六話-5 ベルリュージュ南征

 我が軍が大急ぎで旧ロックス伯爵領に引き上げると、ハイマンズ王国軍が一斉に国境を越えた。明らかに旧ロックス伯爵領に侵入した軍勢の動きに呼応していると言えるだろう。帝都から新たに現れたエリマーレ様の軍勢とハイマンズ王国は示し合わせていたのである。


 これに対してブライアン侯爵は動かず、ハイマンズ王国軍はブライアン侯爵領には手を出さず、一気に私達を追撃に掛かった。ブライアン侯爵とハイマンズ王国との間にも密約があったのである。


 ブライアン侯爵としては国境防衛を疎かにするエリマーレ様が皇帝になったら自領が危うくなると考えたようだ。帝国からハイマンズ王国に鞍替えすることを目論んでいたらしい。


 領主貴族にとって国への忠誠は絶対的なものではなく、帝国の勢力が強ければ帝国に付き、ハイマンズ王国が強くなれば乗り換える程度のものでしかない。なのでブライアン侯爵の行動を一概には裏切りと非難し難いものがある。要するに侯爵に見限られるくらい、エリマーレ様が皇帝として不適格と看做されただけの事なのだ。


 現状、私への支持が集まり、私の勢力圏が拡大しているというのは、裏を返せばエリマーレ様を支持しない領主がそれだけいるという事であり、それは帝国の危機的状況を意味する。私という存在がいなければ、彼らは帝国を身限り他国に走った可能性があるのだから。


 それを考えると、私が女帝を目指すことは帝国の将来のためにも必要な事だと言える。私が帝国の安定を望むのなら、私は女帝を目指すべきだ。と、アスタームなどは私を唆すわけである。


 だが、全ての領主貴族が揃って私を支持しているわけではないのだから、それは詭弁である。私が女帝を目指すと宣言すれば帝国は決定的に分断されるだろう。エリマーレ派、ベルリュージュ派に帝国は二分され、本格的な内戦になってしまう。既にそうなりつつあるとはいえ、私は出来ればそこまでしたくはないのだ。


 ベルリュージュ軍は旧ロックス伯爵領に向かう。帝都からエリマーレ様が送り込んできた軍勢は二千。実は旧ロックス伯爵領には二千の守備兵を残しており、これで十分に対応が可能であった。実際、守備兵は復興途上の村々を防衛して、領内に大きな被害は出ていない。


 そんな事は知らないハイマンズ王国軍はベルリュージュ軍を猛追する。私達はブライアン侯爵が何の妨害もせずにハイマンズ王国軍を通過させるなどと思っていない筈だし、侯爵が領内の情報を教えているせいでハイマンズ王国が迷い無く私達を追撃出来るとも考えていない筈である。彼らは私達の予想を遥かに上回る速さで追撃し、無防備なその背中に襲い掛かった。


 筈だった。


 もちろん、私達は当然ハイマンズ王国の動きを把握していたし、準備も整えていた。街道に囮部隊を置き、主力は山中に潜む。そして、囮部隊は敵がやってくると慌てふためいて(その様に演技をして)逃げる。勝利を確信したハイマンズ王国軍は隊列を乱しながら必死に逃げる囮部隊を追った。


 これを私は山上からずっと見ていた。街道を挟んで北側の山にはアスターム率いる部隊。南の山の部隊は私が率いている。谷間の街道でハイマンズ王国軍は無秩序な状態で囮部隊に追い縋っていた。


 私は右手を挙げた。同時に、私の左右で旗信号が向かいのアスタームの陣に送られる。そして私は手を振り下ろすと同時に叫んだ。


「突撃!」


 わっと喊声が上がり、私が任された二千の軍勢が一気に山を駆け下る。ちなみにこの陣地は、既に数日前から整えてあり、木を切って陣を築き突撃路まで造成してあった。何もかも予定通りなのである。


