第25話

「……」

「食べないの? ねえ、薬師寺くん?」

「あ、いや、い、いただきます」


 あのあと、なんとかパンツを穿くことには成功した。

 一条がトイレに行った間に急いで着替えを済まし、俺はフルチンで彼女の前に立つという最悪の未来は回避された。

 しかし、だ。

 トイレに立つ前に一条が言った言葉のせいで俺は吐きそうなのだ。


 大きかった、そうだ。

 俺の、何かが。


 何がだ?

 背丈か? いや、俺は身長は高い方だが特別高くはない。

 胸板か? いやいや、俺はどちらかといえば筋肉はないほうだ。


 じゃあいびき? いやいやいや、多分そんなことを、あんなにうっとりした表情では言わないはずだ。


 ……考えられるのは、やっぱり。

 でも、俺は昨日寝ていたんだ。

 脱がされて、見られたっていうことか?

 

 でも、見られただけならまだいいが、その間に何かされていないだろうな?


 聞くべきか?

 いやいや、聞いてどうなる?


「薬師寺君、昨日はいい夜だった?」

「いい夜?」

「ふふっ、私は楽しかった。初めて、だったんだよ?」

「は、はじ、めて?」

「もう、言わせないでよ」

「……」


 初めてとは?

 初めて、添い寝したとか?

 男の人の部屋に来るのが初めて、とか?


 じゃない、よな。

 でも、俺は何も記憶はない。


 なるほど。

 これは罠だ。


 俺が寝ている間に、実はあんなことやこんなことをされたと嘘をついて俺の頭を混乱させる作戦だ。


 服を脱がせたのもそのため。

 全く、姑息なやつだ。


 しかしその手には乗らない。

 むしろ利用してやる。


「一条さん。俺たち、初デートまでは何もしないって、そういう約束だったよね?」

「うん、そうだけど?」

「……この状況だと、何もなかったとは思えないんだ。俺、約束だけは大事にしたい。約束が守れない人と、ずっと一緒にはいられない」


 敢えて別れを仄めかすような言い方をする。

 ただ、これに関しては俺ではなくあくまで一条が悪いという方向に話を持っていく。


 自業自得。

 だから別れるか、それともこういう悪戯はやめるかの二択を暗に迫る。


「薬師寺君」

「なに?」

「死のう?」

「……え?」


 箸を置いて、一条が机の下から包丁を取り出した。


「薬師寺君、死んで」

「ま、待て待て! なんでそうなる?」

「何もしてないのに。私のこと、信じられないんだよね? 薬師寺君に信じてもらえない人生なんて、生きててつまらない。薬師寺君を殺して、あなたの遺骨を抱いて寝るの」

「いや、俺だけ死ぬの?」

「うん。じゃあね、バイバイ」


 一条が立ち上がったその瞬間、俺は一瞬の間で頭をフル回転させた。


 立ち向かい、包丁を奪って、逆に包丁で彼女を脅して、そのまま家を追い出して、別れる。


 そんなプランを思いついて、俺は立ち上がる。

 そして包丁の切先をみて。


「すみませんでした!」


 土下座した。

 躊躇いなく俺に向かってくる刃物に、逆らう勇気はなかった。


「薬師寺君、なんで謝るの?」

「だ、だって、その」

「薬師寺君が悪いことしたって、自覚あるの?」

「……」

「ないの?」

「あ、あります!」


 床に向かって謝罪する俺の後頭部に冷たいものが当たった。


 俺は顔をあげることもできないまま、命乞い。

 すると。


「薬師寺君、二度と別れようとか言わない?」


 静かな、しかし奥に力のこもった声が俺に届く。


「……はい」


 悩んだが、イエスというしかない。

 今はこの状況を乗り切る。

 それだけの気持ちで返事をすると、



「この場をやり過ごすための返事ならダメだよ?」


 見透かされたように、そう言われた。


「……そんなんじゃ、ないよ」

「ほんと? じゃあ、明日のデートは私の行きたいところに行って、したいことしてくれる?」

「……わかった」


 この女に嘘はつけない。

 俺は、彼女な要求をひたすら飲む。


「うん。じゃあ、お顔あげていいよ。仲直りだね」


 ようやく、優しい声が聞こえてきたので俺はそっと顔を上げた。

 

 すると、笑顔の一条がいた。

 包丁を自身の頬に当てたまま。


「えへへっ、デート楽しみだねえ」



 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る