没頭して奮闘を続けた。そしてこのがんじがらめに縛られた私は、天井を見つめていることしかできなかった。


 退屈だ。


「蒼藍」


「何?」


「私が戻ってくる前、冥府が内境に攻撃されたよ」


「彼らの心配はいらないよ。もし冥府が本当にそんな弱いなら、とっくに内境に攻め落とされてるだろ」


「そうか……内境がなんで冥府を攻撃したいのか、本当にわからないんだよね」


「自分で尹さんに聞いてみればいいじゃん。俺たちにも内境の頭の中にいったい何が詰まっているのか分かるようにさ」


 その口ぶりからして……蒼藍は本当に私と尹さんが接触するのが気に食わないらしい。


「あんた自身も内境の人間じゃないの?」


「内境だったら──」蒼藍は全身を震わせると、分厚い黒縁メガネ越しに物凄い目つきで私のほうを見た。ヤツは冷ややかに言った。「佳芬姐さん、鎌をかけようなんて思うなよ。言いたくないことだってあるんだから言わないよ」


 チッ、バレたか。蒼藍の口はやっぱり堅く、知り合って数年経つが本当に自分のことを多く明かそうとしない。そのくせ、いつも私に星の海音楽少女とアニメを薦めてくる。主に前者だが。


「いいよ……そもそも私が聞きたかったのは、さっき私を助けた人は誰なのか、ってことなんだ。彼の炎とあんたのはすごく似てるって言いたかった──」


「炎?」蒼藍はペンを止めた。「縛霊縄が切れたあとのことは覚えてるの?」


「覚えてるよ!たぶん人生の走馬灯だろうものがあって、それから私に孟婆湯を手渡す孟婆がいて……もう少しで飲んじゃうところだったよ!幸運にも白い炎に覆われた人が阻止してくれて──人だよね?冥官は白くはないはずだし……」


 蒼藍はこの話題にすごく興味を示し、私のベッドの近くに椅子を引き寄せた。「その白い炎の人の顔はどんな感じだったか覚えてる?」


「うーん……全身が白い火に覆われてたから、顔がよく見えなかったんだよね。口を開いた瞬間に私を『佳芬姐さん』って呼んだから、私はてっきりあんただと思ったんだよ」


「どうなったの?どうして俺じゃないってわかったの?」ヤツは片方の眉毛を釣り上げながら追及を続けた。


「あんたのウエストは彼の一・五倍あるんだよ。まずは三十キロ痩せてから言いなさいよ!」フラッシュ君の身なりは蒼藍とあまりに違い過ぎるんだから、間違えるわけがないだろう!もしコイツが何度となく『佳芬姐さん』と呼んでいなければ、絶対にこれっぽっちも疑いを抱くことはなかっただろう。


「そうみたいだね」デブオタクの機嫌は急によくなり、歌を口ずさみ始めるほどだった。しかも、聴いたことがないメロディーだ。


「この曲は……?」以前の星の海音楽少女の明るく軽快なメロディーとは全然違う。まさか……


 蒼藍はついにほかのジャンルの音楽を聴くようになったのか?


「星の海音楽少女の最新シングル、昨日出たばっかりなんだよ!」


 やっぱりこのデブオタクには何の期待もしないほうがいい。

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