第二話 虫と薬物
ここ五年ほどで、サンタ業というのが出来た。クリスマスイブの夜に、無償で子ども達にプレゼントを渡して回る。その費用は国から出ているようで、世のお母さんお父さんにとっては有り難い。なんせ、「サンタはいるよ!」という嘘をつかなくて済む。
サンタ業が出来たのは、配達サービスと、航空技術の発達によるものらしい。空飛ぶ車というやつだ。一般向けに普及する前に、サンタ業サービスで試運転を行っているという。見た目はしっかりと木製のソリで、ちゃんと本物のトナカイが曳いている。ヘリみたいにプロペラもないので、どういう理屈で飛んでいるのかはよく分からない。
「ねえあなた、二階に鈴を呼びに行ってよ。料理が冷めちゃうわ」
「えー、もう降りてくるだろ」
貴史が気の抜けた返事をした時、ドアがバンッ! と開いた。
「もう、また同じメニューじゃん。もっとレパートリーねぇのかよ」
文句を垂れ流しながら入ってきたのは、娘の鈴だ。金色に染めた長髪を振り乱し、濃いメイクに長い爪。こちらも見ていると目がチカチカする。女の色気なんてあったもんじゃない。
「コラ、折角母さんが作ってくれたのに、文句を言うんじゃない。お前が毎日ご飯を作るっていうんなら話は別だけどな」
子どもに怒るのも、父親の立派な仕事だ。娘の性格をたたき直したい想いが強すぎて、毎回最後のセリフが嫌みっぽくなってしまうが、これも愛の故。仕方が無い。鈴もきっと分かってくれているはずだ……ん? なんだその目は!
「はぁ!? 嫌に決まってんじゃん! ていうか、それはお母さんの仕事でしょ? 料理教室もやってるんだから、もうちょっと色んな料理出してくれてもいいんじゃないのって話」
「これがベストな献立なのよ」
鈴の文句に、祐子が反論した。
「味噌汁に、ご飯、コオロギの炒め物、ミミズのおひたし。こんなにバランスの取れた栄養を取れる朝食なんてないわよ。特にミミズは栄養が豊富。タンパク質から、ビタミン群までなんでも揃ってる。ほうれん草が霞んで見えるわ。彼にはタンパク質が足りない」
祐子は、管理栄養士だ。加えて、虫のお料理教室をやっている。この頃食糧不足が声高に叫ばれて、世間に昆虫食が定着してきた。うちの祐子はさらに先を行って、昆虫だけでなくミミズなんかの分類も分からないような虫を扱う。
最初はミミズなんか食えるか! と思った物だが、祐子の腕なのか、一度食べるとやみつきになった。かと言って、毎日だと飽きる。たまには違う物も食べたいというのは、貴史も同意見だった。
「別に料理そのものを変えなくても良いの。味噌汁になんか足すとかさ」
「何よ?」
鈴は目を閉じて考え込む。ニヤリと笑ったかと思うと、手を打ち鳴らした。
「マリファナとか!」
鈴は手の平を大きく開いて、大麻の葉っぱの形を表した。
「そういう冗談はやめなさい」
「冗談なんかじゃない。だってあんなにマリファナは美味しいんだよ? 味噌汁に入れれば、毎朝最高の気分で学校に行けるじゃんか」
「前からずっと言ってるが、薬物は止めろ。ほんとに」
「はいはい」
注意だけで済ますなんて、甘いのは分かっている。確かに、薬物は犯罪行為で、許されるようなことではない。だけど、警察に突き出したら鈴が捕まってしまうし、曲がりなりにも薬物の所有を認めていることになるので、もしかしたら自分も捕まってしまうかもしれない。
詰まるところ、自分は臆病で自分勝手なのだ。自分とは関係ないと思いたい気持ちと、鈴に嫌われたくないという気持ちが入り交じって、警察を呼んだり、強い口調で怒ったりすることが出来ない。
一度だけ覚醒剤を鈴から奪い取ったことがあるが、その後一週間は口をきいてもらえなかった。しかも自分が薬物をもっているという恐怖に押しつぶされそうになったし、鈴の方も直ぐに新しい覚醒剤を先輩にもらっていた。全く意味がなかったのだ。
「確かに、マリファナはおいしいわ。でもね、味噌汁に入れたら変な味になるの。なんか、薬品みたいな? お風呂みたいな味になるのよね。もちろん、実証済みよ」
祐子の口から、衝撃的な言葉が放たれた。「そうなんだ」と頷く鈴を差し置いて、貴史は祐子を問い詰めた。
「おい待て。祐子、もしかしてお前も薬物をやっているのか?」
「まさか。今はやってないわよ。丁度鈴くらいのときの話」
「なんで今まで言わなかったんだ」
「過去は振り返らない主義よ」
祐子は毅然と言った。貴史は項垂れて、頭を抱えた。
だから今まで何も鈴に言わなかったのか。おかしいとは思っていたが、まさか祐子も経験があったなんて。なんだか、急に祐子がヤンキーに見えてきた。一度、過去を深掘りする必要があるかもしれない。
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