 ベルリュージュ軍はハイマンズ王国軍の左右から一斉に襲い掛かった。突然の奇襲に敵は大きく動揺し、大混乱に陥った。


 同時に、囮部隊は反転し、回り込んだ一軍が後方を遮断する。ハイマンズ王国軍はあっという間に完全に包囲されてしまったのだ。


 ハイマンズ王国軍とベルリュージュ軍はほとんど同数である。であれば、如何に相手の不意を打てるか、予想外の事をしでかすかで勝敗が決まると言って良い。そのためにハイマンズ王国も私達も虚々実々の情報戦を繰り広げた訳である。


 そして、私達は情報戦に勝った。純粋な軍事力ではほとんど互角だった筈の両軍は、情報戦によって、我が軍の一方的な優位となったのである。


 私は騎兵部隊を率いて一気に敵の本陣の中に乗り入れた。流石に中核部隊だけにこの大混乱の中で統制を保っている。敵の指揮官が軍を掌握して混乱を収めてしまうと、勝敗が分からなくなってしまう。


 私は騎乗戦なのでいつものスティレットではなく槍を持ち、先頭に立って敵に突っ込んだ。一気に踏み込んで敵の歩兵を数人突き倒す。


 しかし、ハイマンズ王国本陣の兵は流石に精鋭なのだろう。強かった。歩兵も騎兵も陣を引き締めて、逆に突き掛かって来た。槍衾に私達は逆に押し戻される。焦った私は槍を振るって敵の槍衾を乱そうとしたが、雄叫びと共に突き込まれる槍を避け損ねた。


 左肩に鋭い痛みが走る。鎧の肩当てが吹っ飛び、僅かに槍先が掠ったようだ。


 くっ! 幸い落馬は免れたので、私はもう一度槍を振るおうとした。しかし、サーシャと私の護衛兵が慌てたように私と敵の前に割って入った。


「お下がりください! ベルリュージュ様!」


 サーシャが私を馬ごとグイグイと押して私を下がらせる。私は怒って叫んだ。


「邪魔をしないで! 私はまだ戦えます!」


「御身をお大切に! 直接の戦闘など兵に任せれば良いのです!」


 とサーシャに逆に怒鳴り返されて、私はようやく我に返った。確かにその通り、私は大将なのだから、前線に立つより指揮する方が大事だ。


 私はサーシャの言を容れて後方へ下がる。と、その時、黒い甲冑戦士に率いられた騎兵部隊が物凄い雄叫びを上げながら敵の本陣に襲い掛かった。


 私がやられた槍衾など紙でもあるかのように蹴散らし、黒い戦士、つまりアスタームは一気に敵の本陣を崩して斬り払ってしまった。


「……アスタームも指揮官よね?」


「アレは良いんです」


 後方に下がって一応治療を受ける。大した傷ではない。正直、私の身体は傷跡だらけなので、今更一つ二つ増えたくらいどうという事はない。しかしサーシャは怒っていた。


「ベルリュージュ様は嫁入り間近の花嫁である自覚が足りません!」


 ……確かに自覚は薄いわね。というよりサーシャがそんな事を気にしてくれているとは思わなかったわ。


 アスタームの攻撃が敵の本陣を崩壊させたこともあり、敵の統制は崩壊。逃げようにも後方は遮断されている。ハイマンズ王国軍は混乱を極め、同士討ちを始める有り様となった。


 我が軍はこれを徹底的に殺戮して蹂躙した。これは。敵を逃して本国まで逃げ帰らせ、再編成の上で復讐戦を挑まれないためだ。この後に帝都と向き合わなかればならない状況で、またぞろハイマンズ王国の蠢動を許したくないのである。


 なので降伏する者以外は徹底して討ち取ったので、戦場はまさに血の海になった。私は後方に下がらされていたためによく見ていなかったのだが、戦闘を終えてやってきたアスタームの黒い鎧は赤黒く変わっていたわね。


