誇り高き彼らの夜

月井 忠

第1話

 俺の女が姿を消した。

 水音みずねと言う名で、ディズニーランドに行きたいなどと平然と言う、どこか抜けたところがある女で、そこがまた愛おしく感じた。


 水音は夜の散歩を日課としていた。

 俺は危ないからやめろと散々言ったが、水音は「月が綺麗だから」と言って聞く耳を持たなかった。


 夜を待って、水音が散歩したであろう道をたどる。

 彼女の痕跡を探すが、匂いの一欠片すら残っていない。


 この街には危険が溢れている。

 特に、あの店はまずい。


 水音が通った道の先には、危険な店があった。

 いくら間の抜けたところがあると言っても、あの店に近づくことはないだろう、そう思って来た道を引き返す。


「水臭いじゃないすか、親分」

 後ろにはいつの間にか仲間たちがいた。


忠次ちゅうじ……」

 コイツらには知られたくなかった。


「水音さんのことですよね? 俺たちも探すの手伝いますよ!」

「そうですよ、そうですよ」

「俺も!」


 俺はため息をつく。

 こうならないように気をつけていたというのに。


 失望の思いもあるが、どこか見つけられてホッとした気分もあった。


「これは俺の問題だ。お前たちを巻き込む訳にはいかない」


「いいえ、ちゃんと犯人も捕まえてますぜ」

 忠次はそう言うと、後ろの仲間に目配せをする。


 そこには捕らえられた根津ねづがいた。


「コイツが水音さんをそそのかしたに決まってます。そうだろ!」

 忠次は根津に体当たりをかます。


 ぐっと口の奥で音を発して根津は倒れ込む。

 よく見ると、根津の特徴的な前歯がなくなっている。


 ここに来るまでに、どんなことが行われていたか想像がついた。


「やめろ! 暴力を使うなと言ってるだろ!」

 俺は忠次を制止すると、根津のもとに近づく。


「寄るな! お前を噛み殺してやってもいいんだぞ!」

 根津は吠えた。


 水音はもともと根津といい仲だったという。

 何があったかは知らないが、二人の仲はある時冷え込み、水音は俺の隣に来た。


「所詮、俺たちはこの都会に巣食うドブネズミでしかないんだ!」

 根津はなお吠える。


「取り消せ」

 俺は低くドスの利いた声を出す。


「その言葉は、ここにいる俺たちと、お前自身を貶める言葉だ。取り消せ」

「くっ……今のは言いすぎた。取り消そう」


「なあ、せめて事情だけでも教えてくれないか」

「お前に言うことなどない」


「それなら、水音に言う事はないか」


 根津は顔を背ける。

 どうやら、忠次の疑いは的外れということもないようだった。


「この状況で、いい度胸だな!」

「知ってるか? アメリカではまだ電気椅子が使われてるんだぜ!」

「はは、ピカチュウも真っ青だ!」


「やめないか、お前たち」

 俺は仲間に向かって叫ぶ。


 どんなことがあっても、相手を蔑むのは嫌いだった。


「おおかた、水音をあの店に行くよう仕向けたんだろ?」

 俺が根津に言うと、ハッとした表情をして顔を上げる。


 やはり、そうか。


「まさか! あの店に!」

 忠次たちが驚く。


 水音と良く話していた。

 あの店にはうまいものがたくさんある。

 危険は承知だが、いつか連れて行ってやると。


 そのラーメン屋には人の良さそうな店主がいた。

 笑顔が顔に染み付いてしまったように、いつもニコニコしている。


 ラーメン屋は終電前に店を閉めるが、深夜になると再び明かりが灯る。

 客はやってこない。


 つなぎを来た作業員のような男が二人、店に入っていくのみだ。

 店では何かが行われている。


 あの店には近づくなと、仲間たちに注意を促していた。

 俺の直感が危険を察知していたからだ。


 最近、水音とけんかをした。

 あいつは仲直りをするときには、いつも俺に何かをくれた。


 彼女にはラーメン屋に行く理由があった。


「ここからは、俺の仕事だ。お前らはついてくるんじゃねえぞ」

 そう言って、俺は背中を向ける。


「俺たちも連れて行ってくれ親分!」

「俺はもう親分なんかじゃねえ! ただの男さ……一人の女を救いたいだけの、ただの男さ」


「親分!」

 忠次の泣き声が響く。


「根津、コイツらのこと頼むぜ」

「どういうことだ?」


 もともと根津とはボスの座を争ってやりあった仲だ。

 コイツの実力は知っている。


「さすがの俺も帰ってこれないかもしれない。その時の為にな」

「俺を許すのか? 俺は間違いを犯したのに」

 根津のかすれた声が聞こえる。


「間違いを認められるヤツだからこそ、許しもするし、認めもする。いいな、お前ら」

「でも、親分!」


「だから、もう――」

「いいや、お前はこれからもボスだ」

 根津が言った。


「お前が帰ってくるまで一時的にまとめてやる。だが、あくまで帰ってくるまでだ。わかったな」

「……ああ」


 俺は駆け出した。


 奴らに泣き顔など見せたくない。




 深夜だというのに、やかりラーメン屋には明かりがあった。

 俺は店の裏手に回って、こっそりと忍び込む。


 倉庫のような場所なのか、辺りは暗く、じめじめとしている。

 明かりのある、店の方では人の気配がした。


 見つからないように足音を殺す。


 人の声が徐々に聞こえてきた。


「先輩、それどうするんすか?」

「殺す」


「ひええ、キモ!」

「やるか?」


「とりあえず見学で」

「そうか」


 俺は会話の内容が気になって物陰から、そっと覗く。


 そこには水音がいた。

 ボロボロの姿となった水音を大男がつまみ上げた。


 微かに息をしているようだが、すでに力はないようで、身体をだらりとさせている。


 俺には激しい怒りとともに、それを上回る恐怖があった。

 大男の目はビー玉のように何の曇りもなく、何も感じていない目だった。


 男は彼女を水に沈める。


 その間、感情を一切表に出さず、ただじっと水音を見ていた。


 身体は勝手にガタガタと震えた。

 俺は無様に震え、水音が死ぬ様をただ見ていた。


 アイツらに見栄を切っておきながら、なんという醜態だ。


 やはり俺は初めからボスなどではなく、ただの男に過ぎなかったのだ。

 愛する女一人すら救えない、惨めな男だ。


 一歩後ずさる。


 バチン!


 激しい音がしたと思ったら右足が砕けた。


 激痛に顔を歪め、見ると、そこには罠があった。


「先輩! こっちにもいましたよ」


 サディスティックな笑みを浮かべながら、もう一人の男がやってきた。


「やってみるか?」

「はい、なんかやってみたくなりました」

 男は下舐めずりをしながら近づく。


 俺は最後の力を振り絞って叫ぶ。


「チュー」

「ヒャッハー、ドブネズミってホントにチューって鳴くんだな!」


 俺の記憶はそこで途絶えた。




 注(チュー)

 ネズミを見つけたらネズミ駆除業者を呼びましょう。

 合掌……。

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