02【住所】

「はい。私はセレステ、フォーレン大学三年生でペイドという町に住んでいます。家族は幼い弟と両親、特別な趣味はなし、休日は……」

「わかったわかった、お嬢さん、俺はお前さんの名前を聞いているだけさ。自己紹介は要らないよ」、イヴァンは両手を上げてセレステを遮り、「ったく、お見合いじゃないんだから」と言った。

 セレステははっとして、「あ、ごめんなさい」と少し笑顔で謝った。

 イヴァンは、少女が人形のように言うことを聞くさまを見て、顔をしかめた。彼は身を乗り出し、両手で車いすのひじ掛けを握りながらセレステに近づいた。

「お嬢さん」

 イヴァンが口を開いた瞬間、彼の息から強烈アルコールの匂いがした。殺気を漂わせる眼差しの男を見ながら、セレステは笑顔をこわばらせたままだった。

「簡単に俺を信じて大丈夫か? 俺は実は死神ではなく、お前さんを変態の資産家のおもちゃとして売り飛ばそうとする人身売買に関与する犯罪集団のイケメンなボスかもしれないぜ」

 イヴァンは上唇を舐めながら、「ああいう変態のじいさんが何して遊ぶか知らないよな? まず、逃げられないように両足を切断した後……」

「それなら平気ですよ」セレステは冷静に口火を切り、「どうせ、今の私は既にそれと変わりませんし」と寂しそうに微笑んだ。

 イヴァンが固まると、彼女は笑顔でこう付け加えた。「イヴァンさんを信じる以外の選択肢は、私にはもうない」

 出会った瞬間から、目の前の少女にイヴァンの心は驚かせられっぱなしだ。

 死神の仕事はいたってシンプルだ。人の命や魂を刈り取ること、ただそれだけだ。

 自分の運命を受け入れようとしない者に出会わない限り、無理やり魂を引き離すことはない。それ以外は楽な仕事だ。

 そして、イヴァンはこの仕事が大好きだった。

 今は、まったく自分と死を怖がらないセレステを見ながら、どこが変なのか整理がつかないまま、どうしようもないため息をついていた。

「お嬢さん……俺はお前さんと気が合わない予感がするよ」

「あれ? どうして? 何か変な事をしましたか?」

 イヴァンは、セレステの慌てた問いかけに応えなかった。彼はただ少女の後ろに回り込み、車いすのハンドルを握りながら、このでこぼこした暗い道を進んでいった。

 イヴァンは、そのガサツそうな外見とは裏腹に、車いすに座っているセレステに衝撃を与えないよう、慎重に車いすを押していた。

「イヴァンさん、どこへ向かってます?」

 セレステはその大きな目を瞬かせ、イヴァンを見返すと、男は澄み切った青空に見守られているような気がした。

「まず住む場所を探さないと」とイヴァンが言った。「 遅くなるほど寒くなるし、外で凍死したら自殺じゃなくなるからな」

 自殺という言葉に、セレステは驚きを隠せなかった。自殺を考えたこともあったが、それは頭の中で考えただけで、誰にも告げたことはなかったからだ。

 なぜ、初めて会ったばかりのこの男が、これほどまでに正確に自分の心を読み取ることができたのだろう。そして……

 混乱したセレステは、「イヴァンさん、私を殺しに来たんじゃなかったの?」と言った。

「殺す?」

 今度はイヴァンの酔っ払い丸出しの声が止まり、「おい、あのさあ……本当に……死神と聞いて勝手に人を殺すって誤解するなよ。俺はジェントルマンだから、そんなことハナからはしないよ」と、しょうがないなと言わんばかりをそう口にした。

 セレステは、後ろにいる男の左頬にあるあごまで伸びたおぞましい傷跡を見て、目を瞬かせた。

「おいおい、なんだその怪訝そうな顔は?」イヴァンは不機嫌そうに言った。

「ううん、イヴァンさんを疑っているわけではないです」セレステは慌てて手を振りながら、「ただ、イヴァンさんは一般的な死神のイメージとはちょっと違うような気がします」

「何でも正直に言うよね……」

 二人の会話は、暗闇の中に数個の火が明るく灯る建物の前まで来たところで止まった。

 イヴァンは、車いすのブレーキを慎重に締めてから歩み寄り、建物を見て回った。「いいじゃん、いいじゃん、建物は一階だけ、床面積も広い、裏庭もある、ここで決まりだ!」と満足そうに微笑んだ。

「でも、誰かが住んでいるんでしょう?」 セレステは、家の中の明かりを指差して言った。

 イヴァンは少女が指差す方向を見ずに、首を何度かひねってシャツのポケットからたばこの箱を取り出した。口にくわえたたばこに火をつけ、大きく息を吐き出した。

「出てもらえばいいのさ」

 イヴァンは何もない空から巨大な黒い鎌を引き抜くと、片手でそれを担ぎ上げ、階段を上がり、玄関のベルを鳴らした。

 現れたのは老婆だった。彼女がドアを開けると、人間の姿だったイヴァンが恐ろしい骸骨のような姿に変身し、床に尻もちをついた老婆を空洞の底の知れない目でギラリと睨んだ。

「命をもらいに来たぜ、お婆さん」

「ぎゃああ!」

 悲鳴の後、イヴァンが人間の姿に戻った。彼は前髪を翻して膝をついて気絶した老婆の額を叩くと、突然小さな光る玉が落ちてきて地面に転がった。

 イヴァンはその小さな玉を手に取り、埃を吹き飛ばしてポケットに入れた。「数日間、魂を預からせてもらう。七日後に返すさ」

 強引極まりない住処の確保をやり遂げたイヴァンは、固まっているセレステに振り返って、ニヤリと笑みを浮かべた。


「言ったろ、俺は人を殺さない、って」

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