「手傷を負ったと聞いた。大丈夫なのか?」


 馬から飛び降りるなり、アスタームは私にそう声を掛けてきた。


「大丈夫よ。槍が掠っただけ」


「そうか。サーシャ! 傷一つ付けぬよう守れと命じた筈だぞ!」


 アスタームはいきなりサーシャを怒鳴りつけた。サーシャは跪いて恐縮する。私は驚いて彼の腕を掴んだ。


「止めてよ。サーシャはちゃんと守ってくれているわ。私がちょっと興奮して前に出過ぎただけ」


 私が言うと、アスタームは真剣な顔で私の事を見据えた。


「無茶なことをするな! 君は私の大事な婚約者ではないか。もしものことがあったら、私はどうすれば良いのだ」


 大事にもいろんな意味があるんだと思うけど、とりあえずアスタームが私を心配してくれている事は分かった。


「ごめんなさい。アスターム。自重することにします」


 私が素直に謝ると、アスタームは苦笑しながら私の頭を抱き、額にキスをした。鉄臭い血の臭いに包まれていたから、ロマンチックな気分にはならなかったけどね。


 こうしてハイマンズ王国軍との戦いは我が軍の一方的勝利に終わった。


 敵軍は文字通り壊滅。敵の将軍を含む多数の貴族の首が獲られ、普通の兵士も数えきれないほど討ち取られた。捕虜は千以上。これはハイマンズ王国と身代金交渉をして、金額が折り合わなければ奴隷商人に売り払う事になるだろう。


 一万もの大軍を壊滅させられたハイマンズ王国は、恐らくは軍事的に取り返しがつかないくらいの大ダメージを負ったはずだ。当分は国境の心配をする必要は無いだろう。


 後はブライアン侯爵がハイマンズ王国と交渉する事になる。元々、内通気味な事が出来るほど関係が深かったのだ。国境は程なく安定するに違いない。


 私達は侯爵領に戻らず、そのまま旧ロックス伯爵領に向かい、エリマーレ様の送ってきた軍勢を追い散らした。数は少ないし士気も低い軍勢だったから、我が軍が追っただけで散り散りになって逃げてしまったわね。


 こうして、私達はハイマンズ王国軍もエリマーレ軍も撃退し、ブライアン侯爵を味方に付けて勢力を拡大したのである。


  ◇◇◇


 この時点で、私を支持する勢力は帝国の三分の一を占めた。最北のバイヤメン辺境伯領から西北の国境を成すブライアン侯爵領。そして街道沿いの要地である旧ロックス伯爵領他。帝国の北から西部一体はほぼ掌中に収めたと言って良く、特に北との交易に関しては全て私の管理下に入ったと言って良い。


 こんなに領域が拡大してしまうと、政治を行う必要が出てくる。エリマーレ様に逆らっている状態(もっと言えば皇帝陛下の統制下からも離れている)の各領主は帝国の統制下から外れてしまっている。それを私が統制しなければならないのだ。


 軍事力だけではだめで、領地間の問題を解決するための決裁や、物資や農作物を取引するための取り決め、交易商人のスムーズな移動のための手配、場合によっては帝国が保有する公的資産である街道や狼煙台、砦などの保守管理などの差配もしなければならない。


 各領主間の仲をとりもち、利害を調整するのも大事な役目で、それには社交で交流する事が必要だ。私はロックス伯爵の屋敷を接収してそこで政務や社交を執り行う事にした。


 こうなると私は既にこの領域の女王とも言うべき立場になってしまっている。帝国から分離独立してしまっていると言っても過言ではないのである。私は頭を抱えた。どうしてこうなった。


「君は案外、真面目だからな。何にでも真面目に取り組もうとするのは美点だが、なんでも抱え込んでしまうのは良くないぞ」


 そんなつもりは無いのだが、無責任に投げ出すのが好きでは無いのも事実である。私としては自分の身を守るため、自分の生活を安定させるために動いているだけなのだけど……。


「君の安全確保のための究極の方策が、エリマーレ様を排除して女帝になる事だからな」


 ぐうの音も出ない。私が安心して寝られる日は、もはやエリマーレ様を排除しないと訪れないという事は分かり切っていた。しかしそれでも、私はまだエリマーレ様を排除して自分が帝位に上るとまでは思い切れないでいたのである。


 しかし、そんな私に決断を迫る出来事がとうとう起こってしまう。ブライアン侯爵領から旧ロックス伯爵領に戻って二月後、帝都から急報が齎されたのである。


 それは、エリマーレ様が皇帝陛下と母を軟禁し、陛下を強制的に退位させ、そして自ら女帝として即位したという知らせであった。



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