暗殺女帝ベルリュージュ 〜虐げられし皇女は愛を得て成り上がる〜

宮前葵

プロローグ  プロポーズと襲撃と

「ベルリュージュ姫。どうかこの私と結婚して下さいませんか?」


 ……私の前に跪くのは黒髪をオールバックに撫で付けた貴公子。その瞳は濃い赤、血のような赤い色だった。精悍で秀麗だが覇気が表に出過ぎて怖いくらいの顔をしており、表情も笑顔だが襲い掛かってくる野獣を思わせるようなものだ。


 バイヤメン辺境伯の長子。次期辺境伯であるともっぱらな噂である彼は、この帝都でも有名だった。その異名で。


 北部国境で蛮族や隣国と戦う事、齢二十にして既に七回。その度に盛大な武勲を立て、帝都でも讃えられていた。そして付いたあだ名が「辺境の血塗れの狼」。讃えられ、同時に恐れられていると言って良いだろう。


 その彼が猛々しい笑顔で私に、そう私に向けて言ったのだ。――結婚してくれと。


 私はその、混乱するしか無い。


 だってこの時の私の服装は侍女服。お役目は帝国第一皇女であるエリマーレ様の付き添い。そもそもこの夜会は、エリマーレ様とこの方のお見合いとして開催されたものなのだ。


 見なさいよ。エリマーレ様も皇帝陛下も唖然呆然としているじゃないの! 周りの貴族達もざわめいている。


「そ、その、アスターム様?」


 私は恐る恐る声を掛ける。彼に。次期辺境伯アスターム・バイヤメン様に。


「お間違えでは無いですか? 私は姫ではありません。姫はあちらのエリマーレ様ですよ?」


 しかしアスターム様は首を横に振った。


「間違ってはいない。私は知っているのだ。ベルリュージュ姫」


 ギクッとした。この人は間違いなく知っているのだろう。アスターム様は私の手を取り、その手の平に唇を押し付けた。冷たい感触に身がすくむ。手の平へのキスは求愛の表明。これで彼はこの場の全員に向かって私への愛を明らかにしたことになる。なんてこと。


 ギラギラと輝く赤い瞳で私を見上げながら、アスターム様は言う。


「間違いでは無いぞ? 私は帝国の第二皇女、ベルリュージュ姫に求婚しているのだ。必ず貴女を私の妻にしてみせる」


 異名に違わぬ狼のうなりのような声だった。私は真っ青だ。いや、私がここで求婚される事なんて全く想定していないのだ。戸惑いしかない。


 どういうことなの!? 


 と慄きながらも、私は周囲の空気が次第に張り詰めて行くのを感じていた。


 首筋の辺りがチリチリする。こ、この気配は……。


 私が恐る恐るそちらを、エリマーレ様の方を見る。豪奢な金髪と豊満な肢体、黄色で派手な意匠のドレスに身を包んだエリマーレ様はそのグレーの瞳を細めて微笑んでいらっしゃった。……もの凄く冷たい表情で。ぎゃー! こ、これは不味い!


「アスターム様! お断りいたします! 私は姫ではありませんし、エリマーレ様の忠実な侍女なんですもの! ええ! 忠実な!」


 私はエリマーレ様に向けてそう叫んだのだったが、遅かった。エリマーレ様が手袋をしたまま指を器用にパチンと鳴らすと、どこからともなく黒服黒覆面の男たちが現れた。突然の出来事に貴族夫人の悲鳴が上がる。テーブルの下にでも隠れて、密かにエリマーレ様を守っていたのだろう。


 しかし今では彼らはエリマーレ様の護衛では無く暗殺者だった。誰を狙っているって? そんなの決まっているじゃ無い! エリマーレ様のプライドを傷付けたアスターム様と、私をよ!


「お姉様!」


 私は思わず叫んでしまう。周囲に貴族も沢山いて見守る中で、次期辺境伯に刺客を差し向けるなんて常軌を逸した行動だ。とんでもない。しかしエリマーレ様は眉一つ動かさない。ううう、お姉様の逆らう者への容赦の無さ、残虐性はよく分かっていた。普通じゃ無い事くらいとっくに知っていたのだ。だからこそ私は従順で忠実なエリマーレ様の侍女を務めていたというのに!どうしてくれるのよ、このボケナス次期辺境伯が!


「ふむ。やはり刺客か。妙な気配があるな、とは思っていたのだが」


 あんたがあんな事を言わなければ刺客じゃ無くて護衛のままだったのよ! と言っている場合では無い。刺客はアスターム様に三人、私に一人が向かって来ていた。アスターム様は噂通りならお強いのだろうが、今は皇帝の前に出るので非武装の筈。流石に手に余るのではなかろうか。


 しかしアスターム様は余裕綽々だ。刺客を獰猛な赤い瞳で睨んで笑っていた。どういう神経をしているのか。


 って、人の事を気にしている場合では無い。私は向かってくる中背の黒覆面を睨み付ける。その黒覆面から覗く目は冷静で、淡々と私を「処理」するつもりなのは明白だった。私は腰に付けていた物入れからナイフを取り出した。侍女仕事用に持っていたほんの小さなナイフである。いつもであればもう少し護身に役立つナイフを持ち歩いていたのだけど、夜会の随伴なのでこれしか持っていなかったのだ。こんな事態になるならスカートの下の太股に護衛用のナイフをくくりつけておくべきだった!


 そんな事を言っても仕方が無い。私はほんの人差し指の長さくらいしか無いナイフを構える。それを見て黒覆面が馬鹿にしたように目を細めた。そいつの武器は短刀。長さは肘から指先くらいまである。私のナイフとその黒覆面の短刀。どちらが強いかなど誰の目にも明らかだった。


 私は全身をほど良く緊張させる。接近戦で力の入れ過ぎは禁忌だ。抜き過ぎず入れ過ぎず。黒覆面は止まること無く私に接近してくる。手練れだ。私に対処の暇を与えない気だろう。動き易い侍女服とヒールの無い靴なのが救いね。これがドレス姿だったら思うように動けないところだった。


 黒覆面は一気に接近して短刀を右手で構え、左手を広げる。左手でこちらの動きを牽制して私が奴の右手方向に動いたら仕留めるつもりだろう。


 ――そうはいかない! 私は奴が間合いに入ってくる一瞬前に、右足を蹴って一気に奴の懐に飛び込んだ。低い姿勢で滑り込む。


 黒覆面の目が大きく開かれるのが見えた。まさか私が突っ込んでくるとは思わなかったのだろう。足が止まってしまい、右手の剣が迷うように泳ぐ。手練れの暗殺者が見せた一瞬の隙。これを逃したらもう勝機はあるまい。


 私は全身のバネを使って地面を蹴った。そして跳ね上がって黒覆面に体当たりを敢行する。同時にナイフを渾身の力を込めて突き出した。相手の喉元を狙って。


 私のように非力な女が小さなナイフを使って人間を攻撃する場合、取ることが出来る手段は限られる。特に今の状況では。


 黒覆面はどう見てもプロの隠密だ。偵察暗殺の専門家である。こういう連中は、多少の手傷を負ってもそのまま対象の暗殺を優先する。つまり、ナイフで腕や脚や腹などを傷つけても、無視して私を殺す事を優先するだろうと思われるのだ。


 なので私はこのたった一度の機会に、相手を一撃で行動不能にしなければならない。そうなると相手の急所を攻撃しなければならないのだ。人間を行動不能に出来る急所はいくつかあるけど、こんな小さなナイフでは心臓には刃が届かない可能性があるし、頭は頭蓋骨が硬くて私の力では貫けない。目は的が小さいし私の背丈では届かないかも知れない。


 となれば選択肢は喉元一択だ。喉元には呼吸に必要な管と頭と身体を繋ぐ太い血管が通っている。しかもそれらの組織との間に硬い骨も無い。呼吸が出来なくなれば人間は即座に行動不能になる。


 私は母親から教わったそれらの事を思い出しながらナイフを襲撃者の喉元に突き立てた。肉を貫く嫌な感触。同時に体当たりし、肩でナイフを更に深く押し込む。


「グ……!」


 襲撃者がたまらず呻く。私はその隙にナイフを離して飛び退いた。十分な距離をとって身構える。武器を失った。これでダメなら逃げる一手だ。


 しかし襲撃者は呼吸が出来なくなったのだろう。変な声を上げて空を掴むようにもがくと、必死に首元に刺さったままだったナイフを引き抜いた。


 途端に襲撃者の首から血が吹き出した。太い血管を切ってしまったのだろう。鮮血がびっくりするような勢いで噴き出して周囲に降り注ぐ。……私の頭上にも。


 血の臭いに包まれて息が詰まってしまうが、警戒を解く訳にはいかない。襲撃者は一人では無いのだから。そういえばアスターム様はどうなったのかしら。というか彼の方に向かった三人の襲撃者が次に私の方に来たなら逃げようがないわね。


 そう思ってアスターム様の方を見ると丁度戦いが終わるところだった。


 アスターム様が異名通りの血まみれのお姿で、最後の襲撃者の首を右手で掴んで持ち上げている。相手の体が宙に浮いているのだ。襲撃者はもがいているがお構いなし。どういう膂力なのか。


 血塗られたお顔でいっそ晴々と笑いながら、彼が右手を握り締めると、ゴキっという嫌な音がしてぶら下げられていた黒覆面は動かなくなった。


「ふむ。ダメだなこれでは。俺の部下には使えん。帝都の者は隠密も質が低いのだな」


 そう言ってアスターム様は死体を乱暴に投げ捨て、私の方を見てその血塗れの目を細める。私の前で事切れている襲撃者を見ながら感心したように言った。


「ふむ。大したものだな。一体何者なのだ? 貴女は」


 私は呆れ果てた。


「……ただの侍女ですよ。それに、貴方はさっき、知っていると仰いませんでしたか? アスターム様」


「そうでありましたな。ベルリュージュ様。しかし自力で襲撃者を退けられるとは。嬉しい誤算だ。ますます私の妻に相応しい」


 アスターム様は血と死体を蹴散らかしながら私の前にやってきて、堂々と私の前に立つ。彼も私も頭から足先まで血塗れだ。アスターム様は血溜まりに平然と膝を付くと私の右手を取った。


「改めて申し上げる。ベルリュージュ皇女。私と結婚して頂きたい」


 真っ赤に染まった広間。血溜まりの中に立ち尽くす私に、本当に血塗れの狼のような恐ろしい笑顔を向けるアスターム様。


 考え得る限り最悪のプロポーズシーンだと、私は今でも思う。


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