七話-3 帝都へ

 ベルリュージュ軍の総数は二万三千。放っておくとドンドン増えてしまう。最初は五千しかいなかった筈のバイヤメン辺境伯軍ですら、勝手に駆け付けてきた家臣が加わって七千に増えているらしい。バイヤメンの兵は騎兵が多く、我が軍の中核だ。


 他にも領主達が連れてきた兵の他、各地に移住している元帝国軍人が続々とやってきているそうだ。彼らは皇帝陛下にのみ忠誠を誓っているので、私に従って幽閉された皇帝陛下をお救いするのだと息巻いている。エリマーレ様を新帝と認めないというスタンスだ。


 ただ、この元軍人達が、エリマーレ様が差し向けた帝国軍と相対した時に、どのように動くかは若干不安材料であった。帝国軍の総意としてエリマーレ様を皇帝として認める、という事になったら、彼らは離反してしまうかも知れない。


 かといって、私は次期皇帝になるから私を認めなさい、とも言い難いのだ。理由は皇帝陛下が私を後継者であると明言していないから。つまり次期皇帝が自称であるという意味では、私はエリマーレ様と同じ立場なのだ。元帝国軍人に心からの忠誠を誓ってもらうには、私が次期皇帝であると皇帝陛下に明言してもらうか、何か私が帝国軍から皇帝になるに相応しいという実績を挙げる必要があるだろう。


 とにかく、ベルリュージュ軍は遂に春の一日に旧ロックス泊領を出立した。私はアスタームの黒い甲冑と対になるような白い甲冑を身に着けていた。馬も青鹿毛のアスタームに対して私は葦毛である。


 こんな目立つ格好をしていたのでは私は前線には出られないわね。私は不満に思ったのだがアスターム曰く「いざという時は影武者を立てれば良い」との事だった。確かに真っ白な目立つ鎧を来ていれば誰だって私だと思い込ませる事が出来るだろう。私が暗殺の腕を振るう時は、背格好の似た侍女にでもこれを着せれば良いというわけだ。なるほど。


 ただ、サーシャ曰く、アスタームはもう私を自ら剣を振るわせたく無いという意向らしく、大人しくさせるための白装束だとの事だった。


「心配しておられるのですよ」


 とサーシャは笑ったが、あの男が私をそんな風に気遣うなんて驚きだわね。何か裏があるんじゃ無いかと疑ってしまう。


 ただ、あの日以来アスタームが私に対する愛情をなるべく表に見せようとしてくれるのは本当の話で、私も出来るだけ素直に彼には甘えようと思っている。アスタームは度量もあるし、それなりに誠実だし、野心に溢れてはいるけど卑怯は嫌い狡くも無い。不器用な優しさも持っているようだ。


 惹かれている、という自覚はある。なんだかんだもう随分長い事一緒にいるし、その間に彼に悪い感情を持った事もあるけど、今では彼を信じている。そうで無ければ、私は女帝になろうなどとは思わなかっただろう。


 法で決まっているから私が正式に皇帝に即位するまで結婚はお預けになるけどね。皇帝陛下をお救いしたら復位していただき、私は皇太女になって、陛下がお亡くなりになってから即位するともりだから、彼と私は当分結婚出来ないという事になる。


 我が軍は街道をドンドン進んだ。侵入した先の領主とは話が付いていて、我が軍の行動は「黙認」された。領主は帝都にいてエリマーレ様の監視下にある。表立って私に味方は出来ないが。我が軍に領地を荒らされたくないので、私にこっそり忠誠を誓約して密約を結んでいるのだ。


 ただ、こういう者達はおそらく、私が劣勢になったら密約など無かった事にしてエリマーレ様に寝返るんだろうけどね。負けたらエリマーレ様からの復讐が恐ろしい、従軍している支持者とは覚悟が異なるのだ。全くの信用は出来ない。こちらも無駄な戦いをしたくは無いから、当面服従してくれているだけでも良いんだけどね。


 旧ロックス伯爵領から帝都までは五日の行程だ。二日進んだところで帝都から帝国軍は進発したとの情報を得た。エリマーレ様は帝国軍を動かすことに成功したらしい。数は一万五千くらいだとの事。よくもそんなに集めたものだ。


 我が軍の方が多数だし、練度も勝っている。士気も恐らく高いだろう。余程の事が無い限り勝ちは動かないと思う。問題は完全に撃ち破ってしまう訳にもいかないということだが。


 エリマーレ様はもう後が無い。クーデターで即位して無理矢理帝国軍を動かしたのだ。これ以上私を攻撃する手札は持っていない筈である。この帝国軍をなんとかすれば、エリマーレ様に残されている手段は逃亡か自死か、あるいは周りの貴族に裏切られての暗殺か。


 その事を考えると私の心も沈んでしまうけど、今はそんな事を考えている場合では無い。少なくとも帝国軍の中核である五千と元軍人達は精強であり油断は出来ない。


 そして、私とアスタームは懸念している事があったのである。エリマーレ様が正々堂々と不利な戦いを挑むとは、私は思っていなかった。あの方は手段を選ばぬ方だ。多少の無茶苦茶は踏み潰して、結果を得るためには後先を考えない。その事を私は十分によく知っていた。


