03【契約】

 翌朝、窓の外の景色は相変わらず霧に包まれ、空はまるで埃に覆われているようで陰鬱としている。

 起きたばかりのセレステは窓の外の雪景色を眺めたが、肌寒さが感じられなかった。

 彼女の身体にはいつの間にか薄色のセーターを着ていた。それは自分のものではなかった。セーターにはあまり馴染みのない洗剤の香りが漂っている。

 車いすはベッドからあまり離れていない場所にあった。セレステは柔らかい布団を両手で支えながら体を動かした。何とか自分で車いすまでたどり着くと、ウェーブのかかった長い銀髪がひどく散らかっていた。

 車いすで化粧鏡まで移動した後、セレステはさっと自分の身だしなみを整え、襟元の赤い蝶結びを平らにした。鏡の中の自分の姿をしばらく見て から、ぼんやりと自分のほほを触り、二回叩いく、青白かった頬が赤くなり、それは魂を呼び覚ましたかのようだった。それから部屋のドアの方向へ進んだ。

 彼女が使っていた部屋は最もリビングに近い部屋だった。イヴァンと老婆は一番奥にある寝室を「共用」していた。昨晩、意識を失った老婆を担いで部屋に入ったとき、こんなことも言った。「安心しな、俺の舌は味にうるさいんだ」

 キッチンに入ると、セレステは冷蔵庫を開けて中の食材を確認し、朝食用におかゆを作った。

「よう、お嬢さん、えらく早起きだな」

 セレステが朝食を食べ終わったところ、気だるそうな声が、奥からゆっくり聞こえてきた。

 窓のそばで本を読んでいたセレステが振り返ると、上半身裸で黒いズボンしかはいていないイヴァンがそこにいた。イヴァンはあくびをしながらタトゥーがある背中を搔いた。

「おはよう、イヴァンさん」セレステは本を閉じて、笑いながら言った。「死神さんは服着なくて大丈夫ですか?外、また雪が降ってきました」

「大丈夫だって」イヴァンは肩を縮めながら、「俺のこと、『死神さん』って呼ばない。昨日の酒を吐くところだった」

 ソファに座り、火をつけようとたばこを取り出したイヴァンはテーブルの鍋に視線を向けた。馥郁とした香りが漂ってくるようだ。

「あ、私、おかゆを作りました。イヴァンさんも食べます?」セレステは車いすをテーブルまで動かしながら、彼の想像が正しかったことを証明した。

 イヴァンは一瞬迷ってから、言った。「おう、少しいただこう」

 手を振って合図した後、たばこに火をつけた、イヴァンが雲のような煙を吐いたとき、セレステはちょうど盛り付けたおかゆを運ぶところだった。

 イヴァンは椀を手に取って、椀のふちを持ちながら一口で飲み込んでしまった。まだスプーンを手に持っているセレステはその様子をポカーンと見ていた。

 昨日は意識が朦朧としているうちに説明を聞いたが、頭がすっきりした今日ならやはり目の前にいる人物がとても死神とは思えなかった。

 さしずめ、どこにでもいるヤクザの構成員といったところだ。

「料理上手いじゃん、おかわり」イヴァンは唇を舐めながら、椀をセレステに向けたのだが、まだ盛り付けの準備中だったとき、「まぁいい、直接鍋ごとを持ってきて」と言った。

 最後には鍋に入っていた熱いおかゆが全てイヴァンの胃袋に収まった。セレステは呆気にとられたまま、空になった鍋を眺めていた。おかゆは少なくとも五、六人前だったのに。

 しかも、イヴァンはポケットの中から、ウイスキーボトルを取り出して、数口で飲んでしまった。「いやあ、やっぱ飯の後といえば酒だよな」

 そう言った矢先に、彼は酒瓶をセレステに差し出したが、頭を横に振って断られた。イヴァンはまた自分で酒を飲んだ後、さらに一本のたばこに火をつけた。

「イヴァンさんは……本当に死神ですか?」セレステは思わず尋ねた。

「ん?なんで今さらそんなこと聞くんだ。もう理解したと思ったけど」イヴァンは眉をひそめながら言い続けた。「それとも、まだ少し俺が死神じゃないと思っている?」

 全く思えない。

 セレステは少し微笑んだだけで何を言っていいかわからなかった。イヴァンはため息をついて、右手で空中に半円を描いた後、年季の入った黄ばみのある牛皮でできた紙と羽ペンが目の前で浮かんでいた。

「じゃあ、本題に入り、その目で確かめてもらおうか」

 イヴァンはその牛皮紙をセレステに渡した。セレステは大きい文字で書かれた表題「死神の自殺契約書」、担当者「イヴァン」を目にしたが、内心疑いが晴れなかった。紙にびっしりと書かれた文字の中に古ラテン語のテキストが混ざっていた。

「おっと、まだ言語を切り替えていなかった。前の奴はラテン男だったな。華々しく散ったぜ」イヴァンはさわやかに笑った。

 イヴァンが牛皮紙を取り戻そうとするとき、セレステは紙に書かれた文字を見て頭を横に振りながら、「大丈夫です」と言った。

「おや、お前さん、ラテン語わかるのか」イヴァンは賞賛の言葉を口にした。

「学校でちょっと習いましたから、あまり難しくなければ大丈夫です」セレステがほほ笑みながら「でも、意味がよくわからないこともあるんですけど」と答えた。

「じゃあ、俺から説明する」

 イヴァンは紙とペンを取って、あちこちに丸をつけながら詳細を説明した。


 これは自殺すると決めた人だけが見える死神及び死神が持つ契約書である。契約者は七日後に必ず死ぬ。死神として、あなたの自殺する権利を守ることを約束する。


 一、契約者が契約通り自殺するなら、死神は契約者の霊魂を回収し、契約者は二度と転生することができない。

 二、契約者が死神によって殺された場合、死神は契約者の霊魂を回収できず、契約者は全ての記憶を失って転生する。

 三、契約期限が過ぎても、契約者が自殺しなかったり、死神に殺されなかったりする場合、双方が罰を受けて死ぬ。

 四、死神が契約者の自殺を止めようとした場合、助ける途中で死神は罰を受けます。助けることに失敗したときは共に死ぬ。


「簡単な話さ、お前さんは確実に死ぬってこと」

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