六話-4 ベルリュージュ南征

 ハイマンズ王国は帝国の西北部、バイヤメン辺境伯領の山地から外れた所にある中規模の国で、帝国とは関係が良かったり悪かったりという王国である。近年はそこそこ友好国だった筈だ。


 そのハイマンズ王国が国境に軍を集めているというのは見逃せない情報だった。ハイマンズ王国と境を接しているブライアン侯爵は私の支持者では無かったのだが、事は緊急を要するとして私に助けを求めて来たのだ。確かに帝都から帝国軍を編成して派遣してもらうよりも、既に編成されている我が軍の方が早く対応出来るだろう。


 しかしブライアン侯爵の要請を聞いてアスタームは舌打ちをした。


「面倒な。この大事な時に!」


 アスタームが怒ったのは、帝都でエリマーレ様が兵力を整える前に、先制して帝都を強襲してしまう計画を立てていたからだ。私は交渉中だからと反対していたのだけど、彼は「先手必勝だ」と主張して強行する構えだったのだ。


 アスタームの意見も分からないでは無い。現状は私の方が優勢でそのために領主達が私側に付いている訳だけど、状況がエリマーレ様に有利になれば、領主達はためらわずに裏切るだろう。有利な内に勝敗を決してしまいたいという考えは正しい。


 しかし、ここでブライアン侯爵の要請を無視して、実際にハイマンズ王国の侵攻を招く事になると、帝都に進撃した我が軍の後方が脅かされる事になるだろう。それは避けたい。そして、外国の侵攻を放置して内戦を優先すれば、帝国を護るという皇族の役目を放棄したと見做され、領主貴族達の失望を招くだろう。帝国の分解にも繋がりかねない。


 私はアスタームとの相談の上でブライアン侯爵からの要請を受諾する事を決めて、バイヤメン辺境伯領軍を中核とした一万の軍勢を率いてブライアン侯爵領へと向かった。


 ロックス伯爵の時と同じように罠では無いかという事は、事前に斥候を送って十分に調べたわよ? その結果、ハイマンズ王国の戦争準備は本物である事が分かっていた。そして、侯爵領都であったブライアン侯爵は心からホッとした様子で私の前に跪いた。


「ありがとうございます。ベルリュージュ様。帝都に要請しても何の反応も無く、困り果てておりました」


 エリマーレ様だけでは無く、皇帝陛下も反応しなかったというのは問題だ。どういうおつもりなのか。私がむーんと眉をしかめていると、アスタームが言った。


「皇帝陛下は君を試したのだと思うぞ。君が侯爵の要請を無視して帝都に攻め込むかどうか」


 アスタームの言いたいことは何となく分かった。陛下が私が女帝になるに相応しい人物かどうか試したという事だろう。自分の事情よりも帝国全体の事を考えたなら、私はブライアン侯爵領救援に向かわなければならない。同時に、この事で私は国境を任された大侯爵に恩を売り、外敵を破ったことで帝国の守護者となり、内戦に血道を上げるだけのエリマーレ様よりも皇帝に相応しいと帝国中から認知される事になるだろう。


 皇帝陛下がなぜ私を女帝にしたいのかは未だに良く分からないが、どうやらこれは本気のようだ。皇帝陛下は明らかにエリマーレ様よりも私の方を跡継ぎにしたがっている。一体何故?


 そう思いながらも、私はとりあえずブライアン侯爵領防衛の準備を進めた。ブライアン侯爵領には帝国軍三千が駐留しており、彼らの指揮権は当然皇帝陛下のものだが、国境での事に関してはブライアン侯爵に委託されており、私は侯爵から指揮権を委譲された。こうして合法的に帝国軍の指揮権を得た私は国境防衛と領都防衛の兵力を残した千五百を我が軍に組み入れた。合計一万千五百。


 その上でブライアン侯爵に、ハイマンズ王国へ問い合わせをしてもらう。国境を騒がせるのは何故なのか? 国境を侵犯する意図有りや否や? その上でいつでも動けるように警戒する。斥候の情報ではハイマンズ王国軍は約一万だという事で、本当に侵攻してくるとすればかなり大規模な侵攻軍となる。


 ハイマンズ王国からの返信では、国境侵犯の意図は無くただの演習であるとの事。そして、こちらが軍勢を整えていることを逆に非難してきたそうだ。まぁ、確かにこの段階で軍を国境に集めているのは同じだものね。国境を挟んで約一万の軍勢がにらみ合っているのは確かに両国の緊張を無用に高める行為である。これは確かに良くは無い。


 私はブライアン侯爵を通じて、こちらには侵攻の意図は無く、あくまでそちらの軍編成の動きに対応した軍勢である事。そちらが軍を解散すればこちらは撤退すると伝えたのだが、ハイマンズ王国はそちらが撤退するのが先だとごね始めた。


 うーん? おかしいな。私は首を傾げてしまう。


「こちらに同程度の迎撃軍が準備された段階で、あちらの侵攻は失敗なのだから、素直に引けば良いのに。なぜ引かないのかしらね?」


 ちなみにブライアン侯爵の計らいで私とアスタームには邸宅が与えられている。流石は侯爵領だけに家臣も多く、小規模な社交も行われていて、私はドレスを着て夜会にも出席していた。この日も夜会帰りで私はドレス姿だ。アスタームも見目麗しい貴公子姿。こういう格好の彼はご令嬢やご夫人に大人気なのよね。


 アスタームはソファーに深く腰掛け、顎に手をやって考え込む。


「準備した軍勢は、はいそうですかと解散させられるものでは無いとは言え、確かに同規模の敵が待ち受けるところにノコノコ侵攻してくる馬鹿はいないからな。しかしそもそも、簡単に軍を集めているという情報をブライアン侯爵が掴んだという事が既におかしいではないか」


「どういうこと?」


「通常、ブライアン侯爵が帝都に要請すれば、皇帝陛下は帝都ですぐに軍を編成してこの地に送りこむ事になっていただろう。そうすればハイマンズ王国の侵攻は失敗する。通常、侵攻作戦は固く秘匿して突然行われるものだ。それが簡単にバレてしまうなどあり得まい」


 言われてみればその通りで、確かにブライアン侯爵は斥候や隠密を恒常的にハイマンズ王国に送り込んでいるので、情報収集能力は高いと言えるが、そんな事はハイマンズ王国も先刻承知だろう。侵攻を成功させたければ、ブライアン侯爵に情報が伝わらないよう秘匿に細心の注意を払いつつ軍を編成した事だろうね。


「ハイマンズ王国に最初から侵攻の意図は無かったとしたらどうだ? その場合、彼らの目的はベルリュージュ軍をこの国境地帯に引き寄せる事だろうな」


 ……そういう事か。


 エリマーレ様が何らかの方法でハイマンズ王国を動かし、それに応じたハイマンズ王国軍が動き、ブライアン侯爵の帝都への援軍要請を黙殺すれば、侯爵は仕方なく私に援軍を頼むしか無くなる。そうすれば私は軍を率いて旧ロックス伯爵領から動き、帝都は我が軍の圧迫から逃れる事が出来る。


「そうやって引き離したベルリュージュ軍をこの地に長く引きつける。その場合、侯爵もグルかも知れぬ。こうして優遇して、居心地を良くして私達を引き留めようとしているのかも知れぬからな」


 なるほど。屋敷を与えて色々もてなして、長期駐留に不満を持たせないようにする。そうすれば私はハイマンズ王国への対処が長引こうと気にしなくなるだろう。随分な優遇だと思ったけど、その可能性もあるのか。考えてみればブライアン侯爵はどちらかと言えばエリマーレ様寄りの貴族だったわね。


「そうして長期に渡って我が軍を停滞させる間に、エリマーレ様が何かを企む。まぁ、そういう計画では無いか?」


 アスタームは何でも無いように言ったけど、この様子だと私が疑問に思う前にとっくにその事に気が付いていた様子だ。もっと早くに言ってくれれば良かったのに。


「気が付いても、現状では対処のしようが無い。我が軍が撤退すればハイマンズ王国は本当に侵攻してくるかも知れぬ。こちらから先制攻撃を掛けるわけにも行かぬ。せいぜい侯爵のもてなしを受けて遊んでいるしかやりようがない」


 確かに、ブライアン侯爵の要請を受けないという道は無く、ハイマンズ王国が軍を解散しないとこちらが動けないというのも、あちらの意図と関わりなく事実である。


 しかし、軍の維持にはお金が掛かるものだ。一万もの軍勢をただ食べさせるのだけでも大変なのである。我が軍はその費用をブライアン侯爵に丸投げしているが、侯爵の負担は相当なものだと思われる。ハイマンズ王国だって準備した軍勢をただただ無用に維持するのは大変だろう。これをエリマーレ様の要望だけで負担させるには、相応の見返りが無ければならないだろうと思う。


 見返りね、ハイマンズ王国としては侵攻してブライアン侯爵領を占拠して領地に組み入れるのが相応の見返りという事になるだろうけど、ブライアン侯爵はそんな事は承知すまい。そうね。ブライアン侯爵領の周辺には私を支持する領主の領地も多いから、そこにハイマンズ王国軍を誘導してそっちを占領させるという方法もあるかも。あるいはハイマンズ王国は山脈を挟んでいるとはいえ、バイヤメン辺境伯領と接している。帝国領内を突っ切ってバイヤメン辺境伯領都に攻め入る可能性もあるわね。辺境伯軍の主力が私の元にあるのを好機とみた可能性もある。


 ハイマンズ王国は北の大国と結んでいた過去もあったそうだからあり得ない話ではなさそうだ。ただ、それには前提条件として、我が軍がいなくなる事が必要なんだけど。ハイマンズ王国がバイヤメン辺境伯領に攻め入ろうとしても、我が軍が後ろから襲い掛かるに決まっているのだから。


 つまり、ハイマンズ王国の大作戦には、我が軍を壊滅させる作戦が含まれていなければならないのだ。同数の我が軍を全滅させる、しかもその後の事を考えなければ圧勝しなければなるまい。そんな方法が果たしてあるのだろうか。私は考え込み、そして手を打った。ああ、そういう事か。


 私が納得した顔をするのを見てアスタームは面白そうに笑った。彼なら、とっくに気が付いていたんだろうからね。当然対処法も考えたからのんびりとしているのだろう。任せておいても大丈夫そうね。


「君はお姫様として社交で笑顔を振りまいていてくれれば良い。君が美しく貞淑な皇女であると宣伝するのも大事だからな」


 侯爵領の社交には、私の味方の領主達もやってきている。これまで男装して戦場を駆け回ったりロックス伯爵をサクッと暗殺したりと物騒な事ばかりしていたので、味方の領主の中には私を「本当に皇女なのか?」と疑う者もあったと聞く。華やかなドレス姿で完璧な社交姿を披露する事は、彼らからの疑いを打ち消すためには必要な事なのだった。同時に、アスタームが完璧な貴公子姿を見せて、野蛮なバイヤメンの印象を消す事も大事だ。彼が女帝の配偶者たらんとするなら。


 ということで私はハイマンズ王国との交渉を進めながら、ブライアン侯爵領で社交に励んだ。そうしている内に、ブライアン侯爵の態度に変化が現れてくるようになった。最初は儀礼的な態度に終始していたのだが、私が社交に出て味方の領主も集まり、段々と社交の規模が大きくなるにつれ、ブライアン侯爵は私への畏れを見せるようになったのだ。


 これまでは私の事は良く知らず、皇帝陛下の長子であるエリマーレ様の事を支持していたのだろう。だが、私の支持者が予想以上に多いことが分かり、そして私は帝都の皇帝陛下と普通に書簡のやりとりをしている。侯爵はどうやら私が女帝になる確率がかなり高いようだと考えたようだ。段々と私に信服し、近付こうという態度を見せるようになった。


 侯爵領に入って二ヶ月。私はアスタームと図ってブライアン侯爵にこちらの予想を打ち明けた。勿論、侯爵が私を裏切ろうとしているという予測も含めてね。


 ブライアン侯爵は驚愕した。彼は向かい合っていたソファーから飛び降りると跪いて地面に付くくらい頭を下げた。


「ご、ご明察恐れ入りましてございます! し、しかし、今はもう殿下を裏切ろうなどとは考えておりませぬ! ご容赦を!」


 私は立ち上がり、ニッコリと微笑みながら膝を突いて彼の手を取った。


「お立ち下さい。侯爵。侯爵が私へ忠誠を誓ってくれる事、今は疑ってはおりませぬ。私の事を知らなかったのですから無理もありませんわ」


 侯爵は三十代の結構な美男だったのだけど、可哀想に顔面を真っ青にして汗まみれになっていた。私は彼の手を握って殊更に笑みを深める。


「侯爵の忠誠に期待しておりますわ。これからは」


 私は侯爵を席に座らせ、この後の計画について話した。話す内に侯爵の表情はドンドン悪くなり、ガクガクと震え始める。「どうして」「なぜ」「そんな事まで知っているのか」などと呟いていたわね。そして私が改めて協力を要請すると。彼はフラフラと跪いて改めて私に忠誠を誓約した。私は再び彼の手を握って笑顔を浮かべる。


「ありがとうございます。侯爵。貴方の忠誠には必ず厚く報いましょう」


 やれやれ。私は会談した侯爵屋敷から屋敷に戻る馬車の中で溜息を吐いた。こうしなければならない必要があったからとはいえ、こんな猿芝居は私向きじゃ無いわね。


 もしも侯爵があくまで私に従わないのであれば暗殺するしか無かったからこれで良かったのだ。でも相手を寝返らせるよりもサックリ暗殺してしまった方が面倒が少ないと思っちゃうのよね。自分でも野蛮な考え方だと思うけど。


 それにしても、貴族の交渉は腹の探り合い、化かし合い、そして猿芝居だ。こうして一回二回なら良いけども、女帝になったらこれを一生やらなければならないのだろう。やっぱり、私には女帝なんて無理だと思うのよね。


 ふと見ると、向かいに座るアスタームが珍しく不機嫌そうな顔をしていた。眉をしかめてそっぽを向いている。? なんだろう。


「どうしたのですか、アスターム?」


 アスタームはチラッと私を見て、むーんと唸った後、頭を掻きながら変な事を言った。


「あれは演技だったのであろう?」


「何がです?」


「あの侯爵の手を取った時の……、その、親密な様子だ」


 は? 私は目を丸くしてしまう。


「あの侯爵は美男だったからな。私ほどではないとはいえ。だが、その……」


 何を言い出すのか。私は呆れてしまう。どうやらブライアン侯爵を懐柔するために向けた私の社交笑顔に焼き餅を焼いている風情である。この男は妙に自信満々だったかと思えば、つまらないところを気にする繊細なところもあるのだ。私は苦笑しわざわざ彼に、にぱっと満面の笑みを見せてあげた。


「これで良いですか? でもアスターム。女の笑顔なんて信用するものじゃありませんよ? 特に帝都には沢山いる貴族女の微笑みには気を付けなさい」


「……そうするとしよう」


 アスタームは苦いものを飲んだような声で言いながら、それでも安心したように笑って見せた。私はその顔を見て今度は声を上げて笑ってしまったのだった。


 それから半月後、旧ロックス伯爵領から急報が届いた。


 帝都方面から大規模な軍勢が侵入したというのである。私は直ちに麾下の軍勢に命令して旧ロックス伯爵領に向かう事に決定し、二日後には陣を引き払って軍を率いてブライアン侯爵領を出立した。

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