  ◇◇◇


 旧ロックス伯爵領を出て三日目。ベルリュージュ軍は帝国軍と相対した。場所はグラーメン侯爵領のサツガーという村の近くだった。帝国軍の接近を知るとアスタームは街道を外れた丘の上に陣を敷き、宿営地を造営した。


 アスタームは流石である。帝国軍は容易な相手では無いと考えて、長期戦の準備をしたのだ。帝国も近くの丘に宿営地を築き始める。帝国軍としてはこちらの帝都行きを防げれば良いわけだから、長期戦は望むところなのだろう。


 ただ、アスタームは陣地を構築すると同時に、別働隊を組織して帝国軍を迂回して敵の後方を混乱させる作戦も同時に始める。敵の補給線を絶って敵が長期戦を戦えなくするためだ。何しろこちらの方が多勢である。敵としては正面の我が軍を警戒しなければならないので、別働隊へ多くの部隊を向ける訳にはいかない。そのため、バイヤメンの軽騎兵主体で俊敏な別働隊に対処しきれず、補給に重大な滞りが生じたようだった。


 その上で私は帝国軍陣営に使者を送り、帝国軍幹部に揺さぶりを掛ける。私は書簡にこう書いた。


「貴方たち帝国軍は皇帝陛下の兵ではありませんか。その皇帝陛下を幽閉して帝位を僭称する者の命をなぜ聞くのですか? 私の目的は皇帝陛下を僭主からお救いして帝位に復帰して頂くことです。帝国軍は私に従うべきでしょう」


 帝国軍からの返答は無かったけど、少しは動揺していると思うのよね。私はそれからも帝国軍を動揺させるための書簡を何度も送りつけた。そして、中々軍を動かさなかった。帝国軍は混乱したと思うのよね。別働隊の攻撃で補給線が絶たれ、帝国軍はかなり困っていた。食糧不足で浮き足立った新兵が逃亡しているという情報も得ている。この混乱に乗じて攻められたら大変だと思っているのに、我が軍はのんびりしていて攻め込んで来ない。何を企んでいるのか、と。


 そうしてにらみ合う事十日。我が軍は全然困っていなかったけど、帝国軍は補給物資の不足や我が軍のへの警戒でかなり疲弊しているようだった。


 このまま行けば帝国軍は後退を余儀なくされるだろう。そうすれば我が軍は帝国軍の決戦をしないまま勝利出来る。そう思っていた、その時だった。


 後方のバイヤメン辺境伯から急使が届いたのだ。


「サウラウル王国が東方の国境を破り侵入しつつある」


 という凶報だった。


 サウラウル王国は帝国と東で国境を接する大国で、帝国とは敵対関係にあった。近年に限っても何度も干戈を交えた間柄である。そのサウラウル王国が国境を越えて軍を侵入させてきたのだ。これは大問題だと言えた。


 しかし私とアスタームに驚きは無かった。


「やはり、この手か」


 アスタームはむしろ納得したような表情を見せた。私も頷く。


「この手しか無いでしょうね。危険ですけど」


 私もアスタームも、この侵攻がエリマーレ様によって引き起こされた、誘発されたのだという事が分かっていた。偶然の可能性、サウラウル王国が帝国の情勢を掴んでおり、内戦の危機に乗じた可能性も無い事は無いが、その可能性は低いだろう。


 もうエリマーレ様にはハイマンズ王国を唆して動かしたという前科がある。友好的な国だったハイマンズ王国を動かし得たのだから、敵対関係であったサウラウル王国を唆すのは簡単だっただろう。


 そして今回サウラウル王国が侵入してきたのは帝国東北部国境で、その辺りの領主は私の支持者ばかりだ。私へダメージを与えるにはこれ以上無い選択だと思ったのだろうね。


 それにしてもサウラウル王国は大国で、そんな国が本気で攻めてきた場合、下手をすると一気に帝国全体が危機に陥ってしまうと思うのだけど、エリマーレ様はその事をちゃんと考えたのだろうか。


 考えていないのだろう。確かにこのまま行けばエリマーレ様は破滅するしかない。もう方法が他に残されていなかったのだと考えると哀れではある。しかし、皇帝になろうというのであれば、我が身よりも帝国の将来を考えるべきではないか。


 怒りを覚えながら、私はだが確信していた。勝利をだ。エリマーレ様最後の手段は私もアスタームも予想していた。そしてそれこそが私たちが完全に勝利するための最後の鍵だと考えていたのである。


 私たちは即座に陣を引き払って出陣の準備を整えた。そして帝国軍に向けて前進する。それを見て帝国軍も慌てて出陣してきた。


 両軍は平原に出て向かい合った。しかし私は攻撃命令を下さない。全軍を控えさせる。


 そして私は白い甲冑を翻し、白馬を駆って、黒尽くめのアスタームと共に帝国軍の正面に進み出た。声が届くくらいの距離までだ。勿論、弓を射られた時に守ってくれる護衛は連れて言ったわよ。


