お医者様が「患者の名前を呼ばない」のはなぜか? 私個人の勝手な考えです


このエピソードは

「予知夢記憶」にも投稿しています



読んでくださる方へ

これは

私が経験したことから

勝手に「そう感じた」

勝手に「そう考える」というものです

⭐︎お医者様にとっても患者にとっても

「悲しい理由」と考えています




お医者様が「患者の名前を呼ばない」のはなぜか?


それは

名前を呼ぶと

「人間として認識してしまう」から

それでは

<治療するのが困難>だから

です


例えば

子豚をペットにしました

名前をつけました

「〇〇ちゃん」って

毎日名前を呼んでかわいがります

しかし

何らかの事情から

食糧難で何も食べるものがない

そんな状況に陥りました

では


子豚をさばいて食べよう!


ってなったとき

心が苦しくなるって思いませんか?

一方

名前もつけずに

最初から「食料」として見ていた子豚なら

どうですか?

動物なのですから

「かわいそう」って

気持ちは起こるかもしれません

しかし

名前をつけて可愛がっている豚に比べれば

はるかに気持ちは

「楽」

なのではないでしょうか?


私は

別の記事で

「お医者様にされてびっくりするほどうれしかったこと」

「お医者様に名前を呼ばれたこと!」

と書いていました

なぜうれしかったのかと言いますと

それは

「人間としてみとめられた気がした」と記しておりました

実際

私は

あるお医者様が

私を

「人間ではなく」

<症例>の容器としてみている

感じていましたし

そのことを別のお医者様に話したところ

「いっさい否定されず」

むしろ

「医者は皆そのようにしている」という反応をされ

そのことが

「私にバレてしまっている」ことに戸惑われた

と感じました

正直ショックでした

<目の前のお医者様も同じだったのか>と

ただ

そのこと

つまり「医者は患者を症例としてみていること」に

そのお医者様は

「私にそのことに気づかせなかった」

「私はそのことに気づかなかった」

のですから

どうなのでしょうか?

それならば

<いい>

のでしょうか?


最初に述べましたように

お医者様が患者を「人間ではなく」<症例としてみる>のは

治療を困難なものにしないため

つまり

【手術などの行為で

メスなどの刃物を体に入れるのに抵抗をなくすため】

そして

もう1つは

【1人1人に感情を入れて治療などしていたら

お医者様自身の心が体がもたないため】

だと

考えます


1人のお医者様が

多くの患者を診なければならないのが現状です

1人1人に感情を入れて診ていたら

心身ともにストレスが計り知れないのでは?

また

感情を入れて診ていては

時間も労力もかかり

お医者様自身の体が持ちません

これでは

お医者様自身が体も心を壊してしまうのでは?


こういった理由から

患者を

「人間ではなく」

ただの

「症例」の <入れ物> 

「症例」の <容器>

認識するようにしているのだ

私は考えます


また

大学病院では

お医者様の育成のために

患者は<教材>としての役目にもなっているのでしょう

そのためにも

やはり

ただの

「症例」の<入れ物>

「症例」の<容器>

認識している

認識せざるを得ない

考えます


しかし

私の考えが正しいとすると

別の大きな問題を引き起こす可能性があるのでは?

感じます

それは

「医師は患者から信頼を得ることはできない」

「患者は医師を信頼することができない」

という

<医師と患者の信頼関係>の問題です

なぜなら

これでは

「医師と患者との考え」

「大きな隔たり」ができると感じるからです


お医者様は

「患者のため」に

治療し

研究する

そのために

治療を困難とする

「名前を呼ぶ」ことを「しない」

しかし

それでは

患者からは

「いいお医者様」どころか

「患者のことを考えないダメ医者」

認識されるでしょう

実際

私がよく耳にした話は

「あそこのお医者様は患者の顔を全然見ない」

「パソコンばかり見て患者の表情なんてひとつも見ない」

だから

「患者の気持ちを知ろうとしないサイテーな医者だ」

というものでした

つまり

患者は

お医者様に

「患者のことを「心」をしっかり考えてほしいのです


しかし

現状はというと

お医者様は患者を「症例」としてみざるを得ない

「症例」は<人間ではない>ので

「心」など<ない>

お医者様は患者の心や気持ちを考えない(考える余裕がない)

患者の立場からすると

「サイテーな医者」

なるのです


そして

ここで

少し話を戻しまして

私に

「症例としてみていることを気づかせなかったお医者様」は

どうでしょうか?

私はこのお医者様が大好きでした

そして今も大好きです

なぜなら

私にはこのお医者様は

<患者のことを「心」を考えてくれる>

お医者様だ

と感じていたからです

そして

それは今も同じ気持ちです

おそらく

お医者様は「自分も同じように症例として患者を扱っている」と思っているのでしょう

しかし

実際はそうではなく

ちゃんと患者の心を考えている

そのことに

お医者様自身が気づいていないのでは?

「奨励としてみなければ(負担が大きい)」と思っていても

実際に患者と接すれば

お医者様は心がある人間なのですから

目の前の患者さんの心に

心動かされている

ということなのでは?

感じました

そして

私は

そういうふうに「患者の心を考えてしまう」

お医者様だと

感じる

からこそ

その

お医者様を信頼しているのです


私は

わずかな期間で

たくさんのお医者様に診ていただきました

そして

多くのお医者様に対して

いつも

「疲れているのでは?」

「精神的に参っているのでは?」

と感じました


コロナ禍で

より一層

たいへんで

おつらい時期ですし

様々な理由から

お疲れになっていらっしゃったのかも知れません

お医者様は

疲れている具合が悪い患者を診て治していただく職業です

その

お医者様が

お医者様自身が

疲れている具合が悪い?のでは

と考えられる


これは

お医者様だけでなく

私たちの身に降りかかってくる問題

大きな問題

なのではないのでしょうか?




いかがでしょうか?


ただ

こんなふうに書いていても

私にはどうすればいいのかわかりません

というよりも

何かしよう

という

勇気がありません

ただ

こんなふうに書いているだけなのです

これこそ最低の行為なのでは?

とも感じますが

それでも

勝手ながら

投稿させていただきます



脳みる脳心

でした


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