第四章 肩透かし【KAC20234】

いとうみこと

第4話

 かおりは窓辺の席からぼんやりと満月を眺めていた。夜の十時を過ぎたファミレスは客もまばらで、いつもはかき消される音楽がよく聞こえた。


 ここで泰葉やすはを待ち始めて既に一時間程が経っている。電話での謎掛けのような言葉の真意を聞こうとした矢先に昼休みの終了時刻となり電話は一方的に切られた。一旦は諦めかけたが、桃野に頼まれたアレンジメントを作っているうちにやはり諦めきれなくなった香は、今夜は送別会があるから会えないと言う泰葉に何度もメッセージを送ってやっと約束を取り付けたのだ。しつこいとは思ったが、昨日からのもやもやが溜まりに溜まった状態を一刻も早く解消したかった。


 桃野に頼まれたアレンジメントは我ながらうまくできたと思う。最後に本と熊のぬいぐるみを挟み込んでカウンターに注文書と一緒に置いたところに兄の和也が帰ってきた。


「おっ、なかなかいい出来じゃないか」


 機嫌のいい声でそう言った和也だったが、注文書に留められた名刺を一瞥すると顔が曇った。


「香、あれだ、あのほら今日はもう予約もないし、早目にあがってたまには母さんの手伝いでもしてやってくれ」


 香は苦笑するしかなかった。まだ自分は心配されているんだと再認識したが、逆らう気も起こらずその言葉に従ってそのまま帰ることにした。兄の言う通り珍しく母の台所仕事を手伝って怪訝な顔をされ、父と一緒に早めの夕飯を済ませてから改めてここへやってきたのだった。


 香が再びコーヒーのお代わりを頼もうと思ったその時、入り口に泰葉の姿が見えた。春らしいクリーム色のコートがよく似合っていて、なんだかちょっと綺麗になったような気がした。きょろきょろと店内を見回す泰葉に手を振ると、小走りに駆けて来てコートも脱がずに香の前の席に座った。


「待たせてごめん。何か盛り上がっちゃって」


「こっちこそ忙しいのに無理言ってごめん。手短に済ませるから」


「そのことなんだけど、ほんとごめん、この後ちょっと用事できちゃって」


 そう言うと照れ臭そうに左手を顔の横にかざした。その薬指にはきらりと光る指輪が見える。


「え、なにそれ! うそ、なに、聞いてないんだけど、どういうこと!」


 香は自分でも何を言っているのかわからないくらい動揺していた。泰葉は愛おしそうに指輪を撫でると潤んだ瞳で香を見た。


「さっきみんなの前で公開プロポーズされちゃってさ、私だってびっくりしてるんだよ、まさか付き合って一ヶ月でこんなことになるなんて思わないじゃない? でも、ずっと前からいいなって思ってたから、ある意味願いが叶ったっていうか……」


「うわ……」


 泰葉の圧倒的な幸せオーラに気圧されて、香は暫く言葉が出なかった。


「と、とにかくおめでとう。で、相手は誰なの? 私の知ってる人?」


「知ってるも何も、河野課長代理だよ」


「え、河野さん?」


「そう、彼がね、今度退職して自分の会社を立ち上げることになってね、今日はその送別会だったの」


「そっか、河野さんなら間違いないね。おめでとう、泰葉」


「ありがと、香。でね、今からうちに行くことになったの。お母さんに電話したら一秒でも早く婿の顔が見たいって張り切っちゃって」


「この時間に? おばさん盛り上がってるねえ」


「三十超えたひとり娘がやっと捕まえた男だから逃したくないんだと思うよ。だから私は帰らなきゃならないけど、その代わり何でも答えられる人を用意したから」


「何でも答えられる人? 何それ? ってか、誰よ?」


「行けばわかるよ〜。この先の噴水広場で待っててもらってるから急いで行って。夜道を散歩しながらおしゃべりしたら何かが起こるかも。今夜の月は魔法がかかったみたいに綺麗だからね」


 泰葉は終始上機嫌で鼻歌を歌いながら手を振りつつ駅へと向かった。残された香は狐につままれた気分のまま言われた通りに広場へ向かうしかなかった。

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第四章 肩透かし【KAC20234】 いとうみこと @Ito-Mikoto

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