 帝国軍は何が起こるのかとざわめいている。私は手には皇帝の紋章が入った軍旗を持っていた。この軍旗は帝国軍の中にも翻っている。私は殊更に軍旗を掲げて叫んだ。


「聞け! 誇り高き帝国軍の将兵たちよ!」


 私は精一杯の大声で叫んだ。


「我が軍はこれより、卑劣にも侵攻してきたサウラウル王国軍を迎撃するために転進する!」


 帝国軍のざわめきが大きくなるが私は構わず叫び続ける。


「其方らには『後退する反乱軍を追撃してサウラウル王国軍と挟み撃ちにして撃滅せよ』という命令が帝都より届いている事であろう!」


 完全に推測だが外れてる筈はあるまい。エリマーレ様の勝機はもうここにしか残されていないのだから。


「だが、我々はそれを承知で国境へ向かう! 帝国を護るために!」


 軍旗をこれみよがしに振り翳す。帝国軍の象徴を。帝国の団結の象徴を。


「私情を捨て、帝国のために尽くす事が、次の帝国の皇帝であると自認する我が責務であると私は知っているからだ!」


 暗に、私情のために帝国軍を振り回し、あまつさえ外患誘致まで行ったエリマーレ様を非難したわけである。


「故に、私は其方たちに追撃されても恨みはせぬ! 其方たちには其方たちの責務があろう! しかし真の帝国軍なら、この軍旗に相応しき軍隊なら! 今やらねばならぬことは自ずと分かるはずだ!」


 私は帝国軍の将兵に訴え掛ける。ここで彼らの心を動かせずして、何の次期皇帝であるか。どうして彼らの上に立てようか。私は帝国軍を睨み、軍旗を天に突き上げつつ叫んだ。


「帝国軍よ! 諸君らは帝国を護るために戦うのか、滅ぼすために戦うのか! どちらを選ぶのか!」


 すると帝国軍の中から雄叫びが上がり始めた。一人、二人、そして小隊規模、中隊大隊規模、遂には全軍が叫び始めた。


「俺たちは帝国軍だ!」


「帝国を護れ! サウラウル王国の奴らを撃ち倒せ!」


「帝国万歳! 次期皇帝ベルリュージュ万歳!」


「ベルリュージュ殿下に続け!」


 帝国軍の前に騎馬で帝国軍の将軍が五人出てきた。そしてそのまま私の前に駆け寄り、馬を飛び降りて跪いた。いずれも、見覚えのある帝国軍の有名な将軍ばかりだ。


「べリュージュ殿下! 我が帝国軍は殿下と共に戦いまする!」


「サウラウル王国侵攻は帝国の一大事! 帝国軍はこのような時のためにあるのです!」


「殿下! 我々をお導きください!」


 私は馬を飛び降りると、将軍たちの手を取って一人一人立たせた。顔をしっかり見て微笑んで見せる。


「其方たちの気持ちは嬉しいですが、おそらく其方たちは帝都でエリマーレ様に妻子を人質にされているはず。エリマーレ様は裏切りを許さぬ方。其方たちはここに残りなさい」


 将軍たちは衝撃を受けたような顔をした。人質の件が当たっていたのだろう。エリマーレ様ならそれくらいの事はする。しかし、将軍たちは頭を振って迷いを断ち切る素振りをすると、決然と言った。


「我々は帝国のためなら命も惜しみませぬ。まして妻子の命など! 何もかも、殿下にお任せいたします! 我々をお連れください!」


 勝った。私はこの瞬間、勝利を確信した。帝国皇帝にとって、皇帝位を保つために絶対に必要なのが帝国軍の支持だ。強大な帝国軍を率いる者こそが帝国皇帝なのだ。かつて何人もの皇帝が帝国軍からの支持を失って退位を余儀なくされたほどなのである。


 その帝国軍の支持を、私はこの時得た。エリマーレ様から奪い取ったのだ。これによって私はたとえ皇帝陛下が認めなくても、帝国軍の後押しによって皇帝位に上る事になるだろう。


 エリマーレ様がサウラウル王国に使者を出していたのは知っていた。


 その使者を捕らえる事は簡単だったし、逆に私の方からサウラウル王国に使者を出し、国境を安定させるように盟約を結ぶことは不可能では無かっただろう。


 しかし私はそれをせず、逆に国境の兵を移動させてサウラウル王国に隙を作りさえした。その上でバイヤメン辺境伯軍の一部を戻し、辺境伯自らが率いる軍勢に国境を警戒させた。


 実は今頃は侵攻したサウラウル王国軍は辺境伯によって撃退されていると思われる。サウラウル王国としても様子見でちょっと侵攻してみただけだろうから、大した軍では無かっただろう。


 しかし、そんな事はおくびにも出さない。私は目に涙さえ浮かべて見せながら、将軍たちの手を取って言った。


「それでこそ、誇りある帝国軍の将軍です。私が皇帝になった暁には、必ずや其方たちの忠誠に報いる事でしょう」


 私は軍旗を翻し、帝都の方向を指して言った。


「戦いましょう! 帝国の敵を倒すために!」